83・宣言
翌朝、僕は朝食を早めに済ませて、領主館の裏にある馬車の発着場に向かう。
今日から本格的に何もかもが動き出すのだ。
「既に従業員用の馬車は出ております」
だろうね。
僕は頷き、グルカとスミスさんと一緒に馬車に乗り込む。
公爵領の領都といっても少し大きい程度の町だ。
町の真ん中を公爵家の紋章を付けた馬車が走る。
中央広場を抜け、両側に商店が並んだ通りには朝から人が溢れていた。
六年前、この領地に来た時は寂れた印象だったけど賑やかになったものだな。
施設の門の前で馬車を降りる。
「おはようございます」
笑顔や緊張した顔が見えた。
「おはよう」
僕はいつもと同じ無表情でスミスさんの後ろを歩く。
門を潜り中に入ると、従業員や警備員が軽く頭を下げて通り過ぎる。
施設内では僕に対して足を止めたり、仰々しい挨拶は要らないという通達が行き渡っているようだ。
大変、結構である。
大きな休憩所に入ると王子一行の内、先に領都に移動する隊が準備を終えていた。
アーリーの気配がない。
おそらく別室でダヴィーズ王子と一緒なんだろう。
仲が良いようで安心した。
この隊の責任者らしい男性が恐る恐る近付いて来た。
「おはようございます。 ご挨拶が遅れました、領主代理のイーブリスです」
こちらから先に声を掛ける。
「皆さん、遠い所お疲れ様です。 ごゆっくり出来ましたか?」
僕は一応、接客用の笑顔である。
こちらから挨拶が来るとは思わなかったのか、少し慌てているようだ。
「はっ、あ、ありがとうございます」
口下手な人なのか、会話が続かない。
ソルキート隊長を呼び、案内役の領兵を付けて領主館に送り届けるように頼む。
王子一行以外の招待客が入るのは昼頃からになる。
僕は、その客たちを迎えるために門の前で一言挨拶を行う予定だ。
それまでに王子殿下との顔合わせを終えなければならない。
はあ、とため息を吐くとスミスさんから睨まれる。
いやもう仕方ない、そろそろ行くかな。
休憩所を出ようとしたところで声を掛けられた。
「おはようございます、イーブリス様」
朝の挨拶をする白髪の従業員は、王都でも有名な熟練の接客業指導者だ。
今回、お祖父様に頼んで短期間の契約で来てもらった。
使用人たちの指導依頼が、大店だけでなく、貴族の屋敷からも引く手数多の忙しい人である。
「おはようございます。 王子一行の対応、ありがとうございます。
一日早い到着でしたが何事もなく進み、本当に助かりました」
敬意を込めて礼を取る。
このご老人は公爵家の執事長とも繋がっているらしい。
無様を晒すと本邸に戻った時が怖いんだよ。
「いえいえ、公爵閣下とは古いご縁でございますので。
しかも、この歳になってまだ新しい経験が出来ることは望外の喜びでございますよ」
お互いに笑顔で挨拶を交わす。
この人もお祖父様と同じ侮れない雰囲気を持つ。
この緊張感。 僕はこういう人間は嫌いじゃない。
熟練従業員に案内されて殿下が宿泊されている部屋の前に立つ。
ガルル
何かを感じてグルカが唸る。
「大丈夫だよ」
僕は軽く背中を撫でてやる。
トントンと叩いただけでバンッと扉が開いた。
周りが引く勢いで、僕より一回り大きな身体に抱き付かれる。
「リブ!、久しぶり」
「はい、デヴィ様、ご無沙汰しておりました」
ぎゅうぎゅう抱き締められて息が苦しい。
相手は王子なので好きなようにさせておいたら、さすがに従者兼護衛らしい騎士が引き離してくれた。
「あ、すまん」
別れた日と同じ、幼い子供のような殿下に呆れて苦笑した。
そして僕は部屋を見回す。
「アーリー」
王子の勢いに引き攣った笑顔のまま立っている同じ顔に声を掛ける。
隣にいた大柄な従者の少年がアーリーの背中を押した。
クォン
グルカが一声上げるとハッとした顔になる。
「あ、リブ」
僕は微笑み、自分から近付いてアーリーを抱き締める。
「よく来たね」
ついでにシェイプシフターの能力でアーリーの最新情報を入手しておく。
「リブ、リブ」
「ああ」
周りは静かに見守っていた。
いつの間にかテーブルにお茶の用意がされていて、座るように促される。
デヴィ殿下も積もる話はあるだろうが、アーリーの様子を見て口を挟むのを躊躇っていた。
ほお、王子の暴走を止めるのにはこういう手もあるのか。
「失礼ながら」と殿下の従者が代わりに話し始める。
「イーブリス様、体調はいかがですか?」
「ご心配ありがとう。 ずっと忙しくしていたら、領民の皆が心配してくれてね。
ちゃんと休めと館に押し込められてしまったんだよ」
僕の病弱設定は領内でもよく知られている。
信じてくれない者もいるけど。
「りょ、領民とは仲が良いのか」
殿下はまだ興奮しているのか、顔が赤いな。
「私自身はそう思っておりますけれど」
逆らえば地下牢行きだからな。
ここでも誰かが従業員に探りは入れただろうが、型通りの無難な返事しかしないように訓練してあるはずだ。
僕は部屋の隅に静かに立っている老人をチラリと見た。
あ、微笑まれちゃったから確定だ。
僕からは今回の訓練の様子を訊ねたり、これからの予定を確認させてもらったりする。
今日を含めて六日間、この領地に滞在するそうだ。
「よろしければ、実際に魔獣狩りなどされますとよろしいかと」
殿下の眉がピクリと動く。
「その、私はイーブリスは魔獣を保護していると聞いていたが、狩りは良いのか?」
「ええ、この土地では名産である魔石を採るための魔獣狩りを禁止になど出来ません。
ただ、狩る魔獣を限定したり、数量を制限したりはしております」
殿下と騎士が顔を見合わせる。
「魔獣というのは全て危険なのではないか?」
あー、騎士様はそういう認識なんだね。
「そんなことはございませんよ」
これは一度教育しなきゃだな。
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アーリーはイーブリスの元気そうな様子に安心した。
公爵家の辺境にある領地はかなり遠かったし、王都から見れば小さな町である。
新しい事業の建物自体はそんなに立派なものではなかったが、広い温水浴場は手足が伸ばせるし、外の空気を吸いながら大勢での入浴も楽しかった。
湯着という物を身に付けての入浴だが、女性や子供たちも一緒に入れるそうだ。
王子や高位の女性にはちゃんと個室も用意されていて、そちらも屋根はあるが外を見ることが出来る開放感のある浴室になっていた。
「お時間になりました」
従業員がイーブリスを呼びに来た。
これから領主代理による開業の宣誓があるらしい。
ダヴィーズ王子も嬉しそうにイーブリスの後をついて行く。
門の前にはかなりの人数が集まっていた。
どう見ても中に入れる数ではない。
「あははは、集まったなあ」
イーブリスは笑っている。
アーリーから見ても、全く緊張しているようには見えない。
指定された場所が一段高くなっていた。
王子を先に上げ、そこに足を掛けた状態でイーブリスが振り向く。
「アーリー、おいで」
「え?、僕?」
優しい笑みについ従って、アーリーはイーブリスの後から台の上に乗る。
どよめきが起き、ハッと我に返って見回したアーリーは驚いた。
招待された客ばかりではない。
普段着の、ごく普通の領民たちが大勢押し掛けていたのだ。
手を挙げたイーブリスに皆の目が集中する。
「皆さん、ようこそ、ラヴィーズン公爵領の新しい温泉施設へ」
表に出ることが珍しいイーブリスの声を聞こうと聴衆が鎮まる。
「開業宣言の前にご紹介いたします」
そう言って、まずは国王陛下の名代であるダヴィーズ王子を紹介し、領民と共に低頭礼を取る。
王子はその礼に応えて「公爵領の新しい事業を応援する」と答えた。
そして顔を上げたイーブリスは、今度はアーリーを真横に立たせる。
「こちらは、私の弟で次期公爵のアーリーです」
「おーーーっ」と民衆から歓声が上がった。




