追撃
絢子君の冤罪事件は、これで幕を閉じたかに思われた。
ところが夜の8時。玄関の呼び鈴が来客を知らせた。
「こんな時間に誰でしょう?」
「私が出るから君は部屋にいなさい」
絢子君は不安そうな顔をしつつも、素直に自室に戻った。
支度を整えてから玄関に向かう。
予想はしていたが、相手は財前先生と校長。そしてスーツを着た60手前ほどの中年男性だった。
「これは校長先生に財前先生。こんな夜分に約束もなく、突然なんのご用ですかな?」
可哀想に。自己解決能力の無い財前先生と、恐らくその父親である理事長の代わりに、校長が平身低頭で口を開いて
「ひ、昼間の件に関して改めてお詫びと、今後のご相談に参りました」
「初めてお目にかかりますが、そちらの御仁は?」
すでに察しはついているが、いちおう確認すると、本人ではなく校長が
「こちらは本校の理事長で、財前先生のお父様です」
「このたびは息子が大変ご迷惑をおかけしました」
軽く頭を下げたものの「なんで理事長である自分が、こんな小さな平屋住みの男に」という内心が透けて見えた。
「謝罪の前に、改めて皆様に自己紹介をしていただいても? 名前が分かりませんと、こちらとしても話しにくいので」
「あっ、これは失礼いたしました。今、名刺を」
おのおの名刺を取り出そうとしたが、私は片手で制しながら
「いえ、口頭で結構。あなたがたの名刺など欲しくありません」
「わ、分かりました。私は……」
関係者に名乗らせた後。私は彼らを居間に案内した。ただ中に入れる前に
「仕事中で書類が散乱しているので、少し片づけさせてください」
自分だけ居間に入り、話し合いの準備をする。
彼らを招き入れて要件を聞くと
「つまり1千万円で今回の件を示談にして欲しいと?」
私の確認に、理事長はまるでセールスマンのような信用ならぬにこやかさで
「それだけじゃありません。今回の件でお嬢さんは本校にいづらくなったでしょう。こちらが責任を持って新しい学校を紹介します。転校先は本校以上の名門女子高です。引っ越し代の他、卒業までの学費も全てこちらで負担します。ですから、どうか息子1人の不始末のせいで、学校全体を混乱に巻き込むようなことは……」
財前先生1人の暴走によって、学校全体の評判を下げたくない気持ちは分かるが
「要するに大金をくれてやるから、絢子君にカンニングの汚名を着たまま学校を去れと?」
「そ、そんなことは。ただ今のままでは、お嬢さんが学校に通いにくいだろうと」
理事長は否定しているが、絢子君は大勢の前で「カンニングだ」と言われた。それが冤罪だったことを秘密にして欲しいというのは、彼女に無実の罪を被れというのと同義だ。
「一度、話を整理させてください。財前先生は教師でありながら、生徒の絢子君に交際を求めた。それを断られた逆恨みで、彼女にカンニングの罪を着せた。この場にいる皆さん、その認識で間違いありませんね?」
「は、はい」
財前先生、理事長、校長は気まずそうに事実を認めた。
「誰が聞いても悪いのは、教師でありながら生徒に手を出そうとしたご子息です。それなのに財前理事長は学校の評判を守るために、絢子君の名誉を回復することなく事実を隠蔽しようというのですか?」
続けて事実を隠蔽する気かとハッキリ問うと
「お、お嬢さんの名誉とおっしゃいますが、カンニングなんて学校の外ではそれほど咎められる罪ではありません。しかし息子の所業が公になれば、真面目に働いている他の教師たちも色眼鏡で見られてしまうんです」
あまりに身勝手な理事長の回答に、私は内心の怒りを堪えた。
人は個人的に親しくなる前に、まずは外聞や経歴で相手を判断する。カンニングだろうが一度でも不正を犯せば、全く非の無い人間より、どうしたって進学、就職、結婚、あらゆる面で不利になる。
ヤツラはその不利を、なんの罪も無い絢子君に負えと言う。
自分たちを護るために、無実の子に一生付きまとう足かせをつける。それをこの理事長は大したことが無いように言う。
私はその邪悪に、密かにはらわたを煮えくり返らせながら
「教師であることは正しさの証明では無いと、私はむしろ世間に知らしめるべきだと思いますよ。ご子息のことだけではありません。理事長と校長までが世間の非難を恐れて、護るべき生徒に無実の罪を背負えと頼みに来るんですから」
言外に要求を突っぱねると、理事長は不穏な気配を発して
「……つまり交渉には応じられないと? どうあっても、この件を公にせよと言うのですか?」
「ええ。全校生徒に今回の事件が起こった経緯を説明し、ご子息には永遠に教職を離れていただきたい」
ニッコリ返してやると、理事長はちゃぶ台にドン! と乱暴に手を突いて立ち上がり
「そんな条件が飲めるか! 相手は1人、こっちは3人だ! ソイツを痛めつけて成美のメモを奪え! 証拠さえ奪ってしまえば、なんとでも言い逃れできる!」
理事長の指示に、校長は「ええっ!?」と仰天して
「3人って私もですか!?」
「当たり前だ! クビになりたくなければ協力しろ!」
父親の指示に、息子の財前も立ち上がって、じりじりと私に近づいて来る。
私はちゃぶ台の前に座したまま彼らを見上げて
「忠告しておきますが、証拠を奪うために私を痛めつけても罪が重くなるだけですよ」
「ハッ、弁護士風情が偉ぶるな。こっちだって政治家や警察官僚の友人がいるんだ。証拠さえ無ければ、お前が我々に暴行されたと訴えても揉み消してやる」
「ふふ。では、ご勝手に。後日、法廷でお会いしましょう」
この期に及んで余裕の笑みを浮かべる私に、息子のほうの財前はカチンと来たようで
「何を笑っていやがる!? ちょっと頭が切れるからって馬鹿にしやがって! 娘ともども俺に恥をかかせたことを後悔させてやる!」
昼間も私にやり込められて鬱憤が溜まっていたのだろう。彼は乱暴に私の胸倉を掴み上げたが。
バキィッ!
その破壊音は私が殴られた音ではなく。
「なっ、なんだ!? 今の音は!?」
教育者3人が振り向いた先。壊れた障子の向こうにいたのは
「絢子君」
木刀を持ったパジャマ姿の絢子君だった。彼女は殺意の表情で木刀を振り上げると
「あぁぁっ!」
怒声を上げながら、さらに木刀で障子を叩き壊し、壁や畳に穴を開けた。滅茶苦茶に暴れ回る絢子君に、大人たちは「ヒィッ!?」と怯んで
「や、やめろ! いきなりなんなんだ!?」
キレる若者に青くなる大人たちに、絢子君は最後にビシッと木刀を突きつけて
「先生に何かしてみろ。次はお前らがこうなる」
「あ……う……」
彼女の殺気に当てられた彼らは、血の気の引いた顔で足を震わせた。
絢子君は見た目こそスラリとした長身の美少女だが、中身は父親似の豪傑だ。そんな彼女に木刀を持たせたら、まさに鬼に金棒。腹の出たおじさん2人に優男など、たちまち叩きのめしてしまう。
しかし可愛い絢子君に傷害の罪を負わせるわけにはいかないので
「抵抗はやめたほうがよろしい。ご覧のとおり、うちの絢子君は見た目にそぐわぬ剛の者です。障子を叩き壊し、壁や畳を貫くほどの攻撃、食らったら骨折じゃ済みませんよ」
恐怖のあまり固まっている彼らに逃亡を勧めると
「わ、分かった。君の先生には何もしない。だからその木刀を降ろしてくれ」
「誰がお前らのような嘘吐きの言葉を信じる。怪我したくなければ、さっさと出て行け!」
絢子君に怒鳴られた大人たちは「わ、分かった。もう帰るから」と、証拠の回収も忘れて、そそくさと逃げ帰った。




