97・新王
スミスさんのお蔭で、僕は少し冷静になれた。
領主館に戻って、
「ありがとう、落ち着いたよ」
と礼を言う。
「どういたしまして?」
スミスさんは首を傾げながら仕事に戻っていった。
僕はたぶん、アレは怖いモノだと認識するだけで良かったんだ。
闇の精霊の意図は僕を怖がらせたかった訳じゃなく、注意しろっていう感じなんだろう。
人間の子供でも本能的に忌避する色があると聞く。
食料にその色があると毒だと判断して拒絶反応を示す。
それが好き嫌いに繋がるとスミスさんが言ってた。
「不用意に何でも口に入れないようになっているんですよ」
へえ。 食べ物は好き嫌いしないのが良いのかと思ってたけど。
「勿論、ちゃんと調理して出されたものは好き嫌いしないで食べて下さいね」
「あ、はい」
公爵家に入ってすぐの頃の懐かしい話だ。
あの男がいたのは島の洞窟なんだろうか。
闇の精霊に命令していたのは、アイツだったのかな。
「違う、あれはまだ人間だった」
魔王なんかじゃない。
では、何故、僕に魔王の影が。
「魔王、子、何かを集めて」
うろ覚えの言葉を拾い、繋ぎ合わせる。
「僕が魔王の子?」
いや、そんなはずはない。
僕は魔物だから。
魔力と瘴気の塊であり、実体の無い魔物には『王』というモノは派生しない。
『魔王』は人間が元になった悪魔から派生し、魔獣が元になっている王は『獣王』である。
では、『魔王』になるかも知れない人間がどこかに居るというのか。
あまりにも漠然としていて分からないな。
それより、南の町に王子一行が視察に入るなんて聞いてないんだが。
明日の早朝には王子たちは領地を去る。
詳しいことはその後に聞くか。
昼食時間前に王子一行が到着した。
部屋で休んでもらい、昼食は時間を見計らって運ぶよう頼んでおく。
その後は明日の出発の準備や、町中を見て回るなど自由にしてくれて良いと伝えてもらう。
兵舎の食堂に入ると、騎士たちはすでに町に降りる話で盛り上がっていた。
最近、こんな田舎の領地にもお洒落な店が増えたので楽しんでもらえるだろう。
「遅かったですね」
僕はソルキート隊長を見つけ、嫌味を込めて声を掛ける。
「すみません。 どうやらリナマーナ様が南に新しい町があると、殿下に視察を提案されたようです」
へえ、やるじゃないか。
リナマーナは公爵領に来る前から姉にべったりというか、自分一人では外にも出ない娘だった。
常に『赤毛』を誰かに揶揄われている気がして、自分の殻に閉じこもっていたそうだ。
今回は無理矢理、殿下の馬車に乗せてみたけど、嫌がらせにならなかったみたいだな。
ちょっと残念。
ソルキート隊長が叱責されていると思ったのか、アーリーが会話に入ってきた。
「予定を変更してごめん。 リナマーナ嬢の提案だから殿下も断れなくて」
まあ、女性に甘い騎士様が多いからな、仕方ない。
「今回は問題なかったから良いけど、まだ建築途中の建物は崩落の危険もある。 今後は気を付けろ」
王子の護衛騎士たちにも聞こえるように声を上げておいた。
今回の遠征は若い騎士や従者が中心のせいか、体力が有り余ってる者が多い。
彼らの勉強にもなるだろうが、何かあって公爵領のせいにされたら困るんだよ。
僕の復讐相手は国王陛下で王子殿下ではないしな。
アーリーの肩を軽く叩き、昼食に誘う。
「最近、美味しい店が出来たんだ」
僕は護衛を断り、アーリーと二人で領主館から歩いて町中に向かう。
「デヴィ様は誘わないの?」
と訊かれたが、
「邪魔臭いから」
と言ったらアーリーは納得した。
ああ、今でも邪魔臭いヤツなんだなと分かる。
先にデラートスの店に寄ってお祖父様やリリーたちへの土産を見繕う。
「店には王都に別便で送ってもらうから、大きさや耐久性は考えなくてもいいよ」
「うん」
迷っているみたいなので、僕は自分が選んだ物を見せる。
「それ、なあに?」
「ん、アーリーも大きな魔鳥を見ただろ。 あの羽毛で作った枕だよ。 僕のお気に入りなんだ」
王都にも羽毛の寝具はあるが、僕の育てている魔鳥は魔力が高いお蔭でふんわりしているのに潰れない。
結構、長持ちするのである。
「それに香り袋を入れるポケットも付いてるよ」
僕が縫製店に、ヴィーに貰った香り袋を枕に入れたいとお願いしたら、それが商品化されたのだ。
「悪いけど、アーリーの土産ついでにヴィーに贈らせて欲しい」
「ああ、いいよ。 そうだね、双子なのにリリーにだけお土産を渡すのは不味いし、婚約者のいる女性に僕が贈るのもおかしいよね」
お、アーリーが成長している。 素晴らしい。
そういうわけで、アーリーはリリーに、ヴィーには僕からと言ってお土産を渡してもらうことにした。
お祖父様用と執事長には熊肉を送る予定だ。
「イーブリス様、熊肉だけでなく、熊の内臓から採れる薬も良いのではないですか」
そっちのほうが高価で希少だとデラートスさんに言われた。
「王都の薬師に任せれば良い薬になりますよ」
「へえ」
僕は王都の高名な薬師を紹介してもらい、材料になる内臓を持ち込みで薬にしてもらうことにした。
出来た薬は全て公爵家に届けてもらえば、使用人たちの分もあるだろう。
「胃痛や便通、二日酔いにも効くらしいです」
皆、激務だろうから、お役に立てばいいかな。
王子一行が出発したら、精霊の穴を使って、すぐにでも本邸に届けて薬師に渡すように言付けよう。
ちなみに、アーリーはリリーへの土産に魔鳥の美しい羽根で作った扇子を買ったようだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
キルス王国は南北に細長く、東から北には山があり、南から西には砂漠地帯がある。
東にある山々に隣国との国境線があり、時折魔獣が姿を見せていたが、内乱の影響で他国に移動したようで数は激減した。
キルス国では、代々の王は国の名を名乗る決まりのため、国王の名前はキルス陛下となる。
王と、王の甥との間で長い間争いが絶えなかったが、三年前の内乱で王が討ち取られ、その甥が新しい国王となった。
人形のように整った美しい顔の、青年にしか見えない国王は仕事をほぼ臣下に丸投げしている。
「陛下、こちらもお願いいたします」
それでも厄介なことに、国王の名前が必要となる書類は無くなりはしないのだ。
東の領主だった国王は、今まで西にあった王都を国の中心にある神殿付近に移していた。
遷都というものは大きな事業であるため、なかなか進まない。
三年経ってようやく神殿の修復が終わり、その近くに新しい王宮が完成した。
しかしながら、この国王は自分の領地に家族を残しているため、時間があると、すぐに東の領地に戻って行く。
「後は任せる」
「ははっ」
部下たちはいつも通り、無表情でそれを見送った。
キルス王には長年の側近であり、古い友人でもある男性が付いている。
「最近の噂をご存知ですか?」
普段から国王の馬車に同乗し、臣下や部下たちの行動、国民の噂などを陛下の耳に入れるのが役目である。
「何だ?、魔獣被害の件か?」
東の領地では魔獣が増えていた。
それが家族として迎え入れた赤毛の少女の影響だということは分かっている。
人間ではないことを承知の上で受け入れ、そして望んで家族となった。
東の領地の森は瘴気に侵され、領民は操り人形のように国王を崇めている。
「それもありますが、我が領地と接している隣国の領地のことでございます」
隣の領主の話は聞いていた。
「こちらから送り込んだ罪人を捕らえ、逃げた難民を受け入れたのは知っている」
内乱の処理で忙しくて、後はあまり知らない。
「開拓地に温泉施設を造り、歓楽街は潰したそうです」
「ほう」
人が消えても騒ぎにならない怪しい歓楽街のことは知っていたが、それを潰すとは。
「目を送れ」
「魔獣を暴れさせ、その隙に送り込んでございます」
国王は頷いた。