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86・悪魔


 翌日、「すみません」と殿下の従者に謝られた。


実はダヴィーズ王子にも溜まっている書類仕事があるという。


公爵家の新しい事業の視察をした報告書だろう。


「忘れないうちに文書にしておきたいので」


王都に戻るのに片道約十日も掛かるからな。


そういうわけで、殿下は書類が仕上がるまで文官を兼ねた従者や騎士たちと部屋に軟禁されることになった。


かわいそうに。




「じゃ、アーリーも仕事しようか」


「え?」


僕は朝食が終わったアーリーに言い渡す。


「挨拶回りだよ。 いずれは自分の領地になるんだから顔を見せておいて損はない。


あ、僕は一緒に行けないけど大丈夫かな」


「う、うん」


昨日のうちに僕の予定は伝えてあるから、忙しいのは分かってるはずだ。


アーリーの大柄な従者と小柄な護衛騎士にも伝えておく。


スミスさんに案内の子供を付けるように頼んで、僕は仕事に戻る。


「わ、わたしが案内しますー!」


と、叫んで飛び出そうとしたリナマーナ嬢の服をグルカがしっかりと咥えていた。




 手配を終えたスミスさんが執務室に戻って来る。


「よろしいんですか?、アーリー様を一人で行かせて」


「何言ってんの。 お供がついてるし、もう子供じゃないんだよ」


僕は心配なんてしてない。


「町中なら多少は大丈夫だと?」


「うん、温泉施設内が一番危ないからなあ」


あっちには王都から来た期間限定の従業員がいたり、僕の足を引っ張ろうとやって来た招待客がいる。


だから僕は各部署の責任者に念を押しておいた。


「この町なら大丈夫さ。 僕が病弱なことは皆、知ってるでしょ」


「そうですね」とスミスさんが頷く。


しかも一番知られたくない王子殿下は部屋から出られない。


アーリーだけなら問題はないんだ。


無いはず、だよな。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「こんなことになるなら、文官志望のオーヴェンについて来てもらえばよかった」


騎士志望のワイアットがぶちぶち文句を言うと、従者のエイダンはクスッと笑う。


「ワイアット様は人の名前を覚えるのが苦手ですからね」


ここは学校ではないので、エイダンは平民としてちゃんとわきまえた言葉遣いをしている。


「うるさいっ」


護衛の一人として参加したワイアットはいつも通りだ。




 公爵家では、王子一行に同行することが伝えられたのが遅かったため、人選が間に合わなかった。


そのため、アーリーに任せたのである。


「王子の一行に混ざりますから、護衛も従者も一人いれば十分でしょう」


一応、公爵家跡取りのため、王子よりアーリーを優先する者が必要になる。


騎士団精鋭からは勿論、文句は出た。


それをワイアットの父親が押し切ったのである。


それでも一応ワイアットは騎士たちの腕試しの模擬戦を勝ち抜かなければならなかった。


「俺、よく生き残ったよ」


嬉々として襲い掛かる精鋭騎士たちに、何とか腕を認めてもらうことに成功したのである。


ワイアットにとって、それは奇跡的なことだった。


恐らくアーリーの成長のために公爵家の大人たちが見極めた結果に違いなかった。




 階段を下りて一階に出る。


午前中、子供たちは授業を受けているというので、使用人寮を改装した学校のような部屋を見て回る。


一つの部屋にいる人数は十名前後と少ないが、近い年齢ごとになっていた。


あまり体格差や年齢差がないようにしているらしい。


アーリーたちの学校のように男女で分かれてはおらず、羨ましいと思う。


「しかし、先生たちも若いですね」 


エイダンが案内の子供に訊く。


「はい。 この学校を卒業した子供が交代でやるんです」


最初は人数が少なかったので館の文官が教えていたが、人数が増え、教室が多くなると目が届かなくなった。


その頃には学校を卒業した子供が成人していたので、彼らが率先して教師役になったそうだ。


「皆、この館か町の中で働いているので」


時間が空いている時や、休みを交代で取っては子供たちのために教えに来る。


「俺たち、ジーンさんやイーブリス様のお蔭で働けるから」


ジーンさんというのはスミスさんの奥さんで、元々、この町で浮浪児たちの世話をしていた女性ということだった。


「なるほど」


アーリーは教室の一つ一つに顔を出し「兄がいつも世話になっている」と挨拶して回った。




 使用人寮から中庭に出ると、大きな温室が目に入る。


「おや?、アーリー様ではないですか」


温室から出て来た一人の青年が、声を掛けてきた。


「あはは、覚えていらっしゃいませんかね。 本邸で薔薇園を担当していた庭師です」


「あ、ああ、覚えてる」


本邸の薔薇はイーブリスがいなくなってからは拡張されなくなり、いつの間にか庭師の青年の姿も見ることがなかった。


「ここにいたのか」


「ええ。 イーブリス様は薔薇が無いとお寂しいでしょうから」


そんな話をしながら庭師の青年は温室の中を案内してくれた。


 見回しながらワイアットはため息を吐く。


「本当に薔薇が多いな」


「ええ。 ようやく一年中、薔薇が咲くようになりましたよ」


そして突然アーリーは立ち止まる。


「あ、ブランコだ」


「はい。 ここの子供たちのために、アーリー様のブランコと同じものをとイーブリス様が希望されたので」


案内された場所はブランコが見える茶席だった。


「本邸の薔薇園に似てますね」


エイダンがポツリと言った。


案内の子供がお茶とお菓子を運んで来る。


「では、俺は仕事に戻りますので」


庭師の青年はそう言って立ち去った。




 ワイアットは、アーリーやエイダンのように公爵邸に住んでいるわけではない。


父親は公爵家騎士団の兵舎に部屋を持っているが、家はちゃんと王都の町中にある。


普通の騎士爵家はそんなに裕福ではないが、公爵家の精鋭となると他の騎士団とは給与は格段に違う。


ワイアットも何不自由ない暮らしをして来た。


「イーブリス様って結構、優しいんだな」


冷めないうちにお茶を頂くことにしたが、熱いものが苦手なワイアットはしばらく手を付けずにブランコが揺れるのを見ていた。


北の山からは涼しい風が吹き下ろす。


夏の温室は熱が籠らないように高い位置に風を通すための窓が開いていて涼しい。


「実は父上がさ、イーブリス様ってのは悪魔のような子供だって言ってたんだ」


ワイアットの言葉にエイダンはお茶を吹き出しそうになった。




 エイダンはイーブリスが本邸に居る頃から知っている。


病弱で物静かな少年だった。


しかし、執事であるスミスとの会話を聞いていると、どこか強かな面があるように思える。


(そうだよな、父さんも言ってた。 ただの子供を大旦那様が引き取られるはずはないって)


エイダンの家は何代も前から公爵家に雇用されている住み込みの使用人で、同じ使用人たちだけでなく、執事長や公爵からの信頼も厚い。


イーブリスもまた、アーリーと同じように公爵家の血を引いているのだと父親たちも感じていた。


エイダンも、小さいながら領地を治め、あの施設を造った者が普通の少年だとは思えない。


(それならアーリー様も同じはずだ)


双子なら、全く違うことはないだろう。


あの輝く黄金の髪と鮮やかな青い目が同じであるように。




「悪魔か。 案外、そうかも知れませんね」


エイダンの声にアーリーはドキッとした。


「なんでそう思った?」


ワイアットはようやくお茶を啜りながらエイダンに訊く。


「悪魔に力を借りるというのは昔からよくあることです」


「イーブリス様が何かを得るために悪魔に願ったとでも?」


イーブリスには、誰にでもあって彼自身には無いものがある。


「それは『健康』だ」


エイダンは、初めての長旅で気持ちが開放的になっていたのかも知れない。


そんなことを口にするだけでも本来ならクビになる。


固い性格のオーヴェンがいたら、きっと怒って止めていただろう。


だが、アーリーは当たらずとも遠くないその会話を黙って聞いていた。



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