不運なスナイパー
ーーとある狙撃者の話…なのだが…
煌びやかな夜景がドラマチックな夜の都心。その中のとある高層ビルの一室で一人の男が細長い銃身の先を窓外に向けて伸ばしていた。
ー俺の名は“スモーカー”。今日はある人物の依頼を受けてとある大物を仕留めることになった。
“スモーカー”は、黒い得物を手に、窓からの景色を見下ろした。
ーこの夜景がオレを高揚させる。仕事をする上での楽しみはカネとこの夜景だ。
ひと通り夜景を眺めた“スモーカー”は、とあるビルの一室に目線を集中させる。依頼主の情報によれば、今夜はあの部屋にターゲットが来ることになっているのだ。
ーさぁ、まだか? 早く俺に引き金を引かせろ。
“スモーカー”は、早く獲物を仕留めたくてたまらない。仕事を完遂した時の快感を味わいたくてたまらない。
ブゥーン…ブゥーン…
ベルトに装着されたスマホケースから振動が響いた。画面を見ると依頼主からのようだった。
「何だ?」
〈例の人物だが、伝えていた時間よりも遅れそうだ。〉
ターゲットは大物たちが集まるパーティーに出席した後すぐに“スモーカー”が今、銃口を向けている部屋に来ると思われていたが、どうやら移動中に夜の店に寄ったという。
〈というわけで、すまないが少しアンタを待たせるかもしれん。〉
「安心しろ、じっとしてるのは得意だ。だが、あまり待たせすぎると俺の銃が暴れ出すかもしれん。」
〈ふふふ…そうか、それでは引き続き頼むぞ。〉
そう言うと電話が切られた。
ーふふふ、もう少し夜景が楽しめそうだ。
“スモーカー”はスコープから目を離し、肉眼で都心の夜景を眺めた。引き金を引き、ターゲットが倒れた後の快感……考えるだけでウズウズする。
ブゥーン…ブゥーン…
再び着信を示す振動が鳴った。
「何だ?」
〈あっ、夜中に失礼いたします~こちらトマト運輸の者なのですがそちらヤマモト様でいらっしゃいますでしょうか~?〉
(はっ??)一瞬、思考が停止する“スモーカー”。
〈あれ? ヤマモト様で…〉
「あ、はい山本です…」我に戻る“スモーカー”。
〈あっ、山本様、大変失礼ですが今夜荷物をお届け予定だったのですがご不在でしたので連絡いたしました~。〉
「あ~すいません。忘れて出かけてしまいました~。」受け取り日時の変更を忘れていた“スモーカー”。
〈そうでしたか~。では改めて日時を指定して頂ければと思います~。〉
「あ~それじゃ〇月○日の……」新たな受け取り日時を電話越しに指定する“スモーカー”。
〈ありがとうございます~。では改めてお届けに向かいます~。〉
「はーい。お願いしまーす。」宅配業者との電話を切る“スモーカー”。
ーなんてこった…こんな時に。
この状況で宅配業者と荷物の受け取り日時変更の電話をすることになるとは……しかも“スモーカー”でいるべき時に山本に戻ってしまった……次回はちゃんと仕事の人受け取り日時が被らないように用意しておかなければ。
気持ちを切り替え、スコープに目を戻す。ターゲットはまだ来ていないようだ。スコープから見えるペルシャ風の絨毯がしかれた部屋の窓際には誰も座っていない高級そうな二人掛けのソファーが置かれている。恐らくターゲットはこのソファーに座って夜景を楽しむつもりだろう。
ーさぁ、来い。こっちの準備は万端だブゥーン…ブゥーン…
「……ハイッ。」山本に戻る“スモーカー”。
〈あ、ヨウちゃん? もう夕飯は食べた?〉
「………」
〈あら? 繋がってる~?〉
「ウンウン食べたよ。母さん。」返事をする“スモーカー”……ではなく山本陽太。
〈そ~良かった~。〉
「あの、母さんちょっと今、取り込み中で…」
〈あ、そうだったの? ごめんね~。〉
「じゃ、ちょっと切るよ。」
〈その前に一つだけ。今、お母さん東京に来てるの。〉
「は?」
〈久々の都会楽しんでるから。もしかしたら会うかもね~。〉
「あああ、そうなの? わかった。それじゃ。」電話を切る。
ーくっ、今日は着信が多いな。
“スモーカー”に戻った山本陽太は、マナーモードに設定しようと画面を操作する。
ー待てよ? 今、マナーモードにしたら……
宅配業者と母親から着信が来る前、依頼主からターゲットの動きについての連絡があった。もし、この後ターゲットにまた動きがあって依頼主が電話を掛けてきたとしたら……
“スモーカー”は画面の操作をやめ、再びベルトのスマホケースに戻した。
これ以上は依頼主以外から電話は掛かってこないだろう。知人との約束事は今のところないし、アジトの家賃ももう支払った。レンタルDVDの延滞もしていない。
後は静かにターゲットの到着を待つだけだ。煙のように静かに現れ、ターゲットを始末したら煙のように静かにそこから去ってゆく。そこから彼の異名は“スモーカー”となった。
ブゥーン…ブゥーン…
またしてもベルトの辺りから振動を感じた。ゆっくりと取り出したスマートフォンの画面を見る。依頼主だ。
ホッとして電話に出る。
「何だ?」
〈すまない。ヤツはまだそっちに現れそうにない。〉
「今度は何が起きた?」
〈気に入った女を見つけたらしくてな、ま、気が済むまで動かないだろう。〉
「わかった。しかし、煙はそんなに一か所に漂っていられないからな。」
〈すまない。報酬は弾む。〉
「当然だ。」
電話を切る。
ー煙は長居出来ないぞ…
煙のように現れ、煙のように去る。それが“スモーカー”のポリシーだ。
それにしても、ターゲットの野郎は本当に欲にくらみやすいようだ。依頼主によると奴は利益のためならどんなに汚い手段でも使う。その上で自分自身の手は汚さない。そして、女への執着も強い。
ーフンッ、気持ちの悪ぃ野郎だ。
スコープから例の部屋を除く。窓側に向けて置かれたあのソファーにこれから貪欲野郎が座る。
ー俺が…アイツをブゥーン…ブゥーン…
恐る恐る電話に出る。
「もしもし?」
〈あ~度々すいません。トマト運輸の者ですけども~。〉
「ななな何ですか?」どもる山本。
〈マンションの中よ~く見てみたら宅配ボックスがありましてね~〉
「あ~じゃ、そこに入れておいてください。」早口になる山本。
〈はい~かしこまりました~。〉
電話を切る。
ーよく見ろって! マンションの宅配ボックスなんて入口の大量の郵便受けの近く見ればすぐにわかるだろーが! これから人をヤる人間に何度も軽快な口調で宅配業者が電話してくんなっつーの!
自分が仕事で不在の時に日時変更の手間を取らないよう、宅配ボックスに入れてもらえるようにマンションの一室をアジトにしたのに……バカ配達員のせいで仕事の雰囲気が台無しだ。
スマートフォンを見つめる山本…ではなく“スモーカー”。やはり、マナーモードにしておくべきか、依頼主からの連絡のためにそのままにしておくべきか……
煙草に火をつける“スモーカー”。
ー俺は静かなる狙撃者だ。こんなことに動じていけない。
煙を吐きながらスコープを覗く。
ーん?
スーツを着た男たちが数人、部屋に入ってきた。ガタイの良いスーツの男が乾拭きのようなもので軽くソファーの上を払っている。恐らくあそこにターゲットが座るのだろう。
“スモーカー”は、全身に何かがうごめくような感覚を覚えた。不快な感覚ではない。気分が高揚するような何とも言えない感覚。
もう少しでターゲットが弾道に現れる。引き金を引いた瞬間、奴は倒れ、俺は快感に浸る。そしてその快感と共に煙のように去る。
ーさぁーッ! 姿を見せろ! そして俺にブゥーン…ブゥーン…
「な~~んだ!」
〈どしたの? ヨウちゃん?〉
「おオッ、母さん…何だい?」ギリギリ“スモーカー”の状態を保つ山本陽太。
〈え? どしたの? 何かあった?〉
「別に!」
〈そうなの? 実はねお母さん、さっき東京で良いお友達が出来たの。〉
「ナルホドーそれは良かったねぇ。」目はスコープに、右手は引き金に、左手にスマートフォンを持つ、ギリギリ“スモーカー”。
〈それで、この後一緒に夜食をごちそうさせていただくことになったの。〉
「あまり“夜食”を出会ったばかりの人と一緒に食べることは無いけどそれは良かったねェー。」
〈だから、今度あなたにも合わせてあげるね。〉
「モチローン! 予定が付き次第ィー。」
〈それじゃ、じゃあねー。〉
「ウン! また今度ー!」早々に電話を切り、両手で得物を支える。
ーもう少しだ! これでもう邪魔は入らないだろう!
スーツの男たちが動き始めた。ターゲットが入ってきた!
ー大人しく俺の手に落ちろー! 本物の煙だったらもうとっくに消えてるんだからな!
高級そうな革靴が窓の奥から現れる。その横にはハイヒールも見える。
ーやはり女も連れて来たか…ん?
ターゲットと連れの女がソファーに座る。女はターゲットに寄り添っている。
ー…………
隣の女の顔に何故か見覚えがある。
ーオー-フー-クー-ロォォォー--!
ーー終わり