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画家と弁護士【視点混合】

【ジェイル視点】


 ハミルトン親子が去った後。僕は邪魔者を追い出すと、美術準備室で石膏のデッサンをはじめた。


「あの、マーラー先生」


 いつの間にか放課後になっていたようで、スフィア・ノートンがおずおずと声をかけて来た。ながら作業ではデッサンの練習にならない。


 僕は仕方なく鉛筆を置くと


「さっきは君がテーミス君を呼んでくれそうだね。おかげで少なくとも強姦の容疑は晴れたよ。ありがとう」


 しかし感謝を述べるも、スフィアは浮かない顔で


「あの……本当に彼女とは何も無かったんですよね?」

「なるほど。君も僕より、あの子を信じるわけだ?」


 言外に不信を責めると、彼女は咄嗟に「いえ、そういうわけじゃ」と否定したが


「……ただこの美術準備室で、絵を描いているだけじゃないことは事実だから」


 君は他のモデルたちとは違う。君だから関係を持ったんだ。など甘い言葉で疑心を払拭(ふっしょく)して欲しいのだろうが


「僕が怪しいと思うなら、もう会わないほうがいいだろう。どうせあの絵も描き上げたところで他と同じ。誰の心も打たない凡作にしかならない」


 僕には彼女たちを繋ぎ留めたいという意思は無い。


 僕は一生に一度でいい。例えば僕の死を願うほど憎む者さえ、否定できぬような本物の傑作を描きたいだけ。


 しかし侯爵家の長男として生まれながら、実家と決別した貧乏画家の僕にはモデルを雇う金が無い。


 ところが裕福な貴族令嬢たちは、憧れの先生のためにタダでモデルを引き受けてくれる。だからリリアナやスフィアにモデルを依頼した。


「せ、先生! そんなことを言わないで最後まで描いてください! 例えたくさんの人に評価されなくても、私はあの絵の完成を楽しみにしているのに!」


 僕は自分の膝に縋りつくスフィアを冷めた心で見下ろしながら


「本当に? 例えばあの絵の作者が僕じゃなくても、君は同じように大事に思うのかな?」

「ど、どういう意味ですか?」

「……別に何も」


 スフィアは勝手に僕を信じることにして帰って行った。


 翌日の昼休み。今度はテーミス君が美術準備室に尋ねて来た。


「絵を見せて欲しい?」

「ええ。ノートンさんがあんまり褒めるものですから、どんな絵を描かれるのかと気になりまして」

「僕の作品なら、その棚に置いてある。気になるなら、勝手に見るといい」


 そう言うと僕は石膏のデッサンに戻った。本当は生身の人間を描きたい。しかし生身の人間は、僕に恋する少女たちでさえ、四六時中は付き合ってくれない。だからモデルがいない時は、静物を描いて絵の技術を磨いていた。


「流石。王立学園で美術を教えているだけあって、お上手ですね」


 テーミス君の心無い賛辞に、思わず皮肉な笑いが漏れる。


 他の少女たちなら僕の不機嫌だけを察して、オロオロするところだが


「これは失礼しました。先生ほどの画家に対して上手は、かえって無礼でしたね」


 テーミス君は事もなげに、僕の不愉快の理由を見抜いた。


 技術を褒められて喜ぶのは見習いだけ。芸術は心を揺さぶってこそ価値がある。絵を見て技術を褒められるのは、心に響くものはないと言われたも同然だった。


 そんな他人には分かりづらい僕の内心を、彼女は正確に読み取ってみせた。


 昨日も思ったが、彼女はいったい何者だろう? 単に賢いだけではない。見た目にそぐわぬ成熟した精神を感じる。


「昨日会った時も思ったが、君はまるで考えの読めない子だね。見た目はどこにでもいる普通の少女なのに、中身は全く別物のようだ」


 テーミス君は穏やかに小首を傾げて、僕の指摘を流すと


「先生はよく、この学園の女生徒にモデルを頼むとか。その方たちの絵は無いんですか?」

「習作として描いたもので、コンテスト用でも売り物でも無い。モデル本人にすら受け取りを拒否されるような駄作だから、処分してしまったよ」


 自嘲しながら答えると、彼女は間髪入れずに


「これだけの技術で描かれた自分の肖像画を、受け取り拒否することは早々無いと思いますが。何か彼女たちに嫌われるようなことでも?」


 絵が見たいとのことだったが、テーミス君の本当の関心は別にあるようだと


「要するに君は探りを入れに来たのかな? 僕がモデルを頼んだ少女たちに何かしたんじゃないかと?」


 普通の人間は内心を言い当てられると、少なからず動揺する。


 ところがテーミス君は微笑みを崩さず


「いいえ、純粋な疑問です。もし私がモデルなら、これだけの精度で描かれた肖像画の受け取りを拒否するとは思えませんから」

「君の推測どおり。僕はちょっとしたトラブルから彼女たちに嫌われて、絵も拒否された。仲違いする前は、絵の完成を楽しみにしてくれていたのにね」


 当時を思い出して皮肉を漏らすと


「例え相手に拒まれても、先生にとっては精魂込めて仕上げた大切な作品のはず。自分の手元に置こうとは思わなかったんですか?」


 彼女の指摘どおり。僕にとっては精魂込めて仕上げた作品の数々は、手元には無いものの捨てられず、貸倉庫に置いてある。


 けれど大切かと問われればやはり


「絵も恋愛も同じだよ。本気で入れ込むほど、期待を裏切られた時のショックは大きくなり、二度と見たくないほど憎くなる。今君が見ている作品だって、他人に画家としての技量を証明するために仕方なく置いているだけ。僕自身はもう見たくもないよ」


 人にこういう話をすると、不可解や困惑、または面倒だという顔をされる。


 ところがテーミス君は「先生がどうして女性におモテになるか分かった気がします」と穏やかに微笑むと


「例え他人には情の無い人間でも、魂を削って何かに打ち込む人には、ある種の美しさがありますから」


 これまで少女たちが僕に向けて来た憧れや恋慕の眼差しとは違う。それでいて、ある種の温かみを感じさせる目で言った。例えば物語の中にしか存在しない、理想の師のような。


 僕は不思議な落ち着きと包容力を持つ彼女に興味を惹かれて


「そんなに僕を買ってくれるなら、君を描かせてくれないか? 君のような人間は見たことがない。その全てを見透かすような目や、底知れない微笑みを描いてみたい」


 思わずテーミス君の手を取って乞うも


「残念ですが、これからやらなくてはいけないことがあって。先生の芸術の糧にはなれません」


 彼女は急に壁を作って、僕の手をやんわり払った。


 美術準備室を出ようとする彼女を咄嗟に追いかけるも


「ヴィクター殿下。なぜここに?」


 スッと間に入った彼に驚いて問うと


「テーミス嬢の護衛です。強姦は濡れ衣でも、女生徒とあんなトラブルが遭ったばかりのあなたと2人きりにはできませんから」


 冷静を装っているが、ヴィクター殿下は明らかに僕を敵視していた。昨日も一緒だったが、どうもテーミス君に心酔しているという噂は本当だったようだ。


 僕が彼女を異性として見ていると思っているなら酷い誤解だ。僕にタダで描かせてくれるのが女生徒であるだけで、本当ならヴィクター殿下のような美青年だって描きたい。


 リリアナの頑固そうな父親だって。瘦せこけた貧民だって。もっと多様な人間の姿や仕草や表情を描きたい。しかし親と縁を切り何者でも無くなった僕に、この国の王子や貴族の紳士たちにタダでモデルをしてくれと頼む権利は無い。


 2人の美しい後姿を目に焼き付けながら見送った。


【ソフィー視点】


 マーラー先生と別れて美術室を出ると、ヴィクター君は不機嫌そうな顔で


「さっきマーラーに口説かれていませんでしたか? あの男、今度は先生を狙っているんでしょうか?」

「あれは純粋にモデルとしての勧誘だよ。どうやらマーラー氏はノートン君の言うとおり、芸術に人生を捧げた人間のようだ」


 私の見解を信じたヴィクター君は、やや態度を和らげると


「じゃあ、モデルを頼んだ少女たちとも、本当に清い関係だったと言うことですか?」

「それはもう少し調べないと分からない。真の芸術家であることは、罪を犯さない理由にはならないからね」

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