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彼女が彼を嵌めたのは

 両者の主張がだいたい分かったところで


「これ以上話し合っても、やはり堂々巡りにしかならないようです。双方の言い分は分かりましたので、次は現場検証をしてみませんか?」

「現場検証? と言うと、美術準備室ですか?」


 私の提案に、学園長は不可解そうな顔で


「しかし美術準備室で何を調べるんです? 事件が起きたのは数か月も前です。当時の様子を知るための手がかりなど残っていないと思いますが」


 学園長の疑問に、私はスラスラと


「美術準備室の声や物音が、家庭科室にどの程度響くのか検証したいのです。ハミルトン様は恐怖で全く抵抗できなかったと言いましたが、声はともかく多少の物音はあったはず。実際に行って、どのくらい音が伝わるのか確かめれば、どちらの言い分が真実か分かるかもしれません」


 その説明に、マーラー氏はソファーからスッと立ち上がって


「では、さっそく行きましょう。彼女の言うとおり、実験してみれば、事件など起こせる環境じゃないと分かるはずです」


 関係者全員の同意をもらい、私たちはさっそく美術室に移動した。


 その途中の廊下で


「ヴィクター殿下、少しよろしいですか?」


 私は共に最後尾を歩いていた彼に、皆には内緒であるお使いを頼んだ。


 それから美術準備室に、私、ハミルトン君、ノートン君。


 家庭科室にマーラー氏、ハミルトン伯爵、学園長と分かれて


「では、まず物音の検証からはじめましょう」


 美術準備室で立てた音が、どのくらい家庭科室に聞こえるか確認する。


 普通の生活音だと、耳を澄ませてやっとわずかな音が拾える程度。これだと家庭科室の会話や物音に紛れて聞こえなくなってしまうだろう。


「重い物を落とす。壁にぶつかるなど大きな物音だと、かなり聞こえるようですね」


 声の場合はヒソヒソ話だと全く伝わらない。通常の音量だと何か話しているのは分かるが、内容は聞き取れない。これだと物音と同様、部活動中は聞こえないも同然だろう。


 検証の途中でヴィクター君が戻って来た。


 彼は美術準備室の外から中を見守るノートン君の横を通り抜けて、私とハミルトン君の後ろに立った。


 お使いの品が届いたところで


「じゃあ、最後に叫んでいただけますか?」

「わ、私がですか?」


 私の指示に、ハミルトン君はギョッとして


「実験のためだとしても、叫ぶなんて恥ずかしいです。だいたい私は襲われた時、恐怖で声も出せなかったのに。悲鳴が届くか確かめる意味なんて」


 言葉の途中。ヴィクター君は音もなく、ハミルトン君の足元にあるものを落とした。


 私は何食わぬ顔でそれを指して


「あっ、ハミルトン様。足元に蛇が」

「……えっ? いやあああっ!?」


 絶叫とともに彼女の両腕にバチバチと紫電が走る。


 ああ、そうか。彼女も貴族。この世界のほとんどの貴族は、なんらかの魔法を持つのだった。


 突然の蛇に驚いたハミルトン君は、脅威を排除しようと反射的に雷撃を放った。


 彼女の傍に立っていた私は、危うく巻き込まれるところだったが


「危ないッ!」


 いち早く反応したヴィクター君に引き寄せられて、気の毒な蛇の巻き添えにならずに済んだ。


 当然この騒ぎは隣の家庭科室に聞こえて


「なんだ、今の悲鳴は!? 何があったんだ!?」


 駆け付けたハミルトン伯爵に、娘は「お父様!」と泣きついて


「へ、蛇がいきなり! わたくしの足元に!」

「へ、蛇? 外ならともかく、どうして校舎の中に蛇が?」


 困惑する学園長たちに


「申し訳ありません。実は私が殿下にお願いして、生物室の標本の中から持って来ていただいたんです」

「あ、あなたの悪戯だったんですか!? なぜこんな悪趣味なことを!?」


 当然ながら激怒するハミルトン君に


「もちろん実験のためです。美術準備室で上がった悲鳴は家庭科室に届くのか? そして被害者であるあなたが恐怖した時、実際はどんな反応をするのかを」


 私の真意を知った彼女は「あっ……」と青ざめた。


「蛇に驚き恐怖したあなたは咄嗟に叫んだだけでなく、脅威を排除しようと雷撃を放った。これがあなたの危険に対する本来の反応です」


 次に学園長たちに目を向けると


「そして家庭科室にいた方たちは、実験のことも忘れて現場に駆け付けた。これが部活動中の生徒でも、恐らく同じ反応をしたでしょう。しかし今日まで美術準備室で事件があったとは誰も知らなかった。ということは、ご息女がおっしゃるような事件は無かったのです」


 私の推論に、ハミルトン伯爵はしばし絶句したが


「そ、そんなのはたまたまだ! 人がいつも同じ反応をするとは限らない! 娘は本当に、その時は声が出なかったんだ!」

「確かにハミルトン伯爵のおっしゃるとおり、人がいつも同じ反応をするとは限りません。だからこそ犯人なら、まず被害者に抵抗される可能性を考えます。大きな物音や悲鳴が上がれば必ず隣に気付かれるこの環境で、人を襲おうなどと思うでしょうか?」

「そ、それは……」


 ハミルトン君が抵抗しなかったから襲えたというのは、結果論に過ぎない。


 実際に襲ってみるまで彼女の反応は未知であり、抵抗の可能性がある限り、すぐ隣に人がいる時間や場所は選ばない。


 もし、この美術準備室で彼女を襲うとしたら


「例えば被害者に睡眠薬を飲ませる。なんらかの弱みを握って言いなりにする。そうやって抵抗を封じた状態なら姦通も可能でしょう。しかしご息女によれば、そういう工作は無かったとのこと。相手がどんな反応をするか分からないのに、この環境で襲うことは心理的に不可能です」


 私の指摘に、ハミルトン君は悔しそうに唇を嚙みながら


「……確かにテーミス様のおっしゃるとおり。本当は先生に襲われてなどいません」

「リリアナ!? 何を!?」


 娘の告白に、ハミルトン伯爵はギョッとした。マーラー氏をさんざん強姦魔扱いした後に、嘘だと知らされたのだからショックを受けて当然だ。


 しかし彼女が告げた真実は


「でも、このお腹の子の父親は間違いなく先生です! 私とマーラー先生は内緒で交際していたんです!」

「つまり抵抗しなかったのは、同意の上の性交だったからだと?」


 私の確認に、ハミルトン君は躊躇いがちに「はい」と答えた。


 ハミルトン君とマーラー氏が恋愛関係だった可能性には最初から気付いていた。


 私に「マーラー先生を助けて」と頼みに来たノートン君も、師を慕う生徒というより恋する乙女の必死さだった。


 そしてマーラー氏の容姿と雰囲気を見て、彼なら少女に自ら身を捧げさせることも可能だろうと思った。


「だったらなぜ強姦などと言った? そもそもどうして夫でもない男、それもよりによって教師に身を任せたんだ!?」


 父親の叱責に、娘は泣きながら


「だって本当に先生が好きだったから! それに今は教師と生徒だから関係を隠さなきゃいけないけど、卒業したら正式に付き合えると思っていたんです!」


 しかしマーラー氏は、絵を描き終えると同時に彼女を捨てたそうだ。


 この世界は前世よりも女性の貞操に厳しい。特に良家の娘は結婚まで、絶対に純潔を守らなければならない。


 それは不倫や売春を禁じるのと同様、表向きのルールだが、事件として公になるなんてもってのほか。


 あの娘は嫁入り前なのに教師と寝た。それが世間に知られれば、結婚と仕事の両面で、ハミルトン君の価値は暴落する。だからどれだけ悔しくても、貴族の娘は男に弄ばれたとは言えない。


 ただハミルトン君の場合は


「でも泣き寝入りするつもりが、どんどんお腹が大きくなって。父に誰の子だと問い詰められて、先生への恨みもあって、咄嗟に襲われたことに」


 涙ながらに言う娘に、父はわなわなと震えながら


「それならそうと最初から言えばいいものを……。先生に無理やり襲われたと言って、その嘘が暴かれて、今度は同意で捨てられたと言って。二転三転するお前の証言を、他人がどうやって信じればいいんだ!?」


 ハミルトン伯爵の言うとおり。どんな理由だろうと嘘を吐けば、そのたびに信用は失われる。


「今度こそ本当です! 私は先生と付き合っていたんです! でも捨てられて、こんなことに! お願いです! 信じてください!」


 ハミルトン君は父親に泣き縋ったが


「僕に襲われたと言った時と同じですよ。泣いて可哀想なふりをすれば、被害者になれると信じている。それも密かに付き合っていたなんて、今度こそ証明しようも無いことを言うんだから性質が悪い」


 マーラー氏は冷たい無表情で言うと


「それでどうなんですか? ハミルトン伯爵。今度はこの新証言をもとに、僕への訴えを続けるつもりですか?」


 彼の問いに、ハミルトン伯爵は「いや」と気まずそうな顔で


「私にはもう何が真実なのか分からなくなった。最初は娘の言うことだからと疑いなく信じたが、強姦は嘘だと分かった今。今度こそ本当だなんて口先だけの言葉は、例え娘でも信じられない」

「お、お父様……」


 泣きはらす娘を、父は睨むように見下ろして


「帰るぞ、リリアナ。これ以上、泣き喚いて恥を晒すな」

「うぅ……」


 ハミルトン親子は美術室を出て行った。


 学園長は彼らが去って行った方向を見ながら


「……訴えは取り下げられたと言うことでいいんでしょうか?」

「訴えは取り下げられても、あれだけ悲痛に泣かれたら「もしかしたら」の疑惑は残るでしょうね」


 心を見透かすようなマーラー氏の指摘に、学園長はギクッとして


「いや、我々はマーラー先生を疑ってなどは」


 慌てて言い訳するも、マーラー氏は興味を失くしたように顔を背けて


「別に信じなくても構いませんよ。ただこれからも、ここで静かに絵を描かせてくれれば」


 「疑いが晴れたなら出て行ってください」と私たちを追い払って、美術室の戸を閉めた。

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