73・到着
今夜、ヴィーたちを乗せた馬車は王都の隣町の宿で停まる。
そして僕は夜遅くに、指定の部屋と領主館の寝室を闇の精霊に繋げさせて迎えに行く。
遠距離は夜のほうが楽なんでね。
「夜分すまない」
部屋に現れた僕を見て、待機していたヴィーが微笑む。
暗闇で見えないはずだが気配か声で分かったのかな。
先にカートさんと、公爵家でヴィーの担当になっているメガネメイドさんを闇の穴で移動させよう。
明かりは点けずに二人を穴に突き落とし、僕はヴィーの手を静かに握る。
「足元の床が一瞬だけ消えるが問題ないか?」
「はい、大丈夫です」
囁くように会話を交わして二人で穴に入ると、すぐに部屋に到着する。
着地に失敗したのか、カートさんとメガネメイドが床に座り込んでいた。
「お待ちしておりました」
スミスさんが小さな明かりを持って出迎える。
「皆様、ようこそ、いらっしゃいました」
ジーンさんもスミスさんの隣で優雅に礼を取る。
身重なんだから出迎えはいらないと断ったんだが、
「イーブリス様のご婚約者は将来、領主夫人になられる方ですから、しっかりご挨拶したいのです」
と、言う。
はあ、そんなもんですかね。
「まずはお部屋へご案内いたします」
カートさんをスミスさんが、女性二人はジーンさんが連れて行く。
詳しいことは明日の朝に説明することにした。
とりあえず、三人は今日から二十日間ほど、公爵領に滞在することになっている。
僕は着替えてベッドに入った。
翌朝、朝食は僕の部屋に運んでもらう。
まだ馬車が到着していないから、客がいるとは誰も思っていない。
不思議そうな顔で給仕担当の子供たちが運んで来た。
「内緒のお客様です。 他言しないように」
スミスさんがきっちり指導するが、そりゃ無理があるだろ。
「大丈夫です。 今回は秘密がどれくらいの速さで広まるのかの検証ですので」
隠す気なしか。
「あの、スミス様。 もしかして昨夜の身重の女性はー」
「ええ、私の妻です」
ニコリと笑うスミスさんに、何故かメガネメイドさんが衝撃を受けていた。
おや、もしかして狙ってた?。
職場恋愛は自由だけど、一言聞いていれば何とかしたのにね。
たぶん余計なこともいっぱいしたと思うけど。
「おめでとうございます。 赤ちゃんもお産まれになるんですね」
ヴィーが自分のことみたいに喜んでいる。
「ありがとうございます」
ジーンさんが食後のお茶を淹れながら優しく微笑む。
元々仕草が綺麗な人だったけど、スミスさんと結婚してからは益々磨きが掛かっている。
「あ、あの、どちらのご出身なんでしょうか」
メイドさんが給仕も忘れてジーンさんに詰め寄る。
この場合の出身は、貴族の家柄のことだ。
「あ、はい。 私は王都から西の街の子爵家の養女でございます」
ああ、ジーンさんを引き取った老婦人は子爵夫人だったのか。
「そ、そうですか。 失礼しました」
確かメイドさんは王都でも裕福な商家出身のはずだ。
メイドさんにとってはスミスさんは憧れの先輩という感じ。
平民だが良家のご令嬢なので公爵家に行儀見習いで奉公に来ていた。
使用人同士なら本人たち次第で何とかってとこだったのかもな。
この世界では貴族と平民とか、家格の違いが結婚の妨げになることが多い。
それを乗り越えるには「真実の愛」と「莫大な金」が掛かるらしい。
要は誹謗中傷に耐える覚悟と、相手に釣り合う身分を買うための多額の金だ。
「そっか、スミスの実家もお貴族様だったっけ」
僕の言葉にスミスさんが頷く。
「とうに没落しておりますが」
うん、建前上な。
スミスさんはその後、例の白髭の騎士団長の家に引き取られている。
偽名まで使って隠してるので、まあそこは追求しないさ。
「それでは私は南の町と新しい施設の視察に行ってまいります」
侯爵家出身のカートさんは、武官の家柄らしく乗馬は得意だ。
馬を一頭貸すと、確認書類を一式詰め込んだ鞄を肩に掛けて出て行った。
抜き打ち検査か。 がんばれ、技術者諸君。
僕が執務室で仕事をしている間、ヴィーは同じ部屋の中で接客用の椅子に座り、何やらニコニコしながら僕を見ている。
「退屈だろうが、しばらく我慢してくれ」
そう言うと、ヴィーは首を横に振る。
「いえ、お気になさらず。 私はこうしてイーブリス様の近くに居られるだけで幸せです」
そっか、それならいい。
僕は昨日の視察の報告書を仕上げる。
男爵家姉妹はどうしているかというと、指導者の青年と共に東の農地へお出かけ中だ。
何かと僕に付き纏う妹にヴィーを見せたくないので追い出した。
邪魔臭いんだよ。
「あの、イーブリス様。 ローズさんはご一緒ではございませんの?」
「ローズは仕事があるからな」
「えっ、イーブリス様をお守りする以外にお仕事があるのですか?」
首を傾げるヴィーに、スミスさんが地図を広げて見せる。
「公爵領は三方が山に囲まれた土地です。
南には町があり、隣の領地と道が繋がっています」
スミスさんの長い指が地図の上を滑り、ヴィーだけでなく、ジーンさんやメイドさんまでがそれを目で追う。
「東の山の中腹付近に湖があり、ここから水を引いて農地を開発中です。
北から西にかけて魔獣が棲む森が広がっていまして、その向こうにある山が隣国との国境になります」
女性たちはウンウンと頷く。
「この北の森の中にイーブリス様が魔力結界の魔道具を設置なさいまして、魔獣と人間の住む場所を明確に分けたのです」
「ローズは新しい群れを作り、その森の中で魔獣の監視をしている」
僕がそう説明するとヴィーの目が輝く。
「それではローズさんは大変な仕事を任されておりますのね。 私もがんばらないと!」
ヴィー、何をがんばるのか分からんが、キミに出来ることはないと思うよ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ヴィオラは往復二十日間掛かる公爵領へ向かうことになった。
学校は休みに入っているが、休暇はひと月しかない。
「皆、大袈裟よ。 往復の道程は公爵家の騎士団が護衛してくださるし、向こうに着いてもすぐ戻るんだから」
勉強や新学期の準備を考えると、向こうに行ってもすぐに戻って来なければならないのだ。
「本当に遠いわよね」
双子の妹のリリアンは呆れたようにため息を吐く。
「ふふ、大丈夫よ、リリー。 馬車の中で勉強も出来るし、私はイーブリス様の領地を一目見るだけでも楽しみだもの」
今回の旅には公爵家で勉強を見てくれている文官のカートさんが同行してくれる。
長い移動時間の間、勉強を見てもらうということで両親の許可をもらった。
「それでは行って参ります」
「危なくなったら公爵家の孫でもぶっ飛ばして良いんだぞ」
「気を付けてね」
「ド田舎なんでしょう?、退屈だと思うから私の本、貸してあげる」
「ありがとう、リリー。 お父様、お母様、行って参ります」
「それではお嬢様をお預かりいたします」
カートとヴィオラ、そしてメガネのメイドが公爵家の紋章が付いた馬車に乗り込んだ。
公爵家騎士団に護衛された馬車はゆっくりと伯爵家を出発する。
王都の隣町の宿にイーブリスが出迎えに現れる。
それだけでもヴィオラにとっては涙が出るほど嬉しい。
ああ、胸が凄くドキドキして止まらない。
「足元の床が一瞬だけ消えるが問題ないか?」
(イーブリス様がこんなに優しいなんて!)
「はい、大丈夫です」
闇の中では表情は見えないと分かっていても笑顔で答える。
手を取ってもらい、闇に足を踏み入れた。
ヴィオラはイーブリスにどこまでもついて行くと、とっくに決めている。
(このまま二人で闇に消えてしまいたい)
そんないけないことを考えてしまった。
残念ながら無事に床に足が着く。
朝方になって窓の外を見ると、豊かな森とまだ白い山が近い。
「綺麗。 ここがイーブリス様の領地」
ヴィオラは窓を開き、冷たく澄んだ空気を吸い込んだ。