王太子妃の器
現在、王宮には十名もの伯爵以上の家位の令嬢が集められていた。
国の第一王子、アルフレド。その妃候補として集まり、王宮に残ったのが十名である。
中でも突出して目立つのが四名。
カリスタ嬢の公爵家は、商戦において右に出る者はいない。
ジャスミン嬢の侯爵家は、広大な領地を平安に治める手腕を持つ。
アニー嬢の伯爵家は、爵位を授けられてからの勢いが今一番注目されている。
そしてカナリア嬢は公爵家であり、宰相の娘だ。
教養はもちろん、家柄も問題なく、妃としての資質を十分に兼ね備えた四名である。
王宮には十名を残したが、ほぼこの四名の競い合いになることは間違いない。
だが、妃候補達はやる気がなかった。
残された十名、そして十名に就く護衛騎士、侍女達、王宮で働くありとあらゆるメイド達、さらには全国民、なんなら第一王子であるアルフレド本人ですら、その事実を隠そうとはしなかった。
残された十名のうちのただ一人。
宰相の娘であるカナリアはアルフレドから寵愛を受けており、今回の妃選出はただの演出だ、と。
王太子妃の座を狙う狡猾な売り込みを凌ぐため、わざと妃候補として相応しい令嬢達と競わせ、その実力を確固とするための茶番。
いわばこの妃選出は、出来レースだった。
❇︎❇︎❇︎
妃候補とは一人につき月に二回、時間を設けることにしてある。
いくら出来レースと言われようと、カナリアを最初から選ぶのではないという、一応の体裁をつくるためだ。
もちろん諦め悪く妃の座を狙ってこようとする令嬢は潰すつもりだが、他に利になる情報が得られるかもしれない。
政治的な話なら友好的な態度も取れようと、俺は王宮に残った令嬢達の名前を眺めた。
「……キリル」
妃選出の催し前まで、常に側に仕えていた騎士の名前をつぶやいた。
幼い頃から剣術を共に習った仲だ。王宮において唯一無二の親友であり、俺の理解者。
だからこそカナリアの護衛につけた。
カナリアは常に一歩引いた態度であまり意見をしない。それは淑女らしく控えめである、と俺は思っているのだが、カナリアをよく思っていないやつらはそうは思わない。
私生児なのだから口を噤んでいるのが当たり前だ、と言うのだ。
まったくもって傲慢な考えだ。
カナリアは私生児だった。
生まれ育ちは今の暮らしとはかけ離れた庶民のもので、宰相に引き取られるまでは一般的な教養さえあやしかった。
しかし、引き取られてからは真綿のようにあらゆる知識を吸収し、元ある才を伸ばした。
貴族マナーも根っからの貴族より細かく美しい所作で完璧に仕上げ、宰相のつけた講師を唸らせるほどだったと聞く。
だが、私生児。
それを弱みと取り、俺の隣から引きずり下ろそうとする狡猾な低俗貴族はまだまだいる。
だからこそ、茶番と言われようと、この妃選出は必要な演出だった。
「カナリアを守れ、キリル」
吹けば飛んでしまいそうなほど、儚い彼女だ。
茶番に巻き込まれやる気のない令嬢達だが、やっかみがないとは言い切れない。向けられる悪意から、貶める陰口から。
立場上、直接守ってあげられない俺に代わって。
「カナリアは優しすぎるゆえに、弱く脆いのだ……」
誰よりも信頼のおけるキリルに、任せるしかなかった。
しかし、そんな俺の心配とは裏腹に、妃選出の催しはおかしな方向へと動き出していた。
妃候補につけた騎士には、毎日の報告を義務付けていた。その日の様子。行動。
淑女に対して失礼にならない程度に、王宮でどんな生活をしているのかを確認したかった。
それはカナリアも同様で、キリルから特段目立つ報告はそれまで受けていなかった。
だが、ある日。
その日は妃候補数名でお茶会を開いた日だった。
眉を寄せたくなるほどに違和感を感じる報告は、そのお茶会に伴われた騎士達から上がった。
「カナリアが言い返した、だと?」
数名の騎士、そしてキリルが頷く。
お茶会はカリスタ公爵令嬢の主催であり、ほかに呼ばれたのは最有力候補から外れた二名。マリナ侯爵令嬢と、ユーリン侯爵令嬢だ。
カリスタ公爵令嬢と仲がいいというよりは、取り巻きに近い感じだという。
騎士達は仕える令嬢を一番に護るが、俺に上げる報告では贔屓差別は一切しない決まりになっている。
「どういう状況だったのだ。キリル」
「はい。申し上げます」
キリルは淡々と状況を説明し始めた。
カリスタ公爵令嬢主催のもと、カナリアを招待しにきたのはマリナ侯爵令嬢とユーリン侯爵令嬢だった。カナリアは快諾し、キリルを連れてお茶会へ。
交流を深める、もしくは腹の探り合いかと思われるお茶会だったが、いざ席に着くと身も蓋もないものだった。
マリナ侯爵令嬢とユーリン侯爵令嬢はカリスタ公爵令嬢を持ち上げ褒め称え、王太子妃の座にふさわしいのはカリスタ様だ、と言った。
それだけならカナリアは気にしていないようだったが、反応がないのをいいことにその二人は次第にカナリアを貶めていった。
私生児のくせに。教養もなかったくせに。卑しい生活で卑しさを学び、アルフレド殿下に取り入った。宰相はなぜお前を引き取ったのか? 家名に傷をつけるだけなのに。
「カナリア様は殿下、そして宰相様のことを庇って発言されました。ですが、たしなめただけです」
「そうか……」
いや、それだけでもカナリアにとっては驚くべきことだ。良し悪しの判別はしっかりとしているが、他人の意見に異を唱えることを苦手としていたはずなのだから。
俺は驚きつつも、自分を庇ってくれたのかと嬉しくなった。
そして、考えを次に移す。
「では、今回の件はカリスタ嬢が仕組んだということか」
友人よりは取り巻きだというマリナ侯爵令嬢とユーリン侯爵令嬢を使い、自らの手は汚さずにカナリアを貶める。
商売上手な公爵家の娘としては賢くないやり方だ。
すると、カリスタ公爵令嬢の騎士が口を開いた。
「進言します」
「許す」
「カリスタ様は今回の件は、巻き込まれた形だと思われます」
「理由を述べよ」
「申し上げます」
今回のお茶会は主催はカリスタ公爵令嬢だが、元々の発案は取り巻き二人のものだったと騎士は言う。
カナリアがお茶会に招かれていたことも、カナリアが参加したことでカリスタ公爵令嬢は知ることとなり、本来であれば取り巻きとの三人で楽しむつもりだったと。
マリナ侯爵令嬢、ユーリン侯爵令嬢の騎士に相違はないかと確認すると、どちらも間違いはないと言った。
「では、なぜカリスタ嬢は二人を止めなかったのか」
「それについてはお茶会後、カリスタ様に確認致しました」
「なんと言っていた」
「口を挟んでも挟まなくても、私が悪者になるのは免れない。ならば、カナリア様がどう出るのか見たかった、と仰っていました」
「……なるほど」
悪者になるのは免れない、か。
取り巻きらしいマリナ侯爵令嬢とユーリン侯爵令嬢。今回のことで落ちたのはカリスタ公爵令嬢となるが、果たして立場を陥れたいと画策したのはどちらだったのだろう。
カナリアだったのか、カリスタ公爵令嬢だったのか。――あるいは、どちらもか。
「わかった。今回のことはこれまでとしよう。皆、護衛に戻れ」
ひとまずは様子見だ。
予期していた通りのことだ。
令嬢同士の陰険な貶め合いからカナリアを守るのは、今はキリルの任だ。
俺は無理矢理そう自分を押さえ込み、一人になった執務室で大きく息を吐いた。
❇︎❇︎❇︎
カナリアと他の妃候補とのいさかいは、小さいながらもその後も絶えることなく続いた。
報告が上がるたびに俺は密かに嘆息し、カナリアに同情した。だいたいの原因は妃候補からカナリアへ向けたものだったからだ。
だが、時折、カナリアから仕掛けているらしいこともあった。
キリルは「注意を促しただけです」と言うが、それにしてもカナリアから他の令嬢に物申すなどこれまでにあっただろうかと、俺は首を傾げたくなった。
幸いにもキリルがすぐにカナリアを引き離すので大事にはならずにいる。
大事にはならずにいるが、また違う話題が持ち上がるのも免れないことだった。
その話題を耳にしたのは、アニー伯爵令嬢とのお茶の席でだ。
勢いがあるとはいえ、爵位を与えられてからまだ日の浅いアニー伯爵令嬢。マナーこそ問題ないが、残された面々で一番の若手ゆえか、その口は少々身軽であった。
「キリルとカナリア嬢が?」
「はい」
にっこり向けられる笑顔は無邪気なもので、まるで恐れを知らない。
他の妃候補がこの場にいたら凍りついていただろう。それほどに、この、ものを知らぬご令嬢は友人と恋バナでもする調子でその話題を持ち出したのだ。
俺にとってはタブーと言える、そのおもしろくない話題を。
「他の皆さんも仰っていますよ。妃候補と護衛騎士にしては距離が近いと」
俺は引きつりそうな顔を、お茶を飲むことで誤魔化した。
アニー伯爵令嬢の騎士は俺の殺気を感じ取ったのか顔が青ざめた。
「……カナリア嬢とキリルは、どう距離が近いのだ」
「えぇと、問題ごとがあると必ず騎士様が庇っていらっしゃいます」
「護衛騎士なら当たり前では?」
「そうなんですけど、雰囲気が……。あぁそうです、カナリア様は騎士様のお名前を呼び捨てにされていました」
ぴくりと、止まる。
キリルを呼び捨てだと? 敬称には特にこだわる、あのカナリアが?
「カナリア様はアルフレド殿下とも仲睦まじいとお話を聞いております。もしかして、殿下も愛称で呼ばれているのですか?」
「いや……」
カナリアは絶対にそんなことをしない。
俺がいくら敬称はいらないと言っても、愛称で呼んでくれと頼んでも、一度もそこを崩したことはなかった。
アニー伯爵令嬢は輝く少女の瞳で俺を見つめた。
「まぁ、そうでしたか。愛称を許されているのでしたら勝ち目はないと思っていたんですが、私にもまだ希望はあるということでしょうか」
「……公正に見極めている」
「殿下は聡明なお方です。カナリア様と護衛騎士様のことは、どうか判断の一部に」
「留意しておこう」
あまりにも無邪気な少女すぎる。
カナリアを蹴落とそうとするにも、ここまで直球だと間抜けすぎていっそ憐れだ。
俺は王太子らしく笑みを浮かべて見せると、アニー伯爵令嬢のその頰はみるみると赤く染まっていった。
「では、俺はこれで失礼する。有意義な時間だった」
俺は席を立つと、青ざめたままの騎士を一瞥して執務室へ戻った。
その後に行われた護衛騎士による報告では特に目立つものはなかった。
この日カナリアにやっかむ者はいなく、おかげでカナリアも静かに過ごせたようだった。
キリルをちらりと見て、いつも通りの表情に少し胸がざわつく。ついでアニー伯爵令嬢の騎士を見てると、目が合いそらされた。
心の中で、なるほどな、と鼻を鳴らした。
アニー伯爵令嬢の「他の皆さんも仰っていますよ」は、キリルを仲間に思う騎士同士では暗黙の了解になっているようだ。
どうりで俺に報告が上がらないわけだ。
俺は敢えて聞いてみる。
「他に報告はないか?」
騎士達はしん、と静まり返る。
アニー伯爵令嬢の騎士はじょじょに青くなっていくが、結局進言はしなかった。
キリルも表情を崩さない。
「……わかった。もういい、下がれ」
別に、問い詰めるつもりはない。
アニー伯爵令嬢の騎士は俺を気にしつつ、執務室を出ていった。続いて他の騎士達も護衛に戻っていく。
最後に執務室を出ようとしたキリルは、一度足を止めて振り返った。
騎士達の足音が遠ざかるのを確認して、言葉を選ぶように口を開いた。
「――殿下。明日はカナリア様ですね」
「あぁ、そうだ」
月に二回、妃候補との時間。
キリルが言うように、明日はカナリアとの時間を約束している。
「……贔屓されませんように」
「わかってる」
ため息混じりな俺の返答に、キリルは頷いて執務室を出ていった。
「明日か……」
閉められた扉を見ながら、独り言つ。
なぜこのタイミングなんだろうな、と。
俺がカナリアを寵愛しているのは誰もが知る事実。嘘偽りなく、まっすぐに想いを向けてきたのだから。
だが、だからこそ直接口に出して伝えることはなかった。
カナリアには伝わっているはずだし、彼女も俺の気持ちを受け止めてくれているように見えていた。
「見えては、いた……」
今さらになって、己の立場の重さがのしかかる。
次期王位を継ぐ王子に気に入られたら。王太子妃の座にふさわしい家柄で、ましてや父親が宰相ともなれば。
カナリアは、俺を無碍にすることはできなかっただろう。好意を向けてくる俺に、知らずのうちに外堀は埋められていき。
どう足掻いても、俺を断ることなどできなかっただろう。
カナリアの気持ちなど、王太子妃を決める上で何一つ重要ではないのだから。
「はぁ……」
君は、俺のことをどう思っているんだ。
ただ王子として、自身は公爵家の娘だと割り切っているのだろうか。
それとも、少しは俺に気を許してくれたことはあったのだろうか。
まさか妃選出の今回の催しで、度々カナリアらしくない言動をしているのは、妃候補から外れるための演技だったりするのだろうか……?
いや、まさか、と俺は首を振った。
カナリアはそんな女性じゃない。それは、俺が誰よりも知っていることだ。
キリルとのこともあくまで噂だ。噂にすぎない。
存外、無邪気な少女の軽はずみな言葉に心を乱されてしまっている。
明日、カナリアに会えばわかることだ。
待ち焦がれた日はやはり楽しみなのに、胸のざわつきが少しある。
明日が早くやってくればいいと思う反面で、明日はこなければいいという、複雑な気持ちを誤魔化して俺は仕事に没頭した。
❇︎❇︎❇︎
「アルフレド殿下? 体調がよろしくないですか?」
迎えた翌日は見事な快晴で、カナリアの希望で庭園を歩くことになった。
庭師による剪定はどこまでも追求され、花は見事に彩り咲き連なる。そよぐ風が心地よい。
その青空の下、俺の目の下には誤魔化しきれないクマがくっきりと現れていた。
「仕事が少し、忙しくてな」
寝るに寝られなかったとは言えない。
カナリアに会えるのが楽しみで、と今までなら付け加えて言ってしまっていただろうが、軽々しく口にできなくなってしまった。
「まぁ、嬉しいです」と笑ってくれるだろうカナリアに、疑念を抱いてしまいそうだったから。
「お仕事が……。わたくしに時間を割いてくださり、ありがとうございます」
「そういう決まりだからな」
「あの、戻られてお休みになってはいかがです? このような時間を設けなくても、殿下はわたくしのことをよくご存知でしょう」
カナリアの提案に俺は止まる。
言っていることは俺を気遣っている上で、カナリアのことはよく知っているし、何も間違っていない。
ただ、素直に頷けなかった。
「いや、大丈夫だ」
「そうですか……? では、そちらのベンチに座ってのんびりしましょう。美しいお花が見頃ですよ」
カナリアは先にベンチに腰掛けると、俺を隣に座るよう促した。
のんびりしましょう、を押し通そうとしているようだった。俺が「歩こう」と言うのを見越しての、カナリアなりの先制だ。
俺はふっ、と笑みを溢した。
意見をすることの少ない彼女は、こうして行動で俺を制するのだ。
「では、そうしよう」
騎士達の報告で聞いてきたカナリアではなく、俺の知るカナリアが隣にいる。
その心地よさに安堵し、そしてやはり愛らしく思う。
彼女は、彼女のままだった。
風に髪を揺らし、賑やかに咲き誇る花に目移りするカナリアの肩に、俺は頭をもたれた。
「ア、アルフレド殿下っ?」
「少しだけ」
「で、ですが人目が……」
「誰もいない。いてもキリルが追い払う」
俺とカナリアの見えぬ所に控えているキリルが。
名前を出すことでカナリアは反応するだろうか、とちっぽけな俺が試す。
ふわりと香る優しい匂いにカナリアを感じた。
いつも側にいるはずだったこの香りが、今はどうしても遠く感じてしまう。
触れるぬくもりが、戸惑いがちに動き出そうとする小さな手が。
カナリアは、キリルをどう思っているんだろう。
しかし、反応があったのは隣のカナリアではなく、背後から出てきたキリルだった。
「殿下」
「……なんだ」
予想外にも不愉快な登場に、俺はカナリアの肩から離れず返事をした。
「急ぎ確認していただきたい書類があるようです」
「今か?」
「そのようです」
ちら、とキリルが後ろを振り返れば、そこには書記官が立っていた。
「……」
ふつふつと湧き上がるイラつきを押さえ、俺は顔を上げた。
隣で、カナリアが心配そうな面持ちをしていた。
俺のイラつきはそれだけで霧散してしまう。
「すまない、行かなければならなくなった。後日、改めて時間を設けよう」
「いいえ、アルフレド殿下。わたくしのことはどうぞお気遣いなく」
「そうは言っても、さすがに短い」
「今こうしていられたことは、わたくしにとってかけがえのない時間でしたよ」
はにかんで言われてしまうと、俺はカナリアを押し切ることができない。
これ以上「時間を設ける」と提案しても、それはただの俺の欲になってしまいそうだ。
俺は渋々頷いた。
「では、失礼する。――カナリア。どうか、穏やかに過ごすように」
立ち上がると、ごくわずかな力で袖を掴まれた。
驚いてカナリアを見れば、向けられた眼差しは真剣なものだった。
「アルフレド殿下。公正な判断を」
まるで、釘を刺すかのように。
そういえば昨日のキリルの言葉も、もしかしたら同じ意図だったのかもしれない。
控えていた書記官が俺を急き立て、歩きながら詳細を話し始めた。
俺はそれに相槌をうち、だんだんと離れていく距離に後ろ髪を引かれて振り返った。
カナリアとキリル。
ベンチから立ち上がろとしたところでよろけ、キリルがそれを支える。
見つめあった二人は、それが当たり前の距離だというように微笑み合っていた。
俺の鼓動は大きくなり、見ていられず目を背けた。
急ぎだという厄介な書類が舞い込んできてくれて、その時ばかりは頭が冷静になり救われた。
キリルは俺の護衛騎士をしているが、家は代々王家に仕える由緒正しい侯爵家だ。
カナリアの父である宰相とも良好な縁を築いており、家柄同士の問題はない。
キリル自身は幼い頃から俺と共にいたため、誰よりも信用できることがわかる。
剣の腕はお墨付き、誠実で、カナリアと並んでも見劣りしない外見だ。
「……邪魔者だな、俺は」
自嘲気味にぼやいた。
いくら俺が先にカナリアに惹かれていたとしても、カナリアが誰に恋するかは自由。
それが妃選出のこの催しが始まってからで、たまたま護衛騎士にキリルがついたからだとしても。
キリルも、誰を見初めるかは自由なのだ。
この気持ちだけは、誰にもどうすることもできない。
「公正な判断、か」
カナリアのその言葉が、幾度も俺の頭の中に蘇った。
その翌日はカリスタ公爵令嬢との日だった。
先日の一件から、巻き込まれたかもしれないにしても、あまりいい印象はなかった。
だが、招かれたお茶の席では思いのほか会話が弾んだ。一つ質問をすれば即座に二つ、三つの回答があり、選択の余地があり楽しかった。
なるほど商売上手な公爵家の娘だと、俺は認識を改めた。
妃選出から外れたとしても、今後の伝手として是非とも友人に欲しい人材だった。
いまだ妃候補を蹴落とそうとするマリナ侯爵令嬢、ユーリン侯爵令嬢は色目や会話の中での詮索が下品だったために牽制したが、同じく俺に好意を向けるアニー伯爵令嬢にはなんとか先を見出せた。
無邪気な少女、という印象は変わりないが、純粋無垢で真っ直ぐな気持ちは向けられ続けていくうちに次第に嬉しいものとなった。
言葉のやりとりは素直すぎて不安な面もあるが、成長と共に落ち着くだろう。
アニー伯爵令嬢もまた、勢いのある伯爵家として今後を期待したいと思った。
そして、これまで騎士による報告で目立つことなく他の妃候補と協調して過ごしていた、ジャスミン侯爵令嬢。
時間を共にしてわかるのは、穏やかな性格と聞き上手さだった。つい話を聞いてほしいとこちらから話してしまいそうになるほどだ。
平安な領地で育ったからこその温厚さなのか、生まれ持っての天性なのか。
広大な領地を治める手腕は、もしかしたら侯爵の父より上になるかもしれない。
俺はひとつ、質問をしてみた。
「領地を治めるにあたり、侯爵殿から学んだことはあるか?」
ジャスミン侯爵令嬢はおっとりと口元を緩めると、雰囲気通りにゆったりと答えた。
「あまりに当たり前なことです。他者の意見をよく聞き、よく考えることです」
その返答に、俺は満足して頷いた。
当初、妃選出に予定していた期間は二ヶ月だった。カナリア以外の妃候補との時間を設けるためだ。
いくら出来レースと言われようと、世間に公正さを表すためには必要な最低限の期間だった。
だが、意識して彼女達と向き合ってみれば、それはあまりにも短すぎることがわかった。
今後の王家にとって利になる力を持つ者。本人に先は見出せないが、家柄が有益な者。そして、性別は違えど友人として波長の合う者。
向き合う気のなかった当初より考えれば、俺の進歩は驚くほどだった。
そして月日は流れ、いよいよ半年を迎えようという時。
突出する四名の妃候補に続き、あまり目立つことのなかった他の妃候補もしっかりと見定め、俺はようやくその決定を下した。
『――公正な判断を』
その言葉を胸に、俺は選び抜いた妃の部屋の前に立つ。
「間違ってはいないだろうか」
他に想い人がいると知りながらのこの決断は、かなり心苦しいものだった。
それでもやはり、どの妃候補よりも俺の隣にふさわしい。公正に彼女達を見極めた結果だ。
カナリアを贔屓することなく、俺が「王太子妃」を選んだ結果なのだ。
数回のノックの後、部屋の扉が開かれる。
ソファに座る彼女の前にひざまずき、俺はその小さな手を取った。
「辛い思いをさせるかもしれないが――」
もう一度、一から君に想いを伝え続けよう。
隣に置くと決めたからには、必ず幸せにしてみせると誓って。
向けられたいつも通りの笑顔に、嘘偽りのないことを俺は願った。
❇︎❇︎❇︎
親友であるアルフレド殿下の寵愛を受け、宰相の娘でもあるカナリア嬢とは直接言葉を交わしたことはないものの、顔見知りの仲だった。
控えめで、清廉。その印象を持つのは私だけではなく、恐らく彼女を知る者すべてがそう思っていた。
だが、殿下よりカナリア嬢の護衛を拝任し、初めて挨拶をした時にその印象は覆ることとなった。
「わたくし、売られたケンカは買おうと思います」
「……はい?」
脈絡なく宣言され、私は素っ頓狂に聞き返した。
「もちろん、やり返すのは常識の範囲内で。あ、たまにこちらからも仕掛けますわ。マナー違反を見つけましたらね」
「はぁ……?」
訳の分からない私に、カナリア嬢は小首を傾げてくすりと笑んだ。
その仕草はなんとも愛らしく、殿下がいなければ悪い虫がつき放題だっただろう。
「ですから、キリル様にはご迷惑をおかけすると思います。先に謝っておきます」
「意図がつかめないのですが……」
「わたくしは何もせずおりこうに、ただ待つだけはしたくないんです」
それを聞いて、ようやく糸口が見えた気がした。
妃選出の催しは出来レース。暗黙の了解は、カナリア嬢もしっかり理解していた。
「王太子妃の座は、相応しい方でなければ。アルフレド殿下には公正に選んでいただきたいのです」
「だからわざと立ち向かうのですか?」
「わたくしにとっては重要なことですよ」
カナリア嬢はそう言うと、紅茶の注がれたカップに手を伸ばした。
「自分の意見はきちんと申せませんとね。どんな方が相手でも、何を言われようとも……慣れないことですので、少し、怖いですが」
カップを持つ手がわずかに震えていた。
口元は微笑みを絶やさないが、紅茶を一口含むと、ごくりと大きな音を立てた。
「きっと、今のように震えるでしょう。考えただけでもこうなのですから」
カナリア嬢は私を見て、眉尻を下げた。
控えめで、清廉。その印象は見事に覆ったが、やはりか弱い方には変わりない。
「……その時は、私が上手く隠しましょう」
「え?」
「私は、あなたは王太子妃に相応しいと思っています。ですが、あなたらしく挑みたいのなら、お手伝い致します」
「キリル様……。ありがとうございます」
ほぅ、とカナリア嬢の表情が和らぐ。
「しかし、カナリア様が頑張るおかげで殿下がお心を変えられたらどうするのです?」
カナリア嬢に一途な殿下なのでそれはないと思いつつ、疑問には思うだろう。
それが殿下の気持ちに、どう影響するか。
「それはいいんです。そうした方が、一から満遍なく周りが見えるでしょう?」
「は……? それでは、わざと嫌われるようなものですが」
「殿下はそのくらいではわたくしを嫌いません。ですが、少々押しが足りないので、もうひとつ案があります」
あぁ、なんだか嫌な予感がする。
カナリア嬢の優しげな瞳が、私の瞳をつかまえる。
「キリル様、わたくしと仲良くしてくださいませんか?」
「あなたは、私の首がとぶのを見たいんですか?」
答えると、カナリア嬢は一瞬目を丸くした後、声を出して笑った。
「殿下はそんな方ではありません」
もちろんそれは私もわかってはいるが、長年の親友をそうして騙すことには罪悪感や恐怖が芽生える。
何より、私が誰よりも忠誠を誓った主人なのだから。
「私のできることは、護衛騎士の域を出ません」
いくら殿下の寵愛を受けているカナリア嬢が相手でも、譲れないことはある。
「では、ひとつだけ許してください」
「なんでしょうか」
「お名前を呼び捨てにさせてください」
「……それだけですか?」
「はい。ありがとうございます」
有無を言わさず、カナリア嬢は決めてしまった。
名前を呼び捨てにすることくらいなら問題ないはず。深く考えず、私もそのままでいいかと頷いた。
それが後に、殿下の心を大きく揺さぶるとも知らずに。
「……あなたは意外と強かですね」
「そう見せませんとね」
「それも策略のうちですか?」
「策略だなんて大層なものでは。ただ、殿下とわたくしのために動くだけです」
出来レースと言われているからこそだろう。
殿下の評価を下げず、守られるだけじゃなく自らも見下されないように。
意見するのが苦手だというご令嬢は、王太子妃の座をしっかりと見つめて、私にその考えを伝えている。
「私との仲を勘違いして、身を引く可能性もありますよ?」
「殿下はお優しいですからね。わたくしはあのお方の決定に従うまでです」
「勘違いしたまま、心苦しく思いながらもあなたを選ぶかもしれません」
「そうなれば、また一から口説いていただくつもりです」
華やかに笑顔を咲かせるカナリア嬢は、言葉とは裏腹な自信に満ちていた。
殿下から受けた寵愛に甘えるだけでなく、ちゃんと殿下に向き合い、信じてきた証だろう。
「その自信を、いつまでも胸に」
「もちろんです。これも、王太子妃には必要でしょう?」
控えめで、清廉。
覆った印象は、か弱く強かで、聡明。
殿下が守ろうとしている彼女は、誰よりも殿下のことを考え強く立っている。
「最後までお供します」
試されている親友に少しだけ同情して。
私は、支えるべき主人が結ばれることを願い、胸の上に手のひらを置いた。