79・側近
さて、春が終わり、夏が近付く。
そろそろ西の温泉施設のお披露目だ。
その前に住民や工事関係者を客に見立てた模擬営業を実施する。
「無料なんですかい?」
タモンさんが奥さんと一緒にやって来た。
「ああ。 しばらくは入場料を取らないから、その代わり必ず感想を書いてくれ」
入場門で保証金を預かり、出る時に感想を書いた紙と交換に金を返却する。
文字が書けない者に関しては子供たちに代筆させることにした。
施設に入れる人数に制限があるため、順番待ちになってしまい、希望者を一順するのに十日も掛かった。
「最初は招待制にするかな」
勝手に押し掛けて、入れないと文句を言う奴が必ず出る。
ここは公爵領なので施設に関しては高位貴族でも文句は言わないだろうが、従業員や町の者たちに八つ当たりされたらかなわん。
その対策のために、僕は溢れた客を受け入れる施設を南の町に作っていた。
工事関係の建物は素早く宿泊施設や飲食店に改装され、さらに一部は管理娼館と隠れ賭博場に変貌している。
最近まで、公爵領の玄関口となっていたのは南の町だった。
この領地は、国の中心を通る街道から外れているので、僕のいる領都に向かう道が当時それしかなかったのである。
開拓地を潰す時に新たな道を街道に接続させ、まず温泉施設の前を通るようにした。
南の町への道は基本隠しておき、特別ご招待者のみに開放するつもりだ。
なんせ『オトナの遊技場』の予定なのでね。
ついでにその町の中央には大きな広場を建設中で、そこに小さな劇場を併設。
地下にはお馴染みの牢と礼拝堂を設ける予定である。
僕はこの事業の準備のために三年を費やしている。
元歓楽街の男たちは鍛え直され、領主に忠誠を誓う兵士に。
女たちは貴族相手にも対応出来る接客を身に付けた。
これで万全とはいかないだろうが、公爵家にとって恥ずかしくない設備にはなるはずだ。
営業開始日には国の要人も視察に訪れることが決まっている。
下手すると王族の誰かが来るかも知れない。
まあ、僕の正体を知っている国王陛下は来ないだろうけどね。
人や馬車の出入りが激しくなり、領地内の全てが慌ただしく動き始めた。
いくら魔物の僕でも少しは緊張するというものだ。
「イーブリス様。 公爵家本邸から招待客の一覧がきましたが」
スミスさんの声が固い。
僕はその紙を受け取って、その理由を察した。
「デヴィ殿下か」
あの子煩悩で心配性の国王が、よりによって第一王子を視察に寄越すとは。
「日程はお披露目前日から一週間。
護衛、側近を含めると三十名を超えます。
どうなさいますか?」
どう、って、もう断れないしな。
「会議を招集しろ」
僕がそう言うとスミスさんは頷き、部屋を出て行った。
「何かあったの、ですか?」
ヴィーに会ってから少しは言葉遣いを改めたリナマーナが僕を見る。
「王族が来るから、それの打ち合わせだ。
当日はそっちも気を付けてくれ」
王子が来ると言うと、さすがのお転婆も顔を引き攣らせる。
そりゃあ男爵の娘程度では接点がないだろう。
「側近や近衛騎士なら名家の子息も多いから、知り合う機会があるかも知れないぞ」
ニヤリと笑ってやると赤毛の男爵令嬢は顔を赤くした。
「べ、別にそんなの必要ないもの!。 私にはちゃんと求婚者がいるんだから」
傍にいたジーンさんが目を丸くする。
「まあ、そうでしたのね。 では相手の家に合わせた教育をしませんと」
貴族相手なら爵位によってかなりやるべきことが違ってくるそうだ。
「あ、いえ、その、まだ、具体的に決まっていませんから」
慌てたリナマーナはそう言って逃げて行った。
僕がそれを見てクスクス笑っている間に主要な人間たちが集まる。
皆、期日が迫っているため落ち着かないので領主館で待機していたのだ。
会議用の部屋を使って、まずは王子の情報を共有する。
「イーブリス様より一つ年上なんですね。 面識はございますか?」
ボンは何が知りたいんだ。
料理の嗜好なら僕でも知らないぞ。
「ああ。 あの王子は僕が王都を出る時、公爵邸に押し掛けて来て、盛大に泣いて引き留めようとした」
一瞬、部屋の中が静まり返る。
「それはまた」
デラートスさんが呆れたと呟く。
「殿下も来年は成人です。 王太子になられるとの噂もありますし、今更子供のようなことはなさいませんでしょう」
スミスさんが冷静に判断する。
だと、いいけどな。 大勢の前で泣かれたらさすがに困る。
開業前日に来るなら、まず王子一行にはそのまま温泉施設に入ってもらい、翌日から領主館で接待かな。
「うーむ、一週間も何すりゃいいんだ」
狭い領地なので歩き回ってもせいぜい三日あれば終わる。
というか、見るべきモノなんて温泉施設くらいしかないだろう。
「王子殿下も長旅はさすがにお疲れでしょう。
ごゆっくり休んでいただければよろしいのではないですか?」
スミスさんの言葉に皆が顔を見合わせる。
「あー、なるほど」
それ採用。
すぐに客間の準備を頼む。
最低限の従者と側近並びに護衛を本館で、後は兵舎に放り込む計画を立てる。
招待客の一覧には他に目ぼしい相手はいない。
公爵家より上は王族しか存在しないからな。
「一部護衛騎士はソルキート隊長に任せる。
適当に訓練でも、魔獣狩りでもさせておけ」
「承知いたしました」
側近という腰巾着はどうせ王子の傍を離れないだろうし、一緒にゴロゴロしといてもらおう。
「ジーン、王子がいる間は子供たちにはあまり側に近寄らないように言っておいてほしい。
町に親がいる者はなるべく家に帰らせてくれ」
王族に同行する者は貴族が多い。
機嫌一つで住民に怪我でもさせられるのは僕の気分が悪い。
出来るなら、サッサと帰ってもらいたいからな。
「王族一行なんて、悪さしても牢にぶち込んだり出来ないし、邪魔なだけだ」
普通の腹黒貴族なら大歓迎だよ。
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公爵家の孫であるアーリーは、第一王子の側近として王宮に行くことが増えた。
側近といってもアーリーはまだ学生のため、今のところは将来の補佐官候補である友人といったところだ。
「デヴィ殿下が僕をリブの領地視察に連れてってくれるって!」
たったそれだけのためにアーリーは王宮への出入りを始めた。
北の領地には馬車で片道十日はかかる道のりのため、アーリーは王子とのお茶会や近衛騎士団の訓練に参加させてもらいながら親睦を深めようとしている。
王宮では、六年以上前の『イーブリスの出入り禁止』や『宰相辞任』などで公爵家の印象はあまり良くない。
そんな冷ややかな視線を受けながらも、アーリーは明るく振る舞う。
「前はあんなに嫌がってたのに」
アーリーの従者を務めるエイダンは、当日も同行を予定している。
「アーリー様、私も行きたいです!」
学校での取り巻き一人、父親が公爵家騎士団精鋭であるワイアットも、王宮の近衛騎士団の訓練に無理矢理参加した。
お蔭様で何とかアーリーの護衛として視察隊に潜り込むことに成功する。
もう一人いる文官志望の友人は、
「お前たちが出掛けている間の授業を記録しておいてやる」
と、留守番を決め込んでいた。
エイダンは、あれは単に馬車酔いが嫌なだけだなと思っている。
「デヴィ殿下、もうすぐですね」
王宮の一室。
最近アーリーは王宮の奥、ダヴィーズ王子の部屋で打ち合わせをしていることが多い。
「ああ、リブがどんな顔をするか。 とても楽しみだ」
「はい」
アーリーと王子は顔を見合わせて微笑む。
だけどアーリーには不安があった。
「あの、すみません。 王子の側近って何をすればいいんでしょうか?」
「そこは曖昧だな」
まだ未成年で学生でもあるので、特に仕事があるわけではない。
きちんとした従者も護衛もいるのだから。
「今回は楽しめばいいさ」
北の領地へ向かう日が近付いていた。