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鏡面に爪痕 -02-

 秋に輿入れした王妃が、初めて迎える冬である。この国よりも南東に位置する祖国ならば、秋の実りを喜ぶ祭りを催している時期に、初雪が降った。この国の冬は、王妃の祖国よりも早くに始まり、遅くに終わる。冬がとても長いのだ。


 その年の初雪は、深夜に降り積もり、辺りの音を吸収すると静かな夜を作り出した。静寂は王妃の眠りを深くし、そして、次の日、王妃は普段よりもはやく目を覚ました。


 起きてみれば朝にしてはやけに明るい。薄曇りが続く日々に、うんざりしていたが、その日は、久方ぶりに太陽が姿を現し、白銀の世界を照らすさまは美しかった。


 普段はめったに開けることのない黒檀の枠の窓に手をかける。硝子越しに見渡す庭は、雪化粧をまとい、余すことなく陽の光を反射し、世界を余すことなく輝かせていた。


 窓を開け放ち、凪いだ空気に大きく息を吸い込めば、冷たい空気が肺を満たした。ついで、吐き出す息は、水鳥の羽毛のように舞い上がり、きらきらと粒子を残して消える。

 夜毎訪れる王の相手をする以外、暇を持て余していた王妃は、きらめく景色に誘われるように、バルコニーから庭へと降りたった。


 風はなく、穏やかな天候だが、やはり気温は低い。肌を刺すような冷気に、王妃は肩から羽織ったショールを、胸の前で掻き合わせた。


 雪景色を美しいと思えたのは初めてのことだ。

 王妃の国は貧しく、基本的に、冬は飢えと寒さが厳しい季節である。晩夏の収穫量によっては、犠牲者を出さずに乗り越えることが難しい年があるほどだ。


 先日、国の両親から届いた手紙には、治水工事のおかげで穀物の収穫量が格段に増加し、また、増収した実りを、隣国との交易により、今まで手に入れることができなかった暖かな毛皮に変えることができたのだと書いてあった。それまでは立場が弱く買いたたかれていた自国の産物は、この国の商人が間に入った交易によって、正当な値がつけられ、それを国民の生活へと還元し、今年の冬は安心して過ごせると。だから、いつまでも王様に愛されるように綺麗でいなさい、とも。


 王妃はそっと息を吐いた。

 飢えに怯えずに冬を過ごせるのは、王の采配のおかげなのだ。だから、私の美しさにも、苦しい夜にも価値がある。


 冬とはいえ、きちんと手入れされた庭。一人分の幅だけ、雪払いされた石畳の散歩道を歩く。春になれば、きっと色とりどりの花が咲くのだろう。

 冬が厳格な季節だった反面、待ち望んだ春の訪れは、心が浮き立つものだった。雪解けで勢いを増した小川、雪の下から顔を出す春草、枝にとまる小鳥の下手なさえずり。

 去年の冬の寒さを思い出すのはつらい。今年の冬は大きなお城の中で、はぜる暖炉の火にあたりながら過ごせるというのに、なのに、どうしてこんなにも故郷が懐かしいのか。


 かさっ、と小さく梢から雪が落ちる音に我に返る。潤みそうになる視界に、王妃はまばたきを繰り返した。


 音がした方を見やれば茂みの陰に小さなお姫さま、白雪姫である。新雪に足跡をつけて遊んでいたのか、石畳から外れた庭の花壇からその姿を現した。


 白雪の肌と黒檀の黒髪、上気した頬と唇がその血を透かして赤い。今はまだ、稚けなさが勝っているが、いずれ、冬の荘厳さながらの美貌を身にまとうのであろう、先のお王妃によく似た姿。起きたばかりなのか、薄い夜着姿なのに、雪を踏むためだろう、黒いブーツ。しかし、夜着の裾は雪に触れて濡れている。


「あら、おはよう、白雪姫。お散歩ですか?」


 小さな娘に語り掛ける。白雪は、王妃の姿に驚いたように、その瞳を見開いた。

 そういえば、まともに話しかけるのは初めてだ。


「おはようございます。おかあさま」


 まだ、稚けない女の子はお姫さまという身分に相応しいカーテシーを披露した。ちょこん、と沈む頭に、初めて会った時を思い出す。


 裕福でない小国の故郷では、王妃である母親が王女だった彼女を育て、教育をしていたが、この国では、一人のお姫さまに対し、幾人もの教師と乳母がいるのだ。白雪も例外ではなく、自分が嫁ぐ前からの専属の教育係と乳母がおり、母親らしいことは望まれなかった。


 また、この国に嫁いでからは、強国の洗練された社交界での王の同伴と、慣れぬ夜伽に昼まで寝過ごすことが多い。自国にいた時からは考えられないような堕落した生活。


 幼い姫君の微笑ましい挨拶に、王妃は自身を戒めるように、きゅっとその赤い唇に笑みを浮かべた。

 白雪と目線を合わせるように、王妃はしゃがみ込む。下がってきた視線に、白雪は嬉しそうに目を見開き、長い睫毛が音をたてそうなほど瞬きを繰り返した。


「そんな格好で、寒いでしょう?」


 言いながら、王妃は自身が身にまとっていたショールを、小さな姫君の肩にかける。大きなショールは小さな姫の小さな体を覆うにはあり余り、王妃は悪戯心に任せて、彼女の体に巻き付ける。


「まあ、小さなミノムシさん」


 からかうように頬をつつけば、顔と指先以外をぐるぐる巻きにされた白雪は、嬉しそうに首元のショールに顎を埋めた。さらには、子供の無邪気さで、もっと巻き付けて欲しいのか、自身でショールの端を引っ張ろうとする。たどたどしいその仕草をみて、幼子の指先が赤く染まっていることに気が付いた王妃は、そっとその指先に手を伸ばした。きっと雪遊びもしたのだろう、濡れた指先は凍えきっていて、放っておけばしもやけになってしまいそうだ。


 幼子の右手を両手で温めるように包み込む。小さなその指が愛おしく、ぎゅっぎゅっと軽く握るようにマッサージもどきを施してみれば、白雪は王妃の前に、にゅっと左手も差し出してきた。


「こっちも?」


 尋ねれば、白雪は愛らしく頷く。王妃は乞われるまま、左手で彼女の右手を、右手で彼女の左手を握りこんだ。白雪の左手は、少し温まってきた右手よりも幾分か冷たい。体温を移すように、しばらく小さな指先を温め、そして、両手をまとめて包み込むと、はぁっと息を吹きかけた。


「……もっと」


 小さな声。ふと視線をあげれば、白雪は、真白い肌にひと際上気した赤い頬、何より夜空のように星が瞬く瞳で、「もっとやって」とねだる。

 可愛らしいお願いに、王妃は、笑みを浮かべた。二度、三度と息を吹きかけた後、王妃は白雪の手を引いた。


「ここにいても冷えるだけよ。お部屋に戻って、暖かいお茶をいただきましょうか?」


 王妃の誘いに、白雪はこっくりと頷いた。

 王妃は彼女の手を引くと、石造りの強固な城へと向かう。暖かな暖炉に当たりながら、小さなお姫さまとお茶会をするのだ。まるで、祖国の社交界のように、荘園の下級貴族たちが集うような素朴な。





 王は、若い王妃の未成熟な肢体がお気に召したようで、彼の大きな手で簡単に掴める華奢な手足を撫でながら、かわいらしい、と何度も口にした。まるで、そこに意思はいらないのだと、自分を人形のように扱う王に、当初抱いていた王妃のわずかな望みは塵と化していった。


 それでも王妃は努力した。王様に気にいられてさえいれば、祖国を守れるのだと信じていたからだ。


 故郷の音楽を歌い、楽器を演奏して見せても、彼は音楽を解さず、ただおざなりの拍手。ならばせめて、楽しい会話を、と明るく振舞えば、笑って答えてくれるものの、気はそぞろでかみ合わない会話。

 いっそ、聡明であろうとしたが、王様は、彼女に対し、政にかかわる会話を望まなかった。


 決定的だったのは、王と、来訪した隣国の王族との会話である。

 それは、輿入れしてから、二度目の夏至祭でのことだった。いつものように、玉座に座る王の隣に控える。玉座には、お歴々が順に挨拶に伺う。


「随分とお若いお妃さまだ。大変お綺麗だが、若い彼女を楽しませるのは大変なのでは?」

「女なんて、身を着飾るドレスと宝石、あとは花でも贈ってやれば、それらを見せびらかすために、勝手に茶会でも開いて楽しんでるさ」

「洒脱な会話ひとつできないなんて、あなた自身がつまらないのでは?」

「猫をかわいがるのに言葉はいらないだろう」

 彼の心得た笑みと、王妃の目の前でそれを口にする不躾さ。


 それらを目の当たりにした王妃は結論を出した。自身が美しくあり続ければ、祖国の安寧は守られるのだと、なにより、己の価値は美しさにこそあるのだと。


 その日から、彼女は毎日、鏡に語り掛ける。

「鏡よ、鏡、この国で一番美しいのはだあれ?」

 そうすると、魔法の鏡は、小さな女の子を安心させるように答えるのだ。


「それは、あなたです。お妃さま、あなたはこの国で一番美しい」


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