80・移動
開業が間近に迫ったその夜、僕はラヴィーズン公爵家本邸にいた。
先日、王都から王子一行が出立したという知らせが届いている。
一行が領地に到着するのは早くても出発から十日後だ。
大人数の移動だから、もう少し遅くなる可能性もある。
その予定を踏まえた上で、もう一度確認のため僕は本邸にやって来たのだが。
「は?、アーリーがダヴィーズ王子殿下と?」
同行しているとは知らなかった。
「うむ。 王宮から確認があるまでアーリーは私に何も言わなかったのでな」
お祖父様も知らなかったらしい。
アーリーは僕が王都を去ってから、ずっと王宮に行くことを嫌がっていた。
王子のお茶会の招待も僕のことを口実に断っていたくらいだ。
それが最近、ダヴィーズ王子と親交を深めていたのだという。
従者である大柄な少年も視察に同行することになっていたが、アーリーに口止めされていたそうだ。
そこは良い。 アーリーにもちゃんと心を許せる者がいるということだし。
公爵家では王都から離れられないお祖父様の代理で、文官の誰かと騎士団長が来る予定で調整していた。
次期公爵であるアーリーが動くことになり、従者と騎士団の一部が付いて来る。
「もう出立してしまっているなら仕方ないですね」
というか、王族からの依頼なら、お祖父様でもちゃんとした理由がなければ断れない。
「うむ。 あとはそっちで頼む」
「……はぁい」と僕はため息を吐く。
視察団の日程に変更はないか、実際の同行者に注意すべき人間がいないかをカートさんとスミスさんが確認している。
その間、僕はお祖父様とお茶を飲みながら、執事長も交えて世間話という情報交換。
それが終わると「またな」とシーザーの頭を撫で、闇の精霊の穴を通って領地へ戻った。
馬車を使って移動する必要がなければ、こんなに簡単に往復出来るのに、人間って不便だ。
僕の使い魔の振りをしている闇の精霊。
あの洞窟で産まれた僕の親代わりというか、何か理由があってずっと一緒にいるんだろうなとは思う。
だけど、その辺りの意思を何も伝えてこないから分からない。
ただ僕が産まれる前から愛し、育み、守ってくれている。
「でも、あの洞窟には色んな精霊がいたのに、どうして闇だけがついて来たんだろう」
そこが不思議ではある。
もしかしたら、あの母親の『魅了』か、魔方陣のせいなのかな。
「イーブリス様、そろそろお休みください」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、スミスさんにベッドへ入るように促される。
「あ、ああ」
どうやら人間の身体は疲れていたらしく、すぐに眠りに落ちた。
翌朝、関係者を集め、朝食を取りながら会議をする。
そろそろ皆が配置場所に移動するため、館で顔を合わせるのは今日までだ。
「アーリー様が王子殿下と」
ソルキート隊長は顔を顰める。
公爵家騎士団も王族を快く思っていないからな。
「へえ、イーブリス様の弟君がいらっしゃるんだね」
農業指導者のボンが「何が問題なのか分からない」という顔をする。
公爵家と王宮のゴタゴタを知らなければ、そうなるよな。
「アーリーは次期公爵だ。 ある意味、孫溺愛の公爵閣下より厄介だと思ってくれ」
孫の言い分を聞いてくれるお祖父様と違い、アーリーはまだ未成年だから自分の感情で動くので行動が読めない。
僕がそう言うと、
「若い者は何をやらかすか分からんからな」
と、タモンさんが頷く。
「それで?」
デラートスさんが皆を代表して先を促す。
「本家に出入りしていた者なら分かるだろうが」
僕は皆の顔を見回す。
「僕とアーリーは、ほぼ見分けがつかない」
それが問題なのだ。
よく見れば服や小物が違うし、話をすれば別人だと気が付くだろう。
だけど、双子だと知らない者にしたら、金髪に青い目をしたアーリーは僕だと認識される。
「町の者や施設従業員たちが間違えて接触する可能性が高い」
今回は王子の側近として、この町にやって来る。
「下手に弱みを握られることのないように頼む」
僕がそう言うと、ボンは困った顔をした。
「一応『領主代理の双子の弟が来る』と皆には伝えますけど、どこまで浸透するか分かりませんよ」
だろうな。
それにアーリーが大人しく王子の傍に付いているとは思えない。
「アーリーに一人で動き回られたら、公爵家領兵でも判別は難しいだろう」
王族一行は、余程のことが無い限り地下牢に放り込むことが出来ない。
公爵家の権限が及ばない王族の管轄だからだ。
「あ、あの」
身重のジーンさんが、夫のスミスさんの顔色を窺いながら発言する。
「弟さんですよね?。 いったい、何の心配があるのでしょう」
仲の良い兄弟だということは公爵家の者なら誰でも知っている。
弱みだの厄介だの、何やら不穏な言葉が飛び交っているのを不思議に思ったようだ。
「僕が警戒しているのは、ダヴィーズ王子殿下だ」
あのアーリーを懐柔して何を企んでいるのか。
僕は彼の父親に報復した。
アーリーの両親の死の原因の一つである国王陛下に。
僕が王都を去る原因となった事件を、今の殿下がどんな風にとらえているのか、それが分からない。
まあ、それは誰にも言えないけどね。
「殿下は僕に執着している」
僕に「行くな」と泣いて縋っていたからな。
「以前来た監査官たちのように視察は粗探しだ」
粗が見つかれば、それと引き換えに王子が得ようとするものは何か。
「イーブリス様に王都へ戻ってもらい、自分の傍に置きたい。
という感じですかね」
スミスさんの言葉に、僕は大きく肩を落としてため息を吐く。
「僕は病気療養ということで、この領地に来た。
元気でいることが分かれば、王都へ戻れと騒ぐのは目に見えてるんだよ」
ジーンさんが困ったように眉を寄せた。
そして、そこに次期公爵であるアーリーがいる。
「アーリーが殿下に公爵家として承諾したなら、僕は王都へ戻されるだろうね」
アーリーは僕の名誉を回復し、本邸に連れ戻したいと画策している節があった。
「お祖父様はアーリーにお願いされたら弱いんだ」
僕は孫といっても魔物だからな。
「要は、僕は未だに健康に不安があることを、アーリーにも王子殿下にも理解してもらわないといけないのさ」
権力を持った子供って、本当に厄介だと思うよ。
僕を含めてね。
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夏が来る。
王都の鬱陶しい暑さと違い、北の領地は山に囲まれているため過ごし易い。
今回、ダヴィーズ王子は『辺境地の魔獣討伐を想定した移動』をしている。
王国の北の森は魔獣狩りで有名だ。
本来なら国軍の仕事だが、何故か、現在は国王直轄である軍を動かせない。
将来、王太子になる王子が自ら動いて国民の不満を和らげていた。
「やはり騎馬にして良かったな」
「はい。 予定より二日も早いです」
同行する者も全て騎乗出来ることを条件とし、長時間の移動や野営の訓練として参加を募った。
お蔭で口うるさい古参も減り、見かけ倒しの貴族子息もいない。
快適な旅である。
そして、そのついでに公爵領の新しい事業を視察するのだ。
あくまでも『ついでに立ち寄る』のである。
三十名近い集団に立ち寄られるほうは堪ったものではないだろうな、と申し訳なく思う。
街道から公爵領に入る道は、かなり広く整備されていた。
さらに『案内所』と看板を掲げた関所が設けられている。
一行は足止めされ、王子の従者が話を聞きに行く。
「ラヴィーズン公爵領へようこそ。
現在、こちらでは新しい事業のため、非常に混雑しております」
宿の予約など滞在期間を確認される。
「はっ!、ダヴィーズ殿下であらせられましたか。
大変失礼いたしました」
領兵の一人が馬で知らせに行く。
「申し訳ございませんが、しばらくお待ち下さい」
大慌てで公爵家騎士団の領地分隊長が駆け付ける。
「こちらです」
一行は温泉施設へと案内されることになった。