85・共存
殿下の部屋は、この館で一番豪華な部屋だ。
なにせ、前の領主代行が使ってたからな。
僕はどうにも好きになれなくて使っていない。
「失礼します」
グルカと一緒に訪ねる。
スミスさんが王子の従者に、この部屋の簡易台所の仕様を教えながらお茶を用意する間、アーリーはグルカに興味を示した。
「ロージーの子?」
温泉施設でも会っていたが人が多くて聞けなかったようだ。
「ああ、お祖父様のシーザーの兄弟になる」
公爵家の紋章が入ったメダルを首から下げているが、グルカはローズやシーザーより毛色が黒に近い。
「ダイヤーウルフだよな。 大丈夫なのか?」
殿下は、身体は大きいのに気の小さい男である。
そういうところは国王陛下に似ているな。
「大丈夫ですよ、以前、殿下とも遊んだローズの子供ですから。
産まれた時から人間に慣れております」
殿下は公爵邸で遊んだことを思い出したのだろう、「ああ」と頷いた。
公爵まで飼っていると聞いて、王子は驚く。
「魔獣を飼っている家は結構多いですよ。 金がかかるので裕福な家に限られますけど」
王子の従者がそう言って微笑む。
それでも多くは小型の益獣で檻に入っていて、ここまで人に慣れているのは珍しいと興味津々だ。
夕食の用意が整うまでグルカや魔獣の話題で盛り上がる。
「王宮にはフェンリル様がいらっしゃるではないですか」
あまりにも羨ましそうなので僕がそう言うと殿下は顔を顰めた。
「あれは、そもそも国の宝のようなもので、王族が飼っているわけではないぞ」
そりゃそうか。 聖獣が個人で飼えるとは思えない。
食事はこの部屋に運び込まれ、僕たちと殿下は一緒に摂った。
それが終わると殿下は他の者たちに下がるように言う。
護衛たちは渋ったが、彼らも食事や休憩が必要だ。
ここにはアーリーの従者と護衛が残ることで渋々了承させる。
僕は食後のデザートを貰い、残っている者の顔を見る。
「えっと、エイダンはリブも知ってるよね。
ワイアットは父君が公爵家騎士団の精鋭の一人なんだ」
アーリーが紹介してくれる。
「ああ、従者は覚えているよ。 ごめんね、名前までは憶えていなくて。
ワイアット、君のお父さんには先日お世話になった、ありがとう」
長期間領地にいた十名ほどの精鋭の中に、よく似た壮年の男性がいたのを覚えている。
名前は、うん、覚えてない。
さて、明日からの予定を決めておこう。
「エイダン、明日からの予定を教えて欲しい。 決まっている分だけでも」
「はい」
少なくともアーリーの従者を始めた頃から、エイダンは僕のことを知っているはずだ。
今日が初対面のワイアットとは違い、落ち着いている。
「視察は新しい施設の他は、東の農地の予定です。
殿下一行と供にブリュッスン男爵領にございます国境門の訪問。
他には、騎士団と訓練を兼ねた狩りを行うと聞いております」
僕は頷きながら聞く。
「スミス、僕の予定を」
「はい」
分刻みの予定をスミスさんがメモを取り出して読み上げる。
新しい事業が始まったばかりなのだ。
僕に時間の余裕がある訳がない。
「もういいよ」
三日目辺りで「はあ」と、ため息を吐いて止めさせる。
「申し訳ありません、殿下、アーリー。 一緒に居られる時間は少ないようで」
「い、いや、こっちが勝手に押し掛けたのだ」
殿下は罰が悪そうな顔で目を逸らす。
「大丈夫です、何とか時間は作りますので」
そう言って僕は立ち上がる。
「話は終わった」と、スミスさんが廊下で待っていた王子の護衛たちに部屋に入ってもらう。
「ではお先に休ませていただきます。 また明日の朝に」
ゆっくりと礼を取り、扉に向かった。
廊下を歩きながらスミスさんに予定の変更を頼む。
「王子の国境警備隊訪問に同行する」
移動ついでに、あのボロい国境柵を見せつけよう。
少しでも国から予算を引っ張り出させないといけない。
「僕はローズには魔獣狩りの連絡をして、今ならどの辺りが狩り易いか調べておく」
殿下たちに国境付近で狩りをさせてやろう。
危険度を身をもって知るはずだ。
今のところはローズたちのお蔭で危険な魔獣はいないが、これからどうなるか分からない。
「では根回しのほうは私のほうでやっておきます」
「頼む」
部屋に戻った僕は、精霊の穴を通してダイヤーウルフの棲家に向かった。
【アーリーの匂い、久しぶり】
ローズは懐かしそうに尻尾を揺らしている。
「うん、アーリーも会いたがってた」
僕がそう言うとコツンっと鼻先で腕を突く。
相変わらずローズにお世辞は通用しない。
「ふふっ、でも忘れているわけじゃないよ。 殿下もローズと遊んだことは覚えていたし」
暗い洞窟の奥、夜行性の仲間たちは狩りに出ている。
ここに残っているのは、ローズと、この冬に産まれた子狼たちと世話をする母親たちだ。
僕とローズはしばらくの間、二人きりで話し込んでいた。
帰り際にもう一つだけ訊く。
「今、親から離せる子狼は何体いる?」
【八体かしら】
すぴすぴと可愛らしい寝息が聞こえる。
「それにしても、警戒が厳重だね」
【ちょっと心配なことがあって】
最近、この群れから外れた若い狼が何体かいるそうだ。
彼らは人間との共存を嫌がっていて、子狼や雌を無理矢理、仲間に引き入れようとしていたのである。
【馬鹿な子たちよ】
前回のフェンリルを見ていない世代の若い狼たちなので、僕が変身して言い聞かせればいいんだろうが、最近はずっと事業で忙しかったからな。
とにかく今は、ここに聖獣様が現れたら困る。
「そっちはアーリーたちが帰ったら何とかしよう」
そう約束して僕は自室に戻った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
領主館のアーリーたちの部屋は、王子の部屋の近くにあった。
王子の部屋の前には兵士が交代で立つ。
イーブリスは「ここでは必要ない」と言ったが、念の為だと近衞騎士が主張したのである。
「お蔭で迂闊に廊下を歩けなくてね」
深夜、アーリーの部屋に突然、イーブリスが姿を見せた。
館に秘密の通路があるのだと従者のエイダンに説明していたが、アーリーには魔法で何かしたのだと分かる。
「キミは休んでくれ」
イーブリスは、お茶を淹れてくれたエイダンに席を外すように言う。
大柄な従者は少し渋っていたが、アーリーが嬉しそうに頷いたので大人しく隣の続き部屋に移った。
「よく来たね、アーリー。 遠かっただろ」
「うん。 でも騎馬で長距離は結構楽しかったよ」
イーブリスは祖父の公爵に似た穏やかな笑顔でアーリーの話を聞いている。
(変わらない)
王都の本邸で、いつも側で、時には少し遠くから感じていた視線にアーリーの心は満たされていった。
「そうだ、アーリーに謝らないといけないことがあって」
「えっ?」
イーブリスにそんなことを言われて、アーリーは本当に驚く。
今までイーブリスが間違ったことなどないと思っていた。
少なくともアーリーに謝罪するなんて、魔物であることをうち明けた時ぐらいではないか。
イーブリスは立ち上がってアーリーの前に跪き、手を伸ばす。
「このイヤーカフ、聖獣様に会ったときのお土産だって言ったけど、本当は僕がアーリーを守るために作った魔物なんだ」
そう言ってイーブリスが軽くアーリーの耳に触れただけで、ポロリとカフが落ちる。
「えっ……」
足元に落ちた黒いカフをイーブリスは拾い、手のひらに乗せるとドロリとした液体になった。
そして目の前で、今度はアーリーの目と同じ美しい青色のイヤーカフになる。
「この土地で僕は力を付けた。 アーリーを守るために」
以前はアーリーに着けてもらうために聖獣のお守りだと嘘を吐いた。
「今なら自信を持って自作だと言える」
そう言ってカフを差し出す。
「アーリー、これを着けてくれるか?」
「うん」
何の躊躇いもなく新しいカフを耳に着けたアーリーを、イーブリスは強く抱き締めた。