89・留守
馬車の中でブリュッスン男爵から得た情報は、新しいものは何もない。
喋れない誓約魔法でも掛けられているのだろう。
あはは、共犯相手からも信頼されてないなんて笑えるよ。
「もしも成人してもリナマーナが向こうに行くことを拒否したらどうなるの?」
「そ、それは分かりません」
「ふーん。 勝手に拐って行く気かな?。そして、家族は隣国へ嫁いだという届けを出す、と」
そこには本人の意思など無い。
しかし相手も甘いな。
制約魔法を掛けるなら姿を見られた兄のマールオにも掛けるべきだった。
さっさと姿を消しておいて、ずっと放置というのも分からない。
「赤毛、赤毛か」
僕の中に何かが引っかかっている。
それが僕を引き摺って離してくれない。
ブリュッスン男爵領に近い場所で男爵を降ろし、彼の護衛に引き渡す。
「ではまた後日」
会うこともあるだろう。
僕は別れを告げ、男爵と彼の護衛たちは僕に礼を取る。
領主館に着くとタモンさんたち猟師が何人か来ていた。
どうやら狩って来た魔獣の処理を頼まれたようだ。
「お疲れ様」
「ああ、イーブリス様。 お帰りなさい」
騎士たちは、猟師たちが魔獣を捌く様子を熱心に見ている。
これは、あれか。 魔石が出るのを期待しているんだろう。
魔獣でも必ず出るわけではなく、十分に魔力を体内に溜め込んでいるモノに限られる。
どうやら当たりは無かったようで、皆、残念がっていた。
「やはり兎程度では魔石は出ないのかな」
殿下とアーリーが僕を見つけてやって来ると、そんな話を始める。
「魔石は身体の大きさや種族には関係ないですよ。 ただ強さには影響します」
身体が小さくてもメチャクチャ強かったりすると、倒した時に魔石が手に入ることがある。
「人間でも同じでしょう?。 小さいからと侮ると痛い目に遭いますよ」
僕がそう言うと、何故かワイアットが嬉しそうに胸を張った。
風呂に入ってもらい、夕食の準備が整いしだい食堂に呼ばれる。
今夜は館の使用人や子供たちにも魔獣の肉を振る舞うことになったのだ。
兎肉も熟成が必要なので、出される物は魔鳥の肉らしい。
食堂では、すでに子供たちと兵士たちが仲良く大盛りの皿を囲んでいる。
「うーむ、かなりの数を狩って来たな」
厨房横の作業部屋で、僕とタモンさんが兎の毛皮を数えていると、ワイアットたちが寄って来た。
「何をなさっているんですか?」
「いったい何体狩ったのか調べているんだよ」
タモンさんが答えると、モグモグと口を動かしていたワイアットが、ゴクンと飲み込んでから答えた。
「あー、それだったら、ここの数だけじゃありませんよ」
「はあ?、どういうことだ」
ブリュッスン男爵領の兵士たちも一緒に狩りをしていたそうだ。
「彼らもかなりの数を持ち帰っているはずです」
「なんだとっ」
タモンさんは頭を抱える。
「しばらくの間、西の兎魔獣は保護対象だな」
僕が言うとタモンさんが頷く。
「ええ。 せっかく増えたところだったのに」
「すまない。 昼にたくさん食べさせたから狩る量は抑えられると思ったんだが」
僕はタモンさんに謝罪する。
「いやあ、イーブリス様が悪いわけじゃありやせんし」
しかし困ったな。
「どうかされましたか?」
僕が顔を顰めていたからだろう。
アーリーの従者であるエイダンが小声で訊ねてきた。
「あー、最近増え出した兎魔獣は他の魔獣の餌にもなるからと、あの辺りを繁殖地にしてあるんだ」
西は農業用の土地ではないから、人間に被害が出ないなら魔獣でも無闇に狩らず個体数を維持している。
「今回は王子一行分の狩りなら大丈夫だと許可したが、どうやら皆、張り切り過ぎたようだな」
予想より多かったのだ。
「そうだったんですね」
これは明確に誰が悪いとかではない。
「予想が甘かったな」
強いて言えば、王都から来た殿下の同行者は若い者が多かったことが原因か。
「どうなるんでしょう」
エイダンが猟師のタモンさんに訊ねた。
「うーむ、まあ、絶滅したわけではないから、しばらくは狩りを中止する程度だろう。
心配なのは、西の土地で兎魔獣を主食にしてた魔獣が他の獲物を求めて移動するかもってことだ」
「何の魔獣ですか?」
僕はタモンさんと顔を見合わせる。
「恐らくダイヤーウルフだ」
「え」
「エイダン、まだ誰にも言うなよ」
僕は、驚いて口が開いたままのエイダンの背中を軽く叩く。
騒がしい食堂を出た。
「猟師たちを集めます」
タモンさんの言葉に僕は歩きながら頷く。
スミスさんがすぐにやって来た。
「イーブリス様、どちらに」
「タモンの店で緊急で話し合いをして来る。
スミスは残れ。 グルカ、来い」
オゥン
「ではソルキートをつけます」
スミスさんは連絡に動き、急いで着替えた僕とタモンさんは町へ向かった。
タモンさんの店で猟師たちが集まるのを待っていたら、ソルキート隊長と一緒にアーリーとエイダンとワイアットまで入って来る。
僕はエイダンを睨みつけておく。
「イーブリス様、急な御用ってなんですかー」
アーキスが相変わらずデカい声を上げながら入って来たが、見知らぬ顔を見て戸惑う。
「お、グルカー、今日はちゃんと仕事してたかー」
何故かグルカを構い出した。
現在、この領都にいる魔獣狩りの猟師は六名。
あと二名いるが、万が一のために温泉施設で周辺の警備隊と一緒に常駐することになっていた。
「六名だとキツイか」
僕とタモンさんを入れても八名。
「ローズたちを呼ぶか、領兵を参加させるか」
僕が呟くと、タモンさんが眉を寄せて唸る。
「どっちにしろ、何か起こってからじゃないと動けませんよ。
また北の山に戻るかも知れませんし」
いや、僕としてはそっちのほうが困る。
「アイツらは本能的に人間を嫌ってる。
普段から猟師と交流してるローズたちをよく思ってないから群れを出たんだ」
それが今さら群れに合流するとは思えない。
「群れから子狼を拐おうとするというのが最も可能性が高い」
産まれてまだ一年未満の子狼が棲家に八体いる。
「えっ、なんすか、ダイヤーウルフの子供の危機ですかっ?」
アーキスが身体を乗り出して僕とタモンさんを見比べている。
あー、煩い。
「すみません、こんなことになるとは」
先頭に立って狩りをしていたワイアットが申し訳なさそうに俯く。
「キミのせいではないよ。 ちゃんと数を指定すれば良かったな。
僕は王都から来た兵士たちの力量を見誤ったようだ」
王子付きの同行者は、古臭い考えの貴族が来ると思っていたんだ。
それが思いのほか若く未熟な者が多かったのである。
「一応、身体の小さな個体は見逃すように言い渡してありましたが」
アーリーはそう言うが、毛皮を見た感じ、それも徹底されていなかったようだ。
「えー、それは酷いな」
アーキスが他人事のように言う。
「最近、出没していた若いダイヤーウルフが次に狙うなら」
僕とタモンさんの意見は一致している。
「北の山に帰る前に寄るとすれば、アーキスの放鳥場だな」
アーキスがゴフッと飲んでいたお茶を吹いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【かーさま、何か嫌な感じがする】
【そうね。 気を付けたほうがよいかも知れないわ】
北の森と山の境目辺りに洞窟がある。
ここにはダイヤーウルフの群れが棲んでいた。
夜行性であるダイヤーウルフのほとんどが狩りに出ている時間。
残っているのはローズと娘のリルー、そして子狼と世話をする母親たちだ。
西のほうから嫌な気配が近付いて来る。
【リルー、イーブリス様を呼んで来て】
【う、うん、でも今、おうぞくが居るから来ちゃだめって言われてるの】
【そうだったわね】
リルーはフェンリルの血が濃く、見た目も真っ白なので目立つ。
【私が行くわ。 リルーは何かあったら遠吠えで知らせなさい】
【はい、かーさま】
ローズは闇の精霊に頼み、足元にイーブリスへの道を開いた。