婚約破棄?まあ、ご冗談を。
一流の演奏家が楽器を奏でる王宮の夜会。優雅な空気を割って、一人の男が叫んだ。
「レティーナ!貴様との婚約を、今ここで破棄する!」
その発言に、人々はお喋りをやめ辺りは一気に静まり返った。
叫んだのは、この国の王太子であり私の婚約者でもある第一王子。つまりたった今、婚約破棄を宣言されたのは他ならぬこの私だった。
しかし元々彼は次期国王として、というより人として足りないところがかなりある。
だから私は慌てなかった。
「ほほほ、ご冗談を」
笑みの浮かぶ口元を扇子で隠し、ゆっくりと彼に近づいていく。
夜会とは即ち、形を変えた政治の場だ。私は先ほどまで、彼とは少し離れた場所で大臣たちと談笑しながら腹を探り合っていた。役に立たない彼は置いて。
動揺を見せ、後ずさる彼。
「一体どんな理由で、私との婚約を破棄なさろうと言うのです?」
にっこり微笑むと、彼の端正な顔が引きつった。彼は、顔だけはとてもいいのだ。
「お、俺はおまえが気に入らない。理由などそれで十分だろう!」
怯えながらも虚勢を張る様は、キャンキャン吠える子犬のようで可愛らしい。
非常に調教し甲斐があって。
「全くもって、十分ではありませんわね」
パシンと音高く扇子を閉じると、彼は背筋をビクンと震わせた。
本当に可愛らしい。
思わず、目が弓なりになってしまう。
私を見ていた彼が、小さく悲鳴を上げた。
「私は次期王妃として育てられました。あなたを支え、この国を守るために。この私ほどあなたの妃に相応しい女など、どこにも居りませんわ」
「……だが、俺はおまえでは嫌なんだ!」
震えながらもこちらを威嚇しようとする健気な様子に、ゾクゾクしてしまう。
まるで尻尾を足の間に丸めた犬のようだわ。
「そんなのは、どうでもいい事ですわ」
もう一歩近づくと、端正な顔が泣きそうに歪んだ。
「ど、どうでもいいだと!?俺は次の国王だぞ!?」
虚をつかれ、思わず一瞬足が止まる。
まあ、そんな風に考えていたのね?
本当に可愛らしい人。
……浅はかで。
慈愛の気持ちが湧き起こる。
次期国王として長年教育を受けた筈なのに、この体たらく。王など所詮、国の礎でしかないというのに。
あまりにダメすぎる彼に、愛しさに似たものさえ感じてしまう。
「ええ。次の国王なので、あなたの感情などどうでも良いのです」
国の利益を守る為には、非情な決断に迫られる事もある。本心では嫌でも、首を縦に振らざるを得ない事も。だからどれだけこの婚約が嫌でも、結婚するしかないのだ。それが王族というもの。
なのにそんな事さえ分かっていない彼。
私だって、単純に結婚相手として見れば彼は無い。けれど王妃教育を受けた私には、次期王妃としての責任感がある。個人的な好悪など、どうでもいいのだ。
彼の甘ったれた態度に、決意が深まる。
私は彼と結婚しなければならない。
できの悪い彼を、一番近くで補佐する為に。
この国の為に。
次期王妃は、私でなければならないのだ。男性の言う事に大人しく従うような令嬢では務まらない。彼のおかしな言動を正し、首に縄を括り付けて導ける私でなければ。
そう確信して微笑んだ。
いつだって、自分が必要とされている感覚は良いものだ。ましてや、その為に努力を重ねてきたなら尚の事。
だから私は、そっと彼の手を取った。
白く、血の気が引いて硬直した手を。
彼にはもう、それを振り払う気力はないようだった。
「あなたは、私と、結婚いたします。宜しいですね?」
青ざめ蒼白になった彼の目を覗き込む。心に釘を打ち込むように。
どちらが強いのか、分からせてあげなければ。
しばらくすると、粗相がバレた子犬のように震えていた彼は、力なく項垂れ小さく頷いた。子犬といえども、力関係は理解できたようだった。
私たちの様子を見守っていた周囲の人たちが、詰めていた息を吐いて動き出す。まるで何事もなかったかのように、夜会が再開された。
事実、何も問題など起こらなかったのだ。
全く何も。
余興にもなりませんでしたわね。
うふふ。
現国王: ……おかしいな。ここまで強気な妃になるとは……大丈夫かな?
現王妃: ふふっ……良いではありませんか。これで次代も安泰ですわね。ほほほ