74・休暇
昼食後、大人しくしていてくれたヴィーを連れ出す。
「よろしいのでしょうか」
「僕にも休憩は必要だからね」
メガネメイドさんはスミスさんに預けた。
彼女はこれからもヴィーの側付きになるならば、一緒にこちらに来る可能性がある。
領地での仕事の指導が必要になるのだ。
今頃はジーンさんと三人で顔を突き合わせているだろう。
ククッ、楽しいことになりそうだ。
子供たちの多くはこの時間は館にはいない。
午後からは実習と決まっていて、町で実際に働く人の手伝いをやったり、兵士の訓練を受けたりするからだ。
僕は中庭にヴィーを連れて行く。
「わあ、手紙にあった温室ですね」
チラホラと咲き始めた薔薇が良い香りを漂わせている。
「あ、ブランコ」
「うん、ここの子供たち用にね」
ヴィーは僕を見てモジモジし始めた。
「私、イーブリス様と二人だけで乗ってみたかったんです」
そうか。 僕は本邸のブランコは滅多に乗らないしね。
「いいよ」
そう言ってヴィーの手を取り、横に並んで座る仕様の二人用ブランコに一緒に座る。
そして、生気を貰うために片手を繋いだまま、ポツポツと話をした。
婚約直後に離れ離れになり六年が経つ。
会うのは年に一度のダンスパーティーくらいだ。
誕生日には公爵家本邸から何か適当に贈ってもらっている。
「そういえば、キミに渡すモノがあるんだ」
ヴィーはキョトンとした顔になった。
「まだ未成年だから婚約の証の指輪とかが無いだろ?」
スミスさんの結婚祝いに指輪をデラートス雑貨店に注文した時、婚約の場合はどうなるのか訊いた。
そうしたら、高位貴族で成人なら婚約指輪を贈ったりもするそうだが、未成年の場合は基本的に何か代わりになる装飾品を贈るらしい。
成長中の指にはすぐに合わなくなるからな。
調整機能付きの指輪は魔道具で高価なため、未成年は滅多にしないという。
僕はゴソゴソとポケットを探った。
「公爵家からはドレスと装飾品を贈ったけど、僕自身は何もしていないから、その代わり」
ブランコから立ち上がり、ヴィーの前に手のひらを開いて見せる。
薔薇の花の模様が浮かぶ、暗い赤の小さな丸い石。
耳たぶに埋め込む形の耳飾りだ。
人間の記憶だとピアスというらしい。
これはアーリーのイヤーカフと同じ魔物である。
アーリーのは初めて作ったせいか、とても簡素な形で、ただの真っ黒なイヤーカフだった。
闇の精霊によると、僕は何度かフェンリルになっていたせいか、魔物を操る能力が向上した。
そのために色や形を、ある程度変えられるようになったという。
「綺麗な色ですね」
ヴィーが頬を染めてピアスを見ている。
「着けてあげる。 少しだけ痛いけど我慢してね」
目を閉じたヴィーの片方の耳に触れる。
思ったより耳が小さいな。
ちょっとピアスの魔物を突いて、もう少し小さくさせる。
よし、ちょうどいいかな。
ヴィーの耳たぶに押し当てると、ピクッと肩が揺れた。
ああ、そりゃ痛いよね、ごめん。
僕はヴィーの耳たぶをぺろっと舐める。
「キャッ」
ヴィーは身体を硬直させ、真っ赤な顔になっているけど大丈夫かな?。
唾液に魔力を込めて皮膚を麻痺させ、ピアスを押し込んで貫通させると漏れた血を拭き取っておく。
ヴィーは既に僕の所有物だ。 今さら血を舐めて契約する必要はない。
もう片方も同じようにピアスを埋め込み、魔物にはヴィーを癒すように指示する。
ヴィーが落ち着いてから薔薇に囲まれたベンチへ誘った。
「大丈夫?」
「はい、もう痛みはありません」
ヴィーは片耳に軽く指で触れながら微笑む。
「これは使い魔が作った魔物を僕が細工をして、魔道具に見せかけている。
キミに何かあれば僕に知らせてくれるから」
ヴィーは頷く。
「キミは僕に捧げられた生贄だ。 他の誰にも渡さないし、傷付けさせない」
不味くなるからな。
「はい」
ヴィーは何故か嬉しそうだ。
監視とか束縛って嫌じゃないのか?。
んー、人間ってよく分からんな。
ヴィーから、またあの甘酸っぱい生気が漏れ出してくる。
人間の生気は身体の成長と共に溢れる量が減っていくのに、ヴィーのこの変わった生気は増えている気がした。
このまま増えるなら、ヴィーを成人してからも傍に置いておいてもいいな。
そんなことを考えながら、子供たちが帰って来るまで温室の中で二人きりの時間を過ごした。
翌朝には来客の話は屋敷中の公然の秘密になっている。
それなら、と遠慮なく僕とヴィーは館の外へ出た。
「わあ、可愛いです」
「普通の鳥よりデカいけどな」
魔鳥の放牧柵ではパタパタと歩き始めた魔鳥の雛が蠢いている。
「こいつらは成長すると冬の前に卵を産む。
そうしたら肉とか羽毛とか、いくつかの素材にして、それを町の特産品に加工する」
僕はヴィーに領地の産業を説明していく。
去年は二十体を育てていたが、今年はもう少し増やしているらしい。
ん?、いったい何体いるんだ、これ。
「おい、卵をいくつ孵化させたんだ」
鳥舎にいた子供に声を掛ける。
「へ、へい、ごじゅう……」
多過ぎ!。
「だって、この鳥の肉がすごく美味しいんだもん」
「馬鹿だな、その肉になる前に餌が大量に必要になるから個体数を制限してんだ」
僕は世話係の子供を軽くぽかりと叩く。
絶対アーキスのヤロウが入れ知恵してるな。
見つけたら賃金減額を言い渡してやる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
王都でも老舗の大商家の娘であるヘーゼルは、十八歳で大貴族である公爵家に勤めることになった。
親の店で働くことも考えたが、優秀な成績で学校を卒業したお蔭で貴族の家で働かないかと話が来たのである。
「貴族は怖いからね!」
何故か、学生の頃からの友人たちに「これを掛けなさい」と、就職祝いにメガネを貰う。
しばらくは厨房での雑用係だった。
それはそれで特に嫌ではない。
ヘーゼルは、貴族の大豪邸で働けることが楽しかったので、仕事内容はなんでも良かったのである。
特に公爵家の使用人はあまり貴族や平民で区別がなく、仕事が出来るかどうかが重要だった。
ある日、執事長という、使用人の中でも一番偉い人に呼ばれた。
「ヘーゼルです。 何か御用でしょうか」
「急で申し訳ないが、公爵様の孫のイーブリス様付きメイドをしてもらいます」
「わ、わたしがですか?」
ワタワタしていると、一人の若い執事が近付いて来た。
「私が指導します。 スミスといいます、よろしく」
細身の見栄えのする青年だった。
ヘーゼルは少しだけボーッとなった。
孫のイーブリスはまだ五歳。
毎朝、新聞の記事や貴族報という社交界の噂を集めたものを読み聞かせるのがヘーゼルの主な仕事だ。
五歳にしては、悲惨な事件や泥沼な噂を聞いている時のイーブリスは上機嫌である。
時たま一緒に、事件のあった地名を地図で探したり、貴族報に出てきた人の家系や経歴を調べたりするのはヘーゼルも楽しかった。
段々と打ち解け、イーブリスの信頼を得ていく。
「ヘーゼル、ありがとう。 助かるよ」
先輩であるスミスから色気のある笑顔を向けられ、ヘーゼルは腰が抜けそうになる。
「い、いえ、とんでもないです。 わ、わたしは、坊ちゃんのお役に立てれば、それで」
二人で助け合ううちに、ヘーゼルはスミスに魅かれていった。
しかし、突然、イーブリスが事件を起こす。
そして、それは公爵の宰相辞任、イーブリスの転地療養に繋がる。
「え、スミス様も行かれるのですか?」
「勿論です。 私の主はイーブリス様ですから」
ヘーゼルは呆然となった。
せっかく仲良くなれたと思っていたのに。
なんとか公爵領に行く機会を伺っていたら、イーブリスが婚約者を招くという。
「是非、お供させて下さいませ」
ヘーゼルは自分からヴィオラ専属を願い出た。
スミスに会いたい一心だった。
しかし。
「私の妻です」
そこには身重の美しい女性がいたのである。