99・計略
僕はその夜、王都の本邸にいた。
お土産や、熊魔獣の内臓などを執事長に渡すためだ。
「大旦那様にも是非お顔を見せて下さいませ」
アーリーが長期不在なので、かなり寂しがっているらしい。
「分かりました」
僕もアーリーがいないと分かっていたから、本邸には顔を出さなかったしね。
「お祖父様、少しお話してもよろしいですか」
「勿論だ。 アーリーはもう領地を出たのだな」
「はい」
もう領地にアーリーがいないから本邸に顔を出したことはバレバレである。
苦笑いを浮かべながらお祖父様の執務室でお茶を頂く。
さて、ついでのような今日の本題。
「実はシーザーの番を用意しようと思うのですが」
王子一行の件が終わったらグルカに番を選ぶ予定になっているので、シーザーにもどうかと聞きに来た。
クォン
お祖父様の足元から僕の傍に移動して来たシーザー。
【父上が選んだ子ならいいです】
特に好みはないらしい。
というか、自分の環境が特殊だということを理解しているのだろう。
だから自分の好みでは選べないと。
まるで高位貴族の結婚事情と同じだな。
うちの息子、賢過ぎない?。
「分かった。 では、何体かをこちらに連れて来る。
その中から、この環境に馴染めそうな娘を選べ」
【分かりました】
少し期待しているのか、尻尾が嬉しそうにユラユラする。
お祖父様も執事長もほっこりした笑顔だ。
「でも、お祖父様。 また一体、魔獣を増やしても大丈夫なのですか?」
番ということは、これからも増える可能性がある。
「ふむ。 それはこちらで考えよう」
「ではお願いします」
そうして、グルカとシーザーの番選びが本格的に始まった。
昨年の冬に産まれた群れの子狼は全部で八体。
そのうち雌は四体である。
グルカは子狼には興味がないようで、既に成体になっている雌狼を追い回していた。
「アーキス。 どの子ならグルカに合うかな?」
「選ぶのは雌のほうですからねぇ」
だってさ。
僕は一応、群れの頭になるんだけど、仲間に強要は出来ない。
とりあえずカシラに訊いてみる。
【坊ちゃんは誰にでも気がある振りをするからですよ】
あー、なるほど。
「この子って決めて、その子だけに集中しろってことか」
【え?、だって皆、俺を見ると逃げるし】
逃げる?、なんで?。
【坊ちゃんは魔力が違い過ぎますからね】
あー、グルカもフェンリルの子だからなあ。
恐い魔獣だと思われてるみたいだよ。
「魔力感知が鋭いダイヤーウルフにしたら、自分たちより魔力が多いと脅威なのか。
てか、なんで坊ちゃん?」
【頭の息子さんですからな】
なるほど。
「とりあえず、グルカ。
相手を一体だけに決めて、魔力多いけど怖くないよーってゆっくりお近付きになる感じでいけば良いらしいぞ」
【そうなん?】
ちょっとバカっぽいけど、グルカはこれでも優秀なダイヤーウルフなんだよ。
気配察知も得意だし、気配を消すのも上手い。
「おい、なんで気配消して近付くの?。 相手がビックリして逃げるだろうが」
【あ】
あ、じゃない。
夏の終わり頃には、グルカは真っ黒な毛並みに、胸に白い毛がある美狼魔獣と番になっていた。
シーザーに関しては四体の子狼たちと個別に会わせて様子を見ている。
本邸に慣れてくれるのが一番だからな。
もう少しお待ちください。
領地の北の山に、あれから王宮のフェンリル様が頻繁に顔を出すようになっている。
「何か御用ですか?」
【何もないが?】
とは言うものの、どうやらリルーが可愛くて仕方がないらしい。
「聖獣様。 ご自分の娘ですからね?」
【うむ、分かっておる。 光魔法に目覚めたようだから指導してやろうと思ってな】
番探しではないらしい。
「僕が浄化されてしまうので、光魔法は治癒だけで止めて下さい」
これ以上、瘴気を消されてたまるか。
【しかし先日の瘴気は異常であったぞ】
うん、そうなんだよね。
カシラの話では、若い狼魔獣たちは群れを離れた後、どうやら隣国へ向かったようだ。
山を越えた辺り、北西から瘴気が流れて来ている。
それを追って行ったみたいだ。
【魔獣は瘴気を取り込んで強くなるが、魔力や体力がその個体に見合わなければ悪い気に晒されて自我が無くなるぞ】
フェンリル様がそう言った。
きっとアイツらは強くなりたかったんだろう。
だけど、強すぎる瘴気に晒されて、またこちらに逃げ戻って来た。
既に遅かったみたいだが。
「凶暴化した熊魔獣も入り込んでいました。 山の向こうで何かあったのかも知れません」
【ふむ。 しかし、我はこの国の王宮に棲んでいるせいで、他国の領地には勝手に入れないのだ】
招待されるか、許可を得ないといけないらしい。
様子ぐらい見て来て欲しかったが、使えない聖獣様だな。
【何か言ったか?】
「いいえ、何も」
僕はリルーを抱き締める。
王子一行が王都に帰還してすぐ、国境柵の補修の申請が行われた。
「決定次第、工事用資材と人材が本邸から送られて来るそうです」
護衛の公爵家騎士団付きで来ると聞いて、スミスさんが顔を顰めている。
騎士団長はスミスさんの養祖父だ。
三年前の開拓地を潰す時は長期に渡り滞在して手伝ってくれた。
今はまた魔獣狩りの依頼を受けて、国のあちこちに飛び回っている。
「そう何度も王都を離れられないんじゃないの?」
「いえ、秋にはジーンの出産予定があるので」
それを目当てに来るかも知れないのか。
「ふむ。 ついでに頼みたいな」
僕はお祖父様宛に手紙を書く。
国境柵の補修はこちらの国だけでなく、向こうの国にだって影響を及ぼす。
「工事許可のついでに、魔獣が居た場合の対処や瘴気による異常事態で越境した場合の許可をもらって下さいな、と」
これで合法的に隣国に入れる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
キルス王国の東領。
現在の国王陛下の出身地である。
その領主館は森の中にあり、人の出入りも少ない。
仕事を部下に丸投げした国王が頻繁に戻って来る。
国土自体がそんなに広くはないため、馬で二日もあれば帰って来られるのだ。
「お帰りなさい」
赤毛の少女が出迎えた。
「何もなかったかい?」
国王はいつもは人形のように無表情な顔を心配そうに歪める。
「はい、いつも通りですわ」
少女は容姿に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべて抱き付く。
「それは良かった」
国王は嬉しそうに少女と連れ立って、館の奥の自室へと向かう。
翌日の昼頃になって動き出した領主の執務室に、部下の青年が入って来た。
国王は少女を膝に乗せている。
「陛下、申し訳ありません」
国王から少女を引き離すと機嫌が悪くなるため、部下は恐る恐る手紙を差し出した。
「隣国からか」
見慣れない紋章を一瞥し、部下にそれを読み上げるように指示する。
部下は、時候の挨拶や王族らしい言い回しを飛ばして本題を要約して話す。
「こちらとの国境にある柵を直すため、工事関係者並びに警備の者の越境の許可が欲しい、との事でございます」
「ふむ」
国王は膝に乗せた少女を見る。
少女は愛らしく首を傾げた。
東の森の魔獣は瘴気に晒されて凶暴化していることは知っている。
しかし、それらはこの館や領民には手を出さない。
多くは山々や国境を越え、他所で暴れていた。
十分暴れさせた後、脅威を感じる民衆の前に赤毛の少女が姿を見せて魔獣を大人しくさせる。
その上で『キルス王国の巫女』と名乗り、信頼を得るまでが計略のうちなのだ。
「そろそろ私が行って止める?」
魔獣に襲われているところを救う『キルス王国の巫女』の出番である。
「いや、まだ早いだろう」
少女を抱く国王の腕に力が篭る。
「それより、赤毛の娘の情報はまだか」
言葉に棘が混ざる。
「はっ、ブリュッスン男爵の令嬢は隣のラヴィーズン公爵領主の館に行儀見習いとして滞在されているようです」
「隣の……」
国王は部下に公爵領の魔獣被害を調べるように指示した。