72・姉妹
三年前、公爵領の隣のブリュッスン男爵領から来た農業指導者の青年ボヌートスは小柄で童顔の青年だった。
「ボンって呼ぶから」
「はあ」
二十歳過ぎのくせに背丈が十三歳の僕とほぼ同じで、そのためよく子供に間違われる。
でも日焼けした肌と手慣れた仕事ぶりは、やはり大人なんだなあと思わせた。
半年ほど兵舎にぶちこんでおいたが、あっという間に兵士たちに弟扱いされて馴染む。
従者をしていたせいか、こまごまとしたことによく気が付く奴だ。
うん、こいつは使えるな。
その反面、使えないのが男爵家姉妹である。
姉のミーセリナは今年で成人、母親似の茶髪に青い目。
最初はどこにでもいる我が儘令嬢だったが、やはり自分の親の領地ではないせいか、誰も言うことを聞いてくれない。
そのことに気付いてからは自分の将来を考え始め、積極的に仕事を手伝うようになる。
「お願い、ボヌートス」
「またですか、お嬢様。 まあいいですけど」
仕事の大半は農地の手伝いで、ボンと一緒にいる。
やはり見慣れた顔のほうが落ち着くんだろうな。
こっそりボンを呼び出して訊ねる。
「お前はアレで良いのか?」
「ええ、まあ。 お嬢さんの方が私なんかを頼って下さるんで」
満更でもないらしい。
背丈が低いってだけでボンは身体付きもがっしりしているし、兵士の訓練も見劣りしなかった。
何かあれば臨時の護衛ぐらいにはなるだろう。
「あのお嬢さんも案外見る目があるな」
そう言ったらスミスさんも頷く。
「そうですね。 彼のお蔭で男爵領から農夫が出稼ぎに来てくれていますよ」
へえ、スミスさんが認めるのは珍しい。
ボンは男爵領でも慕われてたみたいで、同年代の若者が数名、農繁期になると手伝いに来るようになった。
「そいつらに給金をはずんでやれ」
「男爵領に何かあった場合に取り込めますしね」
僕は頷いた。
しかし、同じ姉妹でも妹のリナマーナはどうにもウザい。
今日も元気に僕に付き纏う。
「イーブリス様、何かお手伝いさせて下さいませ」
はあ? お前はちゃんと他の子供たちと一緒に勉強して来い。
王都に居た頃から家庭教師が付いていたはずなのに、ここの子供たちにもついていけていない。
「だって、皆、私の話なんて聞いてくれないもの」
他の者が飛び抜けて優秀なわけではない。
妹は、母親の家系の隔世遺伝というやつで見事な赤毛だった。
肌が白いので、日焼けでソバカスがはっきりと浮いている。
「赤毛、赤毛って煩いのよ。 髪が赤いだけで私は普通なのに」
確かに派手には見えるな。
家族のうちで自分だけが鮮やかな赤毛で目立つ。
だから外に出たり、人に会うのを嫌がっていたらしい。
「だが、男爵家令嬢なんだから、最低限それに見合う教養は身に付けろよ」
じゃないと嫁ぎ先がなくなるぞ。
妹は「フンッ」と鼻息荒くそっぽを向く。
「ちゃんと申し込みは来てます!。 お父様が保留にしてるけど、成人したらもう一度考えてくれって言われてるもんっ」
僕はそっとスミスさんを見る。
首を横に振られた。
姉妹の兄であるマールオからは全くそんな話は聞いていない。
何か事情があるのだろう。
そうでなければ、いくら相手が公爵家でも嫁ぎ先が決まっている娘を人質に出すわけがない。
しかもスミスさんも知らないとなると、リナマーナの虚言という可能性もある。
「ほお、それは失礼した。 相手は僕も知ってる人かな?」
「教えなーい」
臍を曲げたな。
しかし、そんな相手がいるのに、何故、僕に付き纏うのか。
「わ、私だって一度くらい恋愛ぽいことがしてみたいっていうか。 どうせ、将来は政略結婚だもの」
いや、それは貴族の子供なら当たり前だし。
「その相手が僕っていうのが分からないんだが」
もっと愛想が良くて優しい相手にしろよ。
「だって、イーブリス様が私たちを欲しいって言ってくれたんでしょ?」
「あー、農作物を納める代わりにな」
「初めて会った時、赤毛の私でも選んでくれて嬉しかったから」
当たり前だ、髪の色なんて関係ない。
「赤毛だろうが何だろうが、お前は男爵家の娘だからな」
どうやら、この娘は今まで赤毛のせいで悔しい思いをしていて、髪の色のことを何も言わなかった僕が気に入ったみたいだ。
とりあえず、こんなお子ちゃまはどうでもいい。
ヴィーが来る時に邪魔になるから館から追い出そう。
「リナマーナ嬢、こちらの書類を姉に届けろ。 必ず全てに返答を記入してもらって来るように」
東の農地には既に倉庫や農業用の試験場などの施設が建っている。
ボンは、農繁期は農民と一緒にそこに寝泊まりしていた。
スミスさんから大量の書類を渡されたリナマーナは顔を顰める。
「えー、こんなに?」
馬車の準備は出来ている。
さっさと行け。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ヴィオラは婚約のことはあまり学校の友人たちには話さなかった。
普通、未成年の間はあまり婚姻の約束相手がいることを大っぴらにはしない。
知らなくても問題はないし、婚姻を申し込むつもりなら教会に行けば簡単に調べられることだからだ。
それに、イーブリスのことを知っている友人たちや妹のリリアンは、
「婚約者を放っておくなんて信じられない」
「あり得ませんわ」
「年に一度だけって、あんまりよ!」
と、必ず文句を言うのだ。
ヴィオラは今のままで別に構わない。
イーブリスは普通の人間ではない。 魔物なのだ。
他の男性たちとは違う。
静かで、大人で、独特な雰囲気がある。
そこが良い。
「私はまだ子供だし、結婚してしまう前にもっと両親に甘えたり、色々と勉強もしたいわ。
それに彼は転地療養で領地に行ったのだし、今は無理せず、身体を治してもらうのが一番よ」
遠い地にいるため、王都と往復するだけでも身体に障る。
そんなことはリリアンたちも知っているはずだ。
「ちゃんと贈り物や手紙は届いているし、私は満足しているわ」
だから、これ以上、イーブリスを悪者のように言って欲しくない。
何度もそう言って、自分の気持ちを訴えてきた。
それでも、リリアンとアーリーの姿を見ていると、少しは羨ましいと思うこともある。
アーリーは、最初に出会った頃からずっとリリアンを気に入っていた。
それはヴィオラがイーブリスを想う気持ちとあまり変わらない。
そう思うと、ヴィオラはアーリーを応援したくなるのだ。
でも最近、ある噂を聞いた。
公爵領の隣にある男爵領から二人の令嬢が行儀見習いに来ていると。
そのことを手紙で質問すると、
「それがどうかしたのか。 キミはこちらに来るまでにきちんと学ぶべきことを学んで来い」
と、返事が来た。
子供らしくないその文面に、ヴィオラはやはりイーブリスはイーブリスなのだと安心する。
「あの方は変わらない」
どこにいても、どんなに周りが変わっても、きっと。
ヴィオラは手紙を抱き締めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先日、学校の年に一度のパーティーにパートナーとして来てくれたイーブリスにリリアンが文句を言う。
どんなに平気そうなヴィオラでも、やはり寂しいのだと双子の妹には分かっていたのだ。
でも、イーブリスとヴィオラの関係はリリアンが思うような甘いものではない。
(だって、婚約は私の我が儘でお願いしたことだもの)
何とかしてイーブリスの役に立てないと捨てられてしまうかも知れない。
婚約して六年。
年に一度、貴族の義務として会いに来てくれるだけでも嬉しいと思う。
「ふむ、ヴィー。 リリーはそう言ってるが、キミはどうしたい?」
珍しくイーブリスから訊ねられた。
「でしたら、イーブリス様の領地を見てみたいです」
願いは口にしなければ届かない。
「ふむ、いいだろう」
「え」と驚くヴィオラに、イーブリスは苦笑を浮かべる。
「その代わり、指示には従え」
思いがけず、ヴィオラは北の領地を訪れることになった。