98・観察
夜になって、皆が寝静まった頃、僕は殿下の部屋を訪れた。
「来てくれたんだ」
「ええ、呼ばれましたので」
従者も護衛も隣の部屋に下げられたので、お茶は自分で淹れる。
本日、最終日の夕食は、食堂に全員が集まり立食の宴会になった。
その時に殿下から「後で部屋に来てくれ」と手紙を渡されたのだ。
相手が相手なら喜ぶヤツもいそうだけど、あいにく僕は女にも男にも興味はない。
だけど「まあ顔ぐらい出すか」とやって来た。
明日からはまた当分会うこともないだろうからな。
「何か御用でしょうか、デヴィ様」
仕方なく殿下の分もお茶を淹れて出す。
「領主代理なのに自分でやるのか?」
「使用人の手を煩わせるほどでもないでしょう」
領主館では皆、忙しいからね。
それに二人だけで話したいから従者も下げたんだろうに。
「嫌なら飲まなくて結構ですよ」
僕が座って飲み始めると、殿下は何故か恐る恐るカップに口を付ける。
失敬だな。 毒なんか入ってるわけないだろ。
カップを置いて殿下は話し出す。
「その、急に来てすまない。 色々と迷惑を掛けたようだ」
ふうん。 少しは成長したか。
「いえ、殿下もお役目でしょうし、こちらもある程度は予想しておりましたから」
開業の式典には公爵家から王宮へ招待状も送っている。
来るとしたら新しい宰相か、最低でも高位文官。
または最高位でも王弟殿下だろうと思っていた。
あの国王が何も言わずに息子を寄越すとは思えないから、かなり無理を通したのだろう。
それに、こちらで色々あったのは王子一行のせいではない。
「今回の問題は、いつかは明らかになるものでした。
こちらとしては、早く分かっただけでも良かったと思っていますよ」
僕は心から王子一行が無事で良かったと思っている。
一人でも何かあったら絶対、後で邪魔臭いからな。
「お帰りの道中も決して警戒を怠ることなく、無事に王宮に戻られますよう祈っております」
「あ、ああ」
僕が会話を締めようとしているのを感じて殿下は俯く。
しばらくの沈黙の後、殿下はようやく口を開く。
「リブ、王都に戻って来てくれないか。 私も反省している」
やっぱりか。
「デヴィ様。 私でなくてもアーリーや優秀な者は他にもいます。
それに私は『王宮出入り禁止』の身ですよ」
公爵家後継のアーリーも、いつかは王宮に出仕することになるのは明らかだし、今回の一行には若い者が多い。
彼らも将来有望だろう、たぶん。
「王宮の『出入り禁止』はなんとかする。 私は、……リブがいい」
僕はため息を吐く。
「ですが、陛下は」
「父は」
殿下は俯いたまま、膝の上の両手を握り込む。
「リブに近付くな、と」
まあ、そうだろうね。
「だけど、私にはリブは憧れで、手本のような者で、く、国にとっても有益なはずだと申し上げた」
随分と持ち上げられたな、と僕は苦笑を浮かべる。
「リブは、やっぱり人間より魔獣のほうが好きなのか」
僕は首を傾げる。
「だって、聖獣様が北の山にいただろう」
あー、アレを見られたか。
「そうですね。 魔獣なら何でもって訳じゃありませんが」
聖獣だけじゃなく、ダイヤーウルフの群れも、山や森の魔獣たちを見張る仕事が出来るくらい優秀なのだ。
「リブ、君は父の言う通り『魔獣使い』なのか?」
はあ?。
どうやら魔獣を従わせる『魔獣使い』という職業があるらしい。
僕がその能力で王宮のフェンリル様を従わせようとした、と陛下が説明したらしい。
普通、そんなことをすれば処刑だろうね。
「違いますよ」
はっきり否定すると、明らかに殿下はホッとした顔になる。
「私は『魔物』です」
もう邪魔臭いからバラす。
「陛下は勘違いしておられるようですが」
目が点になり呆然とする殿下に、僕は『魔物』の説明をする。
簡単に言えば、魔物は瘴気と魔力の澱みから生まれるため実体のないモノだ。
僕には元から人間のような感情はなく、擬態した生物の容姿、感覚、情報を継承する。
だから見かけだけは完全に普通の人間だと。
「デヴィ様は陛下の腕に紋章が浮かんでいるのを見たことは?」
「あ、ある」
あるんだ。
「私がリブの話をすると、たまに腕がチクチクすると言ってる」
僕はついクククッと笑ってしまう。
「あれが証拠です」
後は勝手に調べるだろう。
殿下が信じようと信じまいと、僕には関係ない。
「王都から、これくらい距離があったほうが陛下も安心なさいます。
デヴィ様も、あまり私のような危うい者に近付かないようになさいませ」
顔を上げた殿下は悔しそうに唇を噛む。
「アーリーも魔物なのか」
「いいえ。 ただの人間ですよ、公爵家の孫です」
「では、婚約者の伯爵令嬢は魔物なのか」
「いえ、普通の人間のご令嬢ですよ」
何故、そんなことを気にするのか。
「で、では、何故、私の傍にいてはいけないんだ」
ワナワナと肩が震えているけど、そんなの決まってるよな。
「あなたが国王の息子だからでしょ」
当たり前である。
しかも次期国王、王太子となる予定だろうに。
僕は立ち上がる。
いつまでも付き合っていられない。
隣の部屋からも嫌な感じがビシバシするし。
「リブ、待って!」
立ち上がった殿下に腕を掴まれ、何故か引き寄せられて抱き締められた。
「殿下」
背中をポンポンと叩く。
「どうして私は王子なんだろう」
小さく囁く声が震えている。
知らないよ。
親を選べる人間はいないってことは僕だって歯痒く思うけど。
「私は、どんなに離れていても友人ですよ、デヴィ様」
落としどころはこんなもんだろう。
「本当に?」
「ええ」
だから離しなさい。
「『魔物』の友人でもよろしければ」
「『魔物』のような友人でも構わない!」
ちょっと違う気がするけど、まあいいか。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌朝、王子一行は無事に出発した。
「やれやれ、ようやく少し落ち着くかな」
公爵領の領主代理であるイーブリスは見送りを済ますと執事のスミスに「本日は全員休み」と告げる。
騎馬の王子一行は王都に向かっていた。
後は王都に戻るだけのため、全体的にダラけた感じがする。
「こういう時こそ本性が出るものだ。 よく観察をしておいてくれよ」
アーリーは従者のエイダンと護衛のワイアットに指示していた。
「承知いたしております」
二人はニヤリとした笑みを浮かべた。
それこそが公爵家の者が参加する意味なのである。
アーリーは公爵である祖父から、今回の視察に参加する条件として、王子の周りにいる者たちの観察を頼まれていた。
公爵とあまり接点がない若者が多いからだ。
宰相としての地位はなくても、公爵家には代々、国を裏から護るという役目がある。
この旅の準備期間からアーリーは王宮で多くの者に接してきた。
それこそ、イーブリスの件で公爵家に対し敵意を向ける者もいる。
高位の子息に擦り寄る者もいる。
しかしアーリーにとって、これは公爵家後継としての、人を見る目を養い、不慮の案件の対処を学ぶ機会だった。
概ね満足した結果を得られるだろう。
「人間って面白いよね」
休憩地で、アーリーたちは王子一行から少し離れて見ている。
「アーリー様。 我々が他者を観察しているのと同じように、相手からも見られていることをお忘れなきよう」
エイダンは注意を促す。
「わ、分かってるよ」
何故か、騎士見習いのワイアットが慌てて背筋を伸ばす。
アーリーは「ふふふ」と笑いながら公爵領を振り返る。
「でも、リブが元気そうで良かった」
ポツリと溢す言葉に部下の二人も笑顔で頷く。
「案外、楽しかったですね」
ワイアットは魔獣狩りの楽しさと難しさを学んだ。
「私は、イーブリス様はやはり厳しい方だと感じました」
エイダンは、そう言って顔を引き締める。
「そうだね。 リブなら、わざと事件を起こして観察しそうだ」
「それは、おやめ下さい」
エイダンの困り顔にアーリーは声を上げて笑った。




