75・恋敵
それから僕とヴィーはのんびりと休暇を過ごしていた。
何故かって?。
せっかく婚約者が来てるのに仕事するなって取り上げられたんだよ。
急に客が現れたことに関しては、王都からの行商人が月に数回、領主館に出入りしている。
内密だからとその行商人の馬車に紛れてやって来たことにした。
僕の代わりにメガネメイドのヘーゼルさんが、執務室で書類仕事を手伝っている。
老舗商会のお嬢さんらしく計算は元より字も綺麗だし、分からないことはちゃんと訊いてくれる。
但し、スミスさん限定だけどね。
しかもジーンさんともなんだが和気あいあいとしてるし。
ここに来てすぐの頃、ギスギスしてたのが嘘みたいだ。
つまらんなあ。
その日、僕は私室でヴィーと二人で山から戻って来ていたリルーを撫で回していたら、邪魔が入った。
「あんた、誰?」
ブリュッスン男爵令嬢の妹の方、リナマーナだ。
気安い言葉遣いをしているのは僕が許可している。
人質とはいえ生気を貰うのだから、出来るだけ瘴気の少ないほうが良いのでね。
しかし、予定より早く戻って来たな。
「やあ、お帰り。 東の農地の具合はどうだった?」
「あっちはお姉様がちゃんと見て下さっているわ。 ってか、話を逸らさないで」
そっちこそ話を逸らしているだろうに。
「顔は知らなくても噂くらいは知ってるだろう?。
ロジヴィ伯爵家ヴィオラ嬢、僕の婚約者だよ。 休暇を利用して遊びに来ている」
学校で顔ぐらい知っているかと思ったが、そういえば男爵家は長男だけしか学校へ行っていない。
入学金の問題もあるが、女の子の場合は外には出さずに家庭教師を付ける家もあるんだ。
色々と物騒だからね。
リナマーナはヴィーに対し淑女の礼を取った。
「ええ、噂は伺っておりますわ。 ごきげんよう、ヴィオラ様も大変ですわね」
リナマーナが聞いた噂って、あれか、婚約者に放置されてるってやつか。
「ごきげんよう、リナマーナ様。 イーブリス様がお世話をなさっているという男爵家のご令嬢ね」
お世話かねえ。 人質ってのはどういう扱いなのかは知らないが。
お、なんか女同士でバチバチしてる?。
僕のニヤニヤした顔を見てスミスさんがため息を吐き、女性二人の間に入った。
「お帰りなさいませ、リナマーナ様。
どうか、お仕事を優先させて下さい。 それと姉君のミーセリナ様はどうされました?」
「ああ、あれね」
リナマーナは執務室の自分の机に戻り、不機嫌そうにドサリと座る。
「お姉様はどうやらあの農業馬鹿のボヌートスに恋しちゃったみたい」
ほお?。 まあ、元は自分の兄の従者だったわけだから顔見知りではあったのだろう。
見知らぬ土地に来てからは何をするにも一緒だったみたいだしな。
「なーんか熱い目で見つめ合っちゃって。 私はお邪魔みたいだから先に戻って来たのよ」
それは大変だったな。
姉の話はまた後日にして、僕は改めてリナマーナの報告を聞く。
姉の方は既に成人したので僕としてはどうでもいい。
ヴィーが王都へ戻る日が近付き、どんな話をしたのかは知らないが、いつの間にかヴィーとリナマーナは仲良くなっていた。
偽装用馬車は九日前に出立し、明日は彼女を隣の町まで送って行く。
そのため今日は、僕の部屋で二人だけで夕食を摂っている。
「とても楽しかったですわ」
「それなら良い」
なんだろうな。 またヴィーから、あの甘酸っぱい香りがした。
どうも、こうして二人だけの時間に多く出ている気がする。
その度に僕は無性にヴィーに触れたくなった。
あの生気を身体中で受け止めたい。
訳が分からないから、実際にはそんなことはしないけどな。
翌日、僕たちは密かに南の町にある指定の宿に行く。
「ありがとうございました、イーブリス様」
とてもいい笑顔で資料や帳簿を抱えたカートさんと、ジーンさんと別れを惜しんでいたメガネメイドのヘーゼルさんも一緒だ。
その宿の一室から闇の穴を開いて王都の隣町の宿へと送る。
そこには公爵家の馬車が待っているはずなので、ヴィーたちはそれで伯爵家に戻るのだ。
ヴィーが王都へ帰ってから、リナマーナはあまり僕に付き纏わなくなった。
「それより、マールオ兄様から何か言って来てない?」
「いや、今のところはないな」
リナマーナは心配そうにため息を吐いた。
噂では聞いている。
母親の跡を継いで農作物の取引を担当している男爵家嫡男が苦戦していると。
「三年前に僕が言ったこと、覚えてるといいんだが」
マールオは嫌だろうけどさ。
もしかしたら、他にも相談に乗ってくれそうな当てがあるのかもな。
そういえば、リナマーナに求婚してた者がいるとは聞いたが、あれはいったいどこの誰なのかはまだ分かっていない。
余程、その申し込みが嫌だったのか、男爵家から外に出ていない情報のようだ。
秋の収穫が近付いて来たある日、とうとうマールオがやって来た。
「久しぶりだな。 男爵夫人の体調はだいぶ良くなったと聞いているが」
「ご心配ありがとうございます]
あれから夫人はマールオに仕事を任せているらしい。
こちらとしては、姉の方は解放したと伝える。
「妹の方はまだしばらく居てもらうが」
僕がそう言うとマールオは目を逸らしたまま、ため息を吐いた。
「イーブリス様もですか。 うちの赤毛の妹は何故か悪魔みたいな奴に好かれるようだ」
ピクッと僕の眉が動く。
今、なんて言った?。
「ほお、噂のリナマーナ嬢の求婚者のことか?」
「ええ、ご存じなんでしょう?」
公爵家で既に情報を掴んでいると思われていたようだ。
「うちの領地と隣接している隣国の領主で、今は先の内乱で国王になったらしいですよ」
うわっ、意外と大物。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
公爵領で休暇を過ごしていたヴィオラが王都へ帰る日が近付いていた。
その日の夕食後、ヴィオラの部屋にリナマーナが訪ねて来た。
「ヴィオラ様、少しよろしいでしょうか」
「どうぞ」
ヴィオラは微笑んで迎え入れ、お茶を出した後、メイドのヘーゼルを下げた。
「ヴィオラ様はどうしてこんな田舎に来たんですか?」
「ふふっ、私がそうしたいと思ってお願いしました」
向かい合わせに座った二人は改めてお互いを見る。
(リナマーナ嬢は何も知らないようね)
ヴィオラにとって、イーブリスから魔物であることを告げられていないのであれば恋敵には成り得ない。
「リナマーナ様こそ、どうして彼に執着なさいますの?」
リナマーナは、イーブリスの傍にヴィオラがいると不機嫌さを隠さない。
どうやらリナマーナはイーブリスが彼女の赤毛に興味を示さなかったことが気に入ったらしい。
人間の見た目などに興味がないイーブリスらしいとヴィオラは思う。
年に一度しか会いに来てもらえない婚約者。
公爵家の問題児を押し付けられた伯爵令嬢。
ヴィオラはそんな噂など気にもしない。
「私は彼の役に立つなら他に何もいらないの」
そのためにどうすればいいのか、常にそれを考えている。
「ヴィオラ様は虚しくなったりしないのですか?」
自分のせいではないのに褒められて、貶されて、悔しくて、情けなくて。
リナマーナは幼い頃からそんな理不尽に耐えて来た。
「ええ。 一度もありませんわ」
他人の心など自分がどうこう出来るはずがないのだからと、ヴィオラはただ笑顔を返した。
「イーブリス様は何か仰いませんの?」
「あの方はそういうことに興味がございませんもの」
イーブリスは気にしない。
だからこそ、ヴィオラは自ら強く望み、訴えたのだ。
『一生、傍に置いて欲しい』と。
「その答えが『婚約』だったの」
リナマーナは言葉を失う。
公爵家血筋で美形男子の友人がいるのだと、リナマーナは赤毛を笑う者たちを見返してやりたかっただけだ。
自分は何の覚悟もない、ただの見栄張りなのだと気付いたリナマーナはヴィオラから目を逸した。