95・対応
今夜は王子一行は東の農地に宿泊する。
普段から煩いリナマーナもいないので館がいつもより静かな気がした。
王子一行が来てから、ずっと慌ただしかったからなあ。
残りの予定は、明日、農地から戻ったら自由に商店や広場を見学してもらい、明後日の朝には王都へ向かって出発のはずだ。
僕はあれからスミスさんにしつこく休めと言われ、自室でゴロゴロしている。
そういえば、フェンリルに擬態しようとしてシェイプシフターの能力を見たとき、何か変なものを見た気がした。
あの時はゆっくり見ている余裕がなかったけど。
「確認するか」
ベッドに横になって目を閉じる。
シェイプシフターの擬態能力には個体差があるのだろう。
体内の魔力、瘴気の量によって擬態出来るものが変わる。
というか、足りないとそもそも出来ない。
何故、それが分かるかというと、僕は擬態した身体の他にシェイプシフターとしての脳みたいなものを魔力の中に置いている。
これは擬態した身体を捨てて新しい身体に変化しても、自分自身が変わらないように記憶を保存しているという感じ。
シェイプシフターとして擬態する相手を見極める時も、ここで確認していた。
今現在、擬態が可能な生物が見えてくる。
これまでに収集した、擬態出来る相手の生態情報だ。
そして朧げながら、それに必要な魔力と瘴気が分かる。
足りないと「ダメ」だと感じるんだ。
あー、ズラズラと浮かんでくるなあ。
僕が今まで出会った人間たち、ダイヤーウルフ、フェンリル、魔鳥に熊魔獣まで。
これって悪いことに使おうとすれば使えるし、かなりヤバいんじゃないか。
ドクンと胸が跳ねた。
ダイヤーウルフのカシラの話を思い出す。
昔から群れにシェイプシフターを受け入れ、その能力で守られていたという話。
それって、人間の群れでもやれるってことじゃないか。
国王とか、さ。
でも僕には無理だ。
まだシェイプシフターとしての経験が少ないし、考えも足りない。
だけど将来は分からないってことだよな。
「いやいや、あり得ないから」
なんか怖い。 冷や汗が出てきた。
そんなことより、別の表みたいのが見えたんだよ。
「なんだ、これ」
数字だった。
「忠誠度?、好感度?。 なにそれ」
基本的な数値が分からないから、高いか低いかは不明だ。
だけどハッキリと分かるものがある。
「ダイヤーウルフ、忠誠度30」
群れの個体数じゃないか。
僕は起き上がり、ベッドの上で座り込んで考える。
「人間、好感度650。 これ、ほぼ領民の数だ」
分からないのは人間の忠誠度が15もある。
いや、誰だよ、怖いよ。
あー、でも『契約』で縛ってる相手もいるか。
あの契約魔法は僕がまだ未熟なせいで、継続期間が不明なんだけどね。
だが、シェイプシフターにこんなものが必要なのか?。
それが分からない。
僕がウンウン唸っていたら、ベッドの下から闇の精霊がニュルンと触手を伸ばしてきた。
「うん?、なにか話があるのか」
僕はベッドから降りてカーテンを閉める。
夕食までにはまだ少し時間があった。
喉の渇きを覚えたので、ついでにお茶の用意をする。
「ちょっと待っててね」
足元でフラフラ揺れる精霊に声を掛けた。
隣の執務室では人の気配がしているから、スミスさん夫婦がまだ仕事をしているのだろう。
王子一行が居る間はリルーは館に来ない。
グルカはアーキスとしばらく一緒に過ごしてみるそうだ。
お試し期間ってことでアーキスの側にいるらしい。
僕はカップにお茶を注いでソファに移動する。
いつもスミスさんが用意してあるお菓子を皿に乗せ、テーブルに置いて精霊に勧めた。
嬉しそうに触手が揺れて、お菓子を摘んでいく。
気持ちを落ち着かせるためにゆっくりとお茶を飲む。
大丈夫だ、まだ何も起きていない。
僕はまだ何もしていない、よね。
復讐ついでに勝手なことをやってるけど、領主代理としてやるべきことをやって来た。
好き勝手やってるように見えても、僕はアーリーの母親との約束に縛られているから、自分自身への復讐は忘れていない。
魔物なのに人間として生きる不便さ。
それを常に感じることを。
ぼんやりとしていた僕を、闇が包み込む。
「ん?、なに、どうしたの」
真っ黒な世界に僕だけが浮かんでいる。
ああ、この感じは僕がまだこの世界に生まれる前の、漂っていた魔力の塊の頃みたいだ。
「あれ?、誰かいる」
洞窟の中で誰かが祈っているのかな。
いや、何か言葉を喋っている。
男性だった。 とても若い男性。
「聞こえない」
【新た……魔……生み……のだ……そのために……よ、魔力……そげ……この】
耳を澄ます。
【幼き……魔王の子……】
な、なんだって?。
「イーブリス様」
ビクッと身体が震え、闇が解かれた。
「扉を叩いても返事がございませんでしたが」
スミスさんが扉を開けて立っている。
僕はきっと青い顔をしていたのだろう。
スミスさんが足音もたてずに部屋の中に入って来て、僕の顔を覗き込んだ。
「夕食のご用意が出来ました。 召し上がりますか?」
「あ、う、うん」
スミスさんが跪いて、無意識のうちに固く握り込んでいた僕の手を両手で包んだ。
「イーブリス様、何か心配事がおありでしょうか」
スミスさんの目がじっと僕を見ている。
何故、闇の精霊があの光景を見せたのか。
恐らく僕があの数字に気付いたからだ。
じゃあ、あの数字にはどういう意味があるのだろう。
「あのさ、忠誠って何?」
好感度は何となく分かる。 好きかどうか、だよな。
「忠誠ですか?」
スミスさんは僕の手を解しながら首を傾げた。
「例えばダイヤーウルフは忠誠度が高くて、でも好感度は人間のほうが高くて」
ごめん、自分でも意味不明だとは思うんだけど。
「ああ、それなら。
忠誠というのは、何かに対して見返りを求めず尽くすことですね。
最初は好感を持って接していても、その気持ちが強くなると相手のためなら自分を投げうっても尽くすようになる。
それが『国』や『主』に対して『忠誠を尽くす』ということでしょう」
「国……主……」
「分かり易くいえば『国王』ですかね」
僕の身体がカタカタと震え出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日、赤毛のリナマーナはダヴィーズ王子の前で緊張していた。
「ブリュッスン男爵令嬢であったな、今日はよろしく頼む」
「は、はいっ、リナマーナと申します!」
ガッシリとした体形、背は高く、金色の髪に宝石のような美しい緑の瞳。
やさしく微笑まれ、手を差し出される。
馬車に乗るだけなのにリナマーナは足が震えた。
東の農地までの短い時間だったが、恐ろしく長く感じてしまう。
何も話せず俯いているうちに到着し、リナマーナはすぐに王子を姉夫婦に引き合わせた。
(あれだけイーブリス様にジーンさんを毎日見て覚えろって言われてたのに)
リナマーナは何も出来ない自分が情けなくて涙が出た。
その日、リナマーナは姉夫婦の屋敷に王子たちと泊まり、翌朝、領主館に戻ることになっている。
「どうしたの?、リナ」
屋敷の客室の一室。 いつになく大人しい妹を心配した姉が一緒に寝ることになった。
「ううっ、私、何一つ満足に出来なくて」
「そりゃあ相手が王族ですもの、緊張するわよ」
「ち、違うの、姉様」
リナマーナは高位貴族である公爵家に行儀見習いとして入ったことになっている。
『見て覚えろ。 ジーンを毎日見てるだけで良い』
基本的な勉強以外では、イーブリスの指導はそれだけだった。
「私、つい反発しちゃって。 いざとなったら基本くらいは出来ると思ってたの」
ジーンの、日頃から高位貴族であるイーブリスへの対応を見ているだけでも違ったはずなのに、リナマーナは挨拶一つまともに出来なかった。
今さら遅いが、それでも領都に戻ったら今度はちゃんと覚えようと身に染みて思ったのである。