新たな事件
学園の中庭にある東屋。私はヴィクター君と、いつもどおり昼食を済ませた後。
「ああ。熱い緑茶と美味しい羊羹。隣には君。幸せだね」
穏やかな午後の日差しが緑の庭園に降り注ぐのを見ながら、熱い緑茶と手作り羊羹に舌鼓を打った。
この世界は幸いにも、人間だけでなく動植物も、前世と同じようなものが多い。よってこの国の主流ではないが、和食作りに欠かせない米や大豆や小豆などが存在していた。
6歳で前世を思い出したヴィクター君は、この世界でも和食を作れるように、米や大豆や小豆などを取り寄せて国内の農家に生産を奨励。さらにみそやしょうゆ。日本酒やみりんなどの調味料の他、海苔や豆腐のレシピを公開して作らせた。
よって我が国は西洋文化ながら、王都では和食の材料が手に入り、こうして美味しい羊羹が食べられる。
和食好きの私のために、並々ならぬ努力をしていたヴィクター君は幸福そうに頬を緩めて
「私も先生と2人きりで、ゆっくり過ごせて幸せです」
前世と今世を含めても、こんなに私を愛してくれる人はいない。今は一方的に尽くされてばかりなので、早く結婚して彼のよき妻になりたいものだ。
そんな穏やかな午後を過ごしていると
「テーミス様、お願いします! マーラー先生を助けてください!」
必死の形相で東屋に駆け込んで来たのは、面識のない女生徒だった。
彼女はスフィア・ノートン子爵令嬢。彼女によれば、ジェイル・マーラーという美術教師が、今ある女生徒と保護者から無実の罪で訴えられていると言う。
「マーラー先生は魔法こそ使えませんが、王立学園で美術を教えているだけあって、とても素晴らしい絵を描かれる方です。芸術に人生を捧げている先生が、悪事なんてするはずがありません」
ノートン君は澄んだ目に涙を浮かべながら
「どうか先日ご自分の無罪を証明されたように、先生を冤罪からお救いください」
マーラー先生は今、応接室で保護者に咎められていると言う。
刑事事件と違って保護者から学校への訴えだと、弁護士などもつかず、ろくに議論もされないまま処分されてしまう可能性が高い。
もうすぐ午後の授業だが、涙の訴えを無視して出るほどのものではないと
「分かりました。一生徒でしかない私が話し合いに参加できるか分かりませんが、取りあえず先生に掛け合ってみましょう」
「あ、ありがとうございます!」
それから私はヴィクター君とノートン君を連れて応接室に行った。
ノックすると学園長が迷惑顔で出て来て
「いま大事な話をしているから後にしなさい」
当然ながら断られたが
「実はこちらのノートンさんから、マーラー先生が無実の罪で訴えられているから助けて欲しいと頼まれたのです。どうか私にも事情を聞かせていただけませんか?」
丁寧に頼むも、学園長は眉をひそめて
「事情を聞かせて欲しいって、弁護士にでもなったつもりですか? 確かに自らの無実を証明したことや先日の親御さんたちとの話し合いで、あなたの弁が立つことは分かりました。ですが、これは他人の問題。無関係の人間が、興味本位で立ち入っていいことではありません」
まぁ、真っ当な人間なら部外者、それも生徒の立ち入りは拒むだろう。
「学園長先生のおっしゃることは尤もです。しかしノートンさんによれば、マーラー先生は容疑を否認しているとのこと。今頃やったやらないの水掛け論になっているんじゃありませんか?」
「そ、それはそうですが……」
学園長はたじろぎながらチラッと背後の扉を見た。揉め事が好きな人間などいない。本音は誰かに解決して欲しいはずだ。
「そして原告と被告の間に立たされた先生方は、女生徒と親御さんの言に頷けば、マーラー先生に『保護者の言いなりになって、同僚の自分を裏切るつもりか?』と恨まれ、マーラー先生の肩を持てば『教師同士で庇い合いか?』と悪人扱いされて困っているのでは?」
「ど、どうしてそこまで!?」
学園長の反応に、私は笑みを深めながら
「客観的に判断するには、先生方は双方と関係が深すぎます。その点、私は原告とも被告とも接点の無い完全なる第三者。なんの肩書きも無い一生徒であることにさえ目を瞑っていただければ、なるべく内々に処理したいが、公平な審判役が欲しいこの状況に打ってつけでは?」
学園長の弱みに付け込んで自分を売り込むと
「君の言うとおり、どちらの味方でもない人物の意見が欲しいところだが……いくら弁が立つといっても無関係の生徒の立ち合いを、先方が許すかどうか……」
「学園長先生のお許しがいただければ、私が交渉します。どうか入室の許可を」
なんとか第一関門を突破し、応接室に入る。
応接室の中では30半ばの男性教師がローテーブルを挟んで、原告である父子と向かい合っていた。
原告はハミルトン伯爵と娘のリリアナ。娘のハミルトン君は今年の春に、この学園を卒業したそうだ。
さっそくハミルトン伯爵に立ち合いの許可を求めると
「私たちの訴えと、この男の証言のどちらが真実か、その女生徒に判定させるって!? 大人ならともかく無関係の一生徒を、なんだって学園の不祥事に関わらせるんです!? マーラー先生といい気が狂っているとしか思えませんな!」
いったいマーラー先生がご息女に何をしたのか? お父上は酷くお怒りだ。
問題のマーラー先生は訴えられているにもかかわらず、恐れや不安は見えなかった。彼は畏まるでもなく冷淡な態度で
「僕はいっそ生徒だとしても、冷静な第三者に立ち会ってもらったほうがいいと思いますが。そうじゃないと永遠に、あなたのヒステリックな罵声を聞き続けることになりそうですから」
「なんて失礼な男だ! 娘を傷つけただけじゃ飽き足らず、保護者として当然の怒りをヒステリー呼ばわりするとは!」
伯爵と言えば、なかなかの身分だ。対してマーラー先生はくたびれた白シャツと色褪せたズボンを見る限り、裕福では無さそうだ。ただ物腰やしゃべり方にはどことなく気品があるので、貴族の出なのかもしれない。
そんなマーラー先生は激怒する父親に
「だからこちらは先ほどから何度も否定しているでしょう。あなたのご息女を襲って孕ませたのは僕ではないと」
「ま、マーラー先生!」
「き、貴様! 他の生徒たちの前でなんてことを!」
学園長とハミルトン伯爵は泡を食っているが、マーラー先生は考え無しに言ったわけではないようで
「これでもう彼女たちに隠すことはありません。後は秘密保持を誓わせて公平な審判を頼むほうが、この不毛な話し合いも少しは前進するのでは?」
ふむ。どう説得したものかと思ったが、マーラー先生のおかげで手間が省けた。
彼の狙いどおり、秘密を隠したいという理由が消えたハミルトン伯爵は忌々しそうな顔をしつつも
「確かにお互い一歩も譲らずで、議論が停滞していたところだ。君の介入を認めよう。その代わり、ここで聞いた事実は、絶対に口外しないように」
「ええ、もちろん。ここで知った事実は誰にも漏らしません」
それから私たちは改めて本件の概要を聞いた。
リリアナ・ハミルトン伯爵令嬢を強姦・妊娠させたとして訴えられたのは、美術教師のジェイル・マーラー氏。魔法こそ使えないが、ノートン君の言うとおり、とても美しい人物画を描くそうだ。
ただ本人の強いこだわりにより、賞への出品や作品の販売はしていないと言う。それでも画家としての腕は確かで、ダークブラウンの波打つ短髪と苦悩の滲むはちみつ色の瞳が印象的な色男だ。
そんなマーラー先生は、芸術に関心の高い女生徒たちにとって憧れの存在。特に彼の絵のモデルに選ばれることは、大変な名誉だと言う。
そして原告のハミルトン君もマーラー先生の絵のモデルだった。彼女がマーラー先生のモデルをしていたのは、卒業前の最後の半年。
ハミルトン君は絵の完成直前。美術準備室で豹変したマーラー先生に襲われたと言う。
「しかし問題の美術準備室は鍵こそかかるものの、隣に家庭科室があるんです。家庭科室は放課後。手芸部と料理部の生徒が1日交替で活動しています」
すでに先方にはさんざん説明したようで、マーラー先生は私たちに向かって
「そして僕はこの手の疑いをかけられないように、家庭科室で活動がある時だけ生徒たちにモデルを頼んでいました。もしハミルトン君の言うように僕が彼女を襲ったなら、隣室の生徒たちが悲鳴や物音に気付いたはずです」
その抗弁がなぜ通らないのかと言うと
「だから娘は恐怖と混乱で固まって、抵抗できなかったと言っただろう! 悲鳴や物音がしなかったなんて、なんの言い訳にもならない! 確かな事実は未婚の娘が望まぬ妊娠をし、その犯人がお前だと言っていることだけだ!」
激情を露わにするハミルトン伯爵とは対照的に、マーラー先生は冷たい無表情で
「こちらのテーミス君は先日。ある女生徒への嫌がらせと誹謗中傷で、婚約者に訴えられました。しかし結果は無実でした。婚約者はその女生徒と結ばれるために、テーミス君に濡れ衣を着せようとしたそうです」
私の例を挙げると
「被害を訴える者が、必ずしも真実を述べているとは限らない。流石に妊娠は本当でしょうが、お腹の子の父は僕ではありません」
彼の言葉に、ずっと沈黙していたハミルトン君が
「この子の父親は間違いなく先生です! 知っているくせに!」
「だが君を無理やり襲ったのは僕じゃない」
マーラー氏は悲痛な叫びをピシャリとはねのけると
「むしろ彼女は僕に好意を持っていました。モデルを頼んだら「前から先生のファンでした。モデルになれるなんて夢みたいです」と頬を染めて喜んでくれたね?」
「それはそうですけど……」
「そして絵の完成直前に起きたのは、強姦事件などではありません。彼女はもうすぐ卒業し、モデルも終わりとなれば、僕との接点が切れてしまうと告白して来たのです」
しかしマーラー氏は教師。例え卒業したからって、15以上も年下の生徒と付き合えるはずがないと断ったと言う。
「それから初めての再会が今日です」
マーラー氏はロボットのように淡々と
「僕が考えるに、僕に振られて自棄になった彼女が別の男と付き合って妊娠。こんなことになったのは僕のせいだと、逆恨みで罪を着せているとしか思えません」
「おのれ! 娘を傷つけておいて、よくも抜け抜けと!」
ガタッとソファーから立ったハミルトン伯爵を
「お、落ち着いてください! 暴力はいけません!」
学園長たちが必死になだめる。




