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窓枠に錠前 -01-

 まだ幼さを残した少女は、白い馬が繋がれた馬車に、すました顔でお行儀良く座り、たおやかな手を振りながら城門をくぐった。

 その姿を、白雪は王である父親の隣に並んで、バルコニーから眺めていた。


 彼女はとても美しかった。

 事前に、辺境にある小さな国で一番綺麗と言われたお姫さまが母親になるのだと聞かされていたが、事実、彼女は白雪の知る人の中で一番美しかった。


 彼女の国は貧しく、用意された輿入れの衣装の絹はさほど上等ではなかった。国の針子が腕によりをかけたという刺繍は細かく丁寧な仕事ではあったが、意匠は平凡でやぼったかった。色合わせも流行遅れだったし、決して目を惹くようなものではなかった。


 それでも皆の視線を集めたのは、まだ幼い白雪の目を奪ったのは、彼女自身の美しさだ。晩夏の実りを思わせるライ麦色の豊かな髪と、青みがかった白目に艶のあるキャラメルのような瞳、滑らかなミルク色の肌。何より、熟れた林檎のような頬と唇。


 冬が長いこの国で、最も絢爛な季節を思わせるその姿は、父親のお手付きの使用人よりも、父親の遊び相手の貴族の女よりも、肖像画の中の母親よりも、ずっとずっと絢爛たる美貌を備えていた。


 その麗しい人は、王が「娘の白雪だ。仲良くしてやってくれ」と言った時、「仲良くしてね、白雪姫」と、その場にいた者たちを贅沢な気持ちにさせる微笑みを浮かべた。


「仲良く?」


 思わず繰り返した言葉に、王妃は白雪の視線の高さまで膝を折り、その香ばしい琥珀色の瞳で、白雪の顔を覗き込んだ。まるで、その浮かべられた絢爛な笑みが、自分だけのものになったかのような錯覚に陥る。


「ええ、仲良く。一緒に楽しいことや、嬉しいこと、いろんなことをしましょうねってこと」

 そして、その赤い林檎のような唇を、白雪の頬に寄せたのだ。軽く掠めた彼女の吐息が温かく、白雪はびっくりしたことを覚えている。


 本来ならば、王族との初対面では許されない礼儀作法違反ともいえる行為だ。しかし、王妃のまだ稚けない年齢と、田舎から出てきた娘だという周りの嘲りと、何よりもその美しさをもって、微笑ましく受け入れられ、赦されたのだった。





 王妃が嫁いできて、四回目の収穫祭を迎える頃のことである。


「もう十分、下げてちょうだい。デザートもいらないわ」


 王妃はカトラリーをテーブルに置くと、控えていた召使にそう告げた。皿に盛られた料理は半分以上、残されている。


「お母さま、具合が悪いの? 昨日も残してた」


 白雪の問いかけに、王妃は口の端を持ち上げた。笑みとは言えないが、幼い娘を安心させるためだけのぎこちない表情の変化。

「いいえ。ただ、少し」

 そう言いかけて口をつぐむ。


 王妃は、小さく首をかしげて、自身の右の二の腕を左手でさすった。

 白雪が、手が痛むのか、と問いかけようとしたとき、王妃の口から、小さくため息が漏れる。熟した果実のような唇から漏れる微かな吐息に、白雪は思わず息と言葉を呑んだ。


 王妃は物憂げに眉根を寄せ、二の腕に添えた手を、そのままするりと手首まで滑らせる。磨きこまれた形の良い爪が並ぶ指先が、彼女のたおやかな腕を撫でるその仕草は、幼い白雪を、なぜか見てはいけないものを見たような気持ちにさせた。


 白雪は、自身の動揺が理解できないまま、運ばれてきたデザートの皿に視線を落とす。果物で飾り付けられた小さな焼き菓子だ。口に含めば、焼き菓子の甘さと果物の酸味が口の中に広がった。


「……部屋に戻るわ」

 憂鬱そうな王妃の言葉に視線をあげれば、王妃も白雪を見ていたのか、王妃と白雪の視線がかち合う。今、まさに咀嚼している香ばしい焼き菓子のような瞳。王妃はぎこちない笑みを浮かべた後、すっと視線をそらした。


「姫、私は先に下がるわね」

 王妃はそう言って、席を立つ。白雪は慌てて口の中の焼き菓子を飲み込み、甘い後味を紅茶で流した。しかし、彼女は白雪の言葉を待たず、部屋へと向かう。


 白雪は、傍に控える召使を呼んだ。

「お母さまは具合が悪いの?」

「いえ、ただ少し、体重……いえ、食事に気を使われているようです」

 言葉を濁す召使に、白雪は子供の無邪気さで問いかける。


「どういうこと?」

「量を減らして……野菜と果物を中心の食事をとりたい、と」

 召使の言葉に白雪はぱっと笑みを浮かべた。

「じゃあ、果物を用意してくださいな。あんな量だと、きっとお母さまお腹が空いてしまうだろうから」

「わかりました。林檎がございますから、そちらを」


 幼い姫のかわいらしい心配に、召使は微笑み、割った林檎を乗せた盆を用意する。

「姫様から、とお妃さまにお届けしますね」

「いいえ、私がお母様にもっていくわ」


 白雪は口の端を拭ったナプキンをテーブルに放ると、召使から盆を受け取り、銀の盆をたずさえて白雪は王妃の部屋へと向かう。


 王妃の部屋の前に立てば、扉が細く開いていることに気が付いた。王妃としての礼儀作法を学び、普段から立ち振る舞いに気を配る彼女にしては、きちんと扉を閉めていないことは珍しい。白雪は、好奇心に負けて、そっとその隙間に顔を寄せた。


 カーテンを開けていないのだろう、薄暗い部屋の中、壁にかけられた鏡に向う王妃の姿。綺麗な細工が施された鏡は、彼女の唯一の嫁入り道具であると聞いている。


 王妃は鏡の前で、身をひねり、自身の細い腰に手を回して安堵したかと思えば、両の手で頬を包み、その輪郭を気にして鏡に顔を近づける。

 さらには、不安そうな声音で問いかけた。


「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのはだあれ」


 まるで幼子の遊戯のような行為。もちろん、白雪にも身に覚えがある。だったら、白雪がやることは、その鏡の裏に隠れて、彼女の問いに答えるのだ。答える言葉はもちろん決まっている。

 しかし、白雪が駆け寄り、その問いに答える前に、不思議な声が響いた。


「それは、あなたです。お妃さま、お変わりのないあなたはこの国で一番美しい」


 それは、男のような女のような子供のような大人のような声で、それこそ、白雪が口にしたかった台詞を告げる。白雪は驚き、思わず手にした盆を揺らした。盆は扉に触れて、かつん、と鳴った。


「誰!?」


 弾かれたように、王妃が振り返る。白雪は素直に扉を押して、王妃の前に姿を現した。辺りを見回しても、王妃以外には誰もいない。不思議に思いながらも、白雪は銀の盆を王妃の前へと差し出した。


「お母さまに林檎を持ってきたの。これなら食べられるかと思って」

「姫……」


 無邪気に笑えば、王妃はうろたえたように、銀盆の上の林檎を見て、白雪を見て、そして自身の背後にある鏡を見た。


 白雪も、つられるように王妃の視線を追う。鏡の中には、不自然な点は何もなく、振り返る王妃と、銀の盆を携えた白雪の姿。壁にかけられた鏡には、後ろに隠れているものなどいない。ならば先ほどの声は誰なのかと、不思議に思い、視線をあげれば、鏡の中の王妃と目が合った。すると、王妃は困ったようにもみえる笑みを浮かべる。


 白雪はその笑みを見た瞬間、声の主を探すことを放棄した。

 小さな胸を張り、「お母さま、ちゃんと食べないと、そのうち倒れてしまいます」と、叱る家庭教師の真似をして、銀の盆を持ち上げる。王妃は、今度こそ、ふっと目元を和ませ、笑みを浮かべて見せた。

「そうね、じゃあ少しだけいただこうかしら」

 白雪は彼女の笑みと言葉に満足して、そのまま、不思議な声の主を探すことを忘れてしまった。


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