孤立無援【絢子視点】
午前の試験が終わると財前も合流し、私が本当にカンニングしたかどうか、生徒指導室で話し合いが行われた。
真偽が明らかになるまでは、なるべく大事にすまいと、担任と財前の他に校長と教頭だけ呼ばれた。
「それで財前先生。本当に勝木君がカンニングするところを見たんですか?」
「ええ。このカンニングペーパーが何よりの証拠です。彼女は机の陰に隠すようにして、この紙を見ていました」
例のメモを他の先生たちにちらつかせる財前に
「ですから、そんな紙は知りません」
「さっきも言ったが、このメモに書かれた文字は明らかに君の筆跡だ。君じゃなければ誰が、このメモを書いたと言うんだ?」
私を追い詰める財前の顔には明らかな悪意があった。私は彼を睨み返しながら
「私は財前先生が声を上げるまで、そんな紙の存在気づきもしませんでした。それなのに先生は私がその紙を見ていたとおっしゃる。だとしたら、その紙も先生が用意したものじゃないですか?」
私の指摘に、他の先生方は目を見張って
「つまり財前先生が君に濡れ衣を着せようとしたと?」
「馬鹿な。なぜ教師が生徒にそんなことをするんだ?」
彼らは教師というだけで財前を信じているようだが
「私は以前、財前先生に告白されました。教師の癖に何を考えているんだと手酷く振ってしまったので、その復讐だと思います」
そっちがそう来るならと暴露するも、財前は「ははっ」と一笑に付して
「何を言い出すのかと思ったら、私が生徒である君に告白したって? 教師である僕が生徒に手を出すはずがないじゃないか」
確かに教師が在学中の教え子に告白したなんて、非常識すぎて信ぴょう性が無い。
しかし私の場合は
「財前先生の告白があまりに不快だったので、同じクラスの友人にだけ話しました。彼女に聞けば、追い詰められての出任せじゃないと分かるはずです」
「勝木君はこう言っていますが、どうなんですか、財前先生?」
ところが校長の問いに、財前はいけしゃあしゃあと
「まさか彼女の言い分を信じるんですか? 現場を見たならともかく、彼女の友人は勝木君から話を聞いただけ。なんの証拠にもなりませんよ」
「ですが、財前先生にカンニングがバレるなど事前に分かるはずがない。勝木君があなたに恨まれる理由として、告白の事実を捏造することはできないんじゃ」
幸い先生方は公平に判断しようとしてくださったが
「勝木君の名誉のために黙っていましたが、事実は全く逆。告白して来たのは彼女のほうです。しかし教師が生徒と付き合えるはずがないと当然ながら断りました。美人で優秀な勝木君はプライドが高いから、私に振られた事実を受け入れられず、友人に真逆のことを吹き込んだのでしょう」
カンニング以上に許しがたい名誉棄損に
「どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ!? お前みたいなクズ、例えこの世で最後の人類になっても好きにならない!」
思わず敬語も失せる私に、先生方はオロオロして
「い、いったいどっちが本当のことを言っているのか……」
「形の無い言葉に振り回されるのはやめて事実だけを見てください、校長先生。このカンニングペーパーは、明らかに勝木君が書いたものです。彼女がカンニングしたと言う完ぺきな証拠ですよ」
「だからそんな紙、私は知りません!」
財前による罪のなすりつけを懸命に否定するも
「勝木君……」
先生方は態度だけは同情的に
「君を疑いたくはないが、教師である財前先生が、嘘を吐いてまで生徒を陥れようとするなんて到底信じられない」
「特に財前先生は理事長の息子さんだ。生徒に手を出そうとしたばかりか、濡れ衣まで着せるなんて、非常識な真似はしないだろう」
「素直にカンニングを認めて、二度としないと誓ってくれれば、私たちも悪いようにはしないから」
財前は単なる教師ではなく、この学園の理事長の息子。それが生徒に交際を迫ったばかりか、断られた逆恨みでカンニングの濡れ衣を着せようとした。それが事実だと学校全体のスキャンダルになる。
だから先生方は私のせいであって欲しいのだ。生徒個人の罪なら学校は責任を問われないから。
そんな大人たちの言外の要求に、私は歯噛みしながら
「だから私はカンニングなんて絶対にしていません。嘘を吐いているのは財前先生です」
私が全く折れなかったので、保護者である善道先生が呼ばれた。
やってもいない罪を認めるわけにはいかない。でも私のせいで忙しい先生を煩わせてしまって、本当に恥ずかしくて居た堪れなかった。
午後2時過ぎ。学校の要請で、進路指導室に呼ばれた善道先生は
「絢子君」
三つ揃えのスーツに同色の中折れ帽。先生のいつもの仕事着。仕事中に呼び出してしまったと
「先生、すみません。迷惑をかけてしまって」
こんなくだらない怨恨に巻き込んでしまった不甲斐なさと、孤立無援の状況に先生が来てくれた安堵。色んな感情がごっちゃになって泣きそうになる私に
「謝らなくていい。校長先生から大体の事情は聞いている。カンニングの疑いをかけられたが、君自身は頑なに否認していると」
先生は私の肩に手を置いて、力づけるように微笑むと
「安心しなさい。君の無実は私が必ず証明する」
「先生」
先生はいつも輝いているけど、この時は本当に神様みたいに後光が差して見えた。
しかしそんな私たちを財前は鼻で笑って
「黙って聞いていれば、無実を証明するですって? 自分が育てた里子だから、悪いことをするはずがないと盲目的に信じているんですか? このくらいの年齢の子は、大人には思いもよらないような出来心で罪を犯すんですよ」
この場でコイツだけは私が無実だと知っているのに少しも悪びれずに
「何より教師である僕が彼女のカンニングを目撃しているんですから、これ以上の証拠は無いでしょう」
憎たらしい財前をよそに、先生はニコニコと私を見て
「絢子君。この先生は君に対してやたら攻撃的だが、何か恨みでも買ったのかね?」
「教師のくせに男として見て欲しいだの、ふざけたことを言って来たので「信じられない。気持ち悪い」とお断りしました」
「なるほど。つまりこの証人は、君に振られた恨みがあるわけだね」
穏やかに疑惑を蒸し返す先生に、財前は目を吊り上げて
「だから、それは事実じゃないと否定しているだろう! 教師が生徒に手なんて出すはずが無い!」
大声で威嚇すれば、自分の主張が通るとでも思っているのだろうか?
自分に有利な環境。立場の弱い生徒である私には、それで通用した。でも今は先生がいる。
教師だから生徒には手を出さないと言う財前に、先生は「おや」と眉を上げて
「財前先生は新聞やニュースをご覧にならないのですか? 教師でありながら教え子に手を出して捕まるご同輩が、どんなに多いことか?」
次に他の先生方にも目を向けると
「大人が子どもを傷つけるはずがない。それは理想論であって事実ではないことを、現実の社会を知る皆様なら、ご存知のはずでは?」
「それは確かにそうですが……」
不都合な真実を、先生方は気まずそうに認めた。先生はさらに畳みかけるように
「だいたいなぜ絢子君がカンニングを? 彼女は首席入学して以来、試験ではずっと1位でした。実力でいい点を取れるのだから、不正などする必要がありません」
私は前のお手伝いさんである多希さんがやめてから、代わりに家事をさせてもらうようになった。
それは私を育ててくれる先生への恩返しであり、単にお世話したいからであり、2人だけで暮らしたいからだった。
でも先生が
『君はただでさえ武道の稽古をしているのに、家事までしたら潰れてしまうよ。学生の本分は自分の才能を伸ばすことだ。家事はお手伝いさんに任せなさい』
と優しく反対されるので、私は絶対に家政婦と言う名の他の女を家に入れてたまるかと
『学業も武道も家事も私は完ぺきにやり遂げて見せます。絶対に無理なんてしていませんから、家事をやらせてください』
無理なく完ぺきにやれている証拠に、私は首席を守り続けていた。無論不正などではなく、日々のたゆまぬ努力による実力で。
それにもかかわらず財前は
「だからその実力が嘘だったんですよ。きっとこれ以前のテストでも密かにカンニングしていたんです」
「今日までに絢子君は何回テストを受けたのでしょうか? 常に満点に近い結果を出していたのが嘘だとすれば、彼女は全テストでカンニングしていたはず。今日までカンニングがバレないほど、この学校の監視は甘いのでしょうか?」
先生の指摘を、担任たちはすぐに「いや」と否定して
「本校は常に2人がかりで試験を監視しています。一度や二度ならともかく毎回欺くなんてあり得ない」
さらに先生は私の実力を証明するために
「絢子君の学力を疑うなら、この場でテストしてみたらいいでしょう。この衆人環視の中で、参加できなかった試験の続きをする。カンニング無しでいつもの成績が出せたなら、それが絢子君の真の実力ということです」




