あの頃よりもっと
脅威を排除した絢子君は木刀を手放すと、すぐに私に駆け寄って
「先生! 大丈夫ですか!?」
「私は大丈夫だよ。大事になる前に君が助けてくれたからね」
ニコニコと返す私に、絢子君は不安そうな顔で
「でも財前理事長には政治家や警察官僚の友人がいるって。私を庇ったら、先生のお立場が悪くなるんじゃ」
「ふむ。ちょっと待ちなさい」
私はちゃぶ台の裏をごそごそと探った。天板の裏には、私が普段使っている録音機がテープで張り付けてある。
私に録音機を見せられた絢子君は目を丸くして
「さっきの会話を録音していたんですか?」
彼女の言うとおり。私は彼らと玄関で会った時から全ての会話を録音していた。
居間に入れる前に彼らを待たせたのは、ポケットの中からちゃぶ台の裏に録音機を移すため。その理由は
「この録音で彼らは自分の名を名乗り、罪状が事実だと認めて、最後に証拠を奪い取ろうと暴力を振るおうとした。ここまでの証拠を握られたら、揉み消しは不可能だよ」
最終的に彼らは、私から強引に証拠のメモを奪い取るだろう。しかしちゃぶ台の裏に隠した録音機が、より有力な証拠となって残る。わざと適当に殴られて、用済みの証拠を手に帰らせる作戦だった。
私は彼らとのやり取りを収めた録音機を手に
「最初は内々に済ませるつもりだったが、平気で揉み消しに走る辺り、野放しにしておけない連中のようだ。本件はキチンと公表して、財前親子から偽りの信用と権力を奪わなければならない」
自分たちを護るために、無実の少女に平気で罪を着せるような連中に権力を持たせたままでは、また別の誰かが被害に遭うかもしれない。
「ただそれをすれば、君をはじめ罪の無い教師や生徒たちを騒動に巻き込んでしまうだろう。この録音があれば、あくまで悪いのは財前親子で、他の者には非の無いことと理解してもらえるだろうが、しばらくは世間から不愉快な注目を浴びることになる」
絢子君は未成年だから、新聞やニュースに顔や名前が出ることは無い。しかし同校の者には、絢子君が渦中の人物だと分かるので
「学校に残るにしろ転校するにしろ、君は居心地の悪い想いをするだろう。君を護ると約束したのに、君の平穏を第一にできなくて、すまないね」
眉を下げて謝る私に
「そんな、謝らないでください。私はむしろ先生が、自分だけの得や安全を考えない人で誇らしいです」
絢子君は心からの微笑みを浮かべて
「先生のお陰で無実は証明されましたから、多少の噂や注目くらい全然平気です。ですから私のことは気にせず、思い切りやってください」
私の手を取って強く背を押してくれた。彼女のこういうところに、亡くなったご両親の遺伝を感じる。彼らも私の背を押し、共に戦ってくれる人だった。
しかし絢子君はふと「それより」と顔を曇らせて、私の手を放して部屋を指すと
「部屋を滅茶苦茶にしてゴメンなさい……」
確かに室内は台風が直撃したかのような荒れようだが
「ふふ。なんだ、そんなこと。実に効果的な威嚇だったじゃないか。例え悪人でも大怪我をさせれば、君の経歴に傷がつく。仮に罪に問われなくたって、君に人を傷つけて欲しくない。だから良かったよ。君が威嚇で済ませてくれて」
彼らは絢子君がぶち切れていると思ったようだが、私は脅しだと分かっていた。私が暴力を望まないから、恐怖によって追い返そうとしているのだと。
ただ絢子君も年頃の少女なので
「でも、あんな大暴れをして。先生も引いたんじゃないかって」
悪漢には武士のように勇ましいのに、私の前では恥じらう乙女になる。そんな絢子君が可愛くて、私は片目を瞑りながら
「なんの。むしろ惚れ惚れしたよ。非力な里親を悪漢から護ってくれるなんて、うちの絢子君はなんて格好いいんだろうとね」
すると絢子君は再び私の手を取って――。
「先生? 急に微笑んで、どうしたんですか?」
ヴィクター君の問いに、ふと追憶から我に返る。
今日はヴィクター君の誘いで、騎士科の戦闘試験を見学しに来たのだった。
座学にテストがあるのと同様。騎士科や魔法科にも実技のテストがあり、対戦によって優劣を決める。
『最強の騎士見習い』の異名を持つヴィクター君は魔法無しの剣術勝負でも、圧倒的な実力差で見事に1位を勝ち取った。
「いや、久しぶりに君の剣技を見たら、少し昔を思い出してね」
「昔って前世の? 剣道の大会とかですか?」
無防備に問い返すヴィクター君に
「いや? 君が昔、我が家に押しかけた財前親子を追い払ってくれた時のことだよ」
私の返答に、彼はグッと顔を赤らめて
「忘れてください、あんなこと。色んな意味で情けないです」
「君は恥ずかしがるが、私はとても嬉しかったんだよ。本来は護られるべき少女である君が、逆に私を助けてくれたことも。その後、言ってくれたことも」
「その後、私が言ったことって?」
もう何十年も昔のことだから、彼が忘れてしまったのも無理は無い。
あの時。再び私の手を取った絢子君は
『先生が私を護ってくださるように、私も先生を護ります。何があっても、誰が相手でも』
彼女は私より33も年下の少女なのに、まるで姫に忠誠を誓う騎士のようだった。
その頃の私は生まれ変わりが本当にあると知らなかった。しかし人間の魂は形を変えて、どうやら何度も巡っている。そしてその時々で性別や立場は入れ替わり、魂はそれを覚えている。
だからあの時の私は、まるで女性らしくない彼女の誓いに、妙に心を打たれたのかもしれない。
「先生?」
続きを催促するヴィクター君に、私は笑顔で小首を傾げて
「さて、なんの話でしたかな?」
「なんで誤魔化すんですか!? 私はなんて言ったんですか!?」
彼は知りたがるが、意地悪で教えないのではなく
「記憶は変質するものだ。もしかしたら私の記憶違いかもしれないから言えない。それに」
「それに?」
不可解そうに首を傾げるヴィクター君を見つめながら
「記憶は無くても想いが同じなら、また偶然同じ言葉を言ってくれるかもしれないだろう? もしまた君の口から、あの言葉を聞けたら、きっととても嬉しいから。内緒にしておこうと思ってね」
そんな発想が出て来る辺り、私は自分が思っているより彼が好きなのだろう。
私のためなら迷わず、一緒に窮地に飛び込んでくれる。それほど強く確かな想いで愛してくれる人は、とても貴重だから。言葉や眼差しで、その稀有な愛情を何度も感じさせて欲しくなる。
私の甘えに、ヴィクター君は少し照れつつ
「……ともかく私は先生が、とても喜ぶようなことを言ったんですね?」
「そうだね。生まれ変わっても忘れないくらい」
私は健気な彼のことだから「じゃあ、きっとまた言ってみせます」などの返事を予想した。
しかし彼は私の手を取ると、少しムキになったような顔で
「だったら今度は、もっと喜ばせてみせます。想いは変わらないどころか、私はあの頃よりずっと先生を愛していますから」
思いがけないヴィクター君の返事に目を丸くする。どうやら彼は過去の自分にまで負けたくないようだ。
けれど確かに私たちのお互いへの想いは、あの頃よりずっと深く大きくなった。変わらないことより、もっと素晴らしいこと。生きているからこそ味わえる変化。
私にとっての最高を、さっそく更新して来るヴィクター君。きっとこれから先何度も、この胸は彼のひたむきな想いに打たれるのだろう。また形を失って別の何かに生まれ変わっても、魂に刻まれて離れないほど強く。




