本をもらう
私と勇者イリスは、かつてこんな会話をしたことがある。
『クルナ。これからどんなことがあっても私たちは仲間だよ』
『うん。ずっと仲間』
『ずっと一緒にいようね。約束だよ』
『うん。ずっと一緒。約束』
イリスの嘘つき。
何が仲間だ。何が約束だ。
自分から言い出したくせに、あっさり追放するなんて。
結局、私のことなんて、ただの遊びだったんだ。
都合の良い女でしかなかったんだ。私なんて。
「……イリス。許さない」
私は立ち上がると、声高に叫んだ。
「イリスの裏切り者っ! 復讐してやるっ!」
それを聞くと、リタは目を丸くした。
「うん。ちょっと待ってね。とりあえず深呼吸しよう。息をゆっくり吸って……」
「すううう」
「ゆっくり吐いて……」
「はああああ」
「落ち着いた? もう一度、質問するよ。クルナ。あなたは何をしたいの?」
「イリスに復讐したいっ!」
「……はあ。ダメだ、こりゃ。この三日間にいったい何が……」
勇者パーティーから追放され、バイト先に暇を出されてから、早くも三日が経過しようとしていた。
久しぶりに、私が住んでるアパートの部屋まで様子を見に来たリタ。
そこで今の私の気持ちを打ち明けたわけだけど。
彼女はこの答えに不満があるようだ。
「この間まで『大好きなイリスに嫌われちゃったよう』って、びいびい泣いてたのに」
「……な、泣いてなんかいないもんっ!」
「泣いてました! 復讐なんかしちゃったら、今度は本当にイリスに嫌われちゃうよ」
「いいんだ。私が嫌いなんだ。裏切り者は罰を受けるべきなんだ」
リタは生暖かい目を向けると、私をベッドまで連れて行く。
それから、体を横にさせて、上から布団をかけた。
「クルナ。今はとにかく休もう」
「私、まだ眠くないよ」
「今は混乱してるだけなんだよ。ホットミルクでも飲もう。きっと落ち着くよ」
私は起き上がろうとしたが、リタに力ずくで寝かされた。
「いい? もう一度しっかり考えて。今の自分にとって何が大切かを」
リタはそう言い残すと、部屋から出て行った。
「……私にとって大切なもの」
呟くと、頭の中でイリスの姿が浮かんだ。
首を振って、その姿を必死に振り払った。
「イリスなんか大嫌いっ! 絶対に許さないっ!」
やはり復讐しなければいけないのだ。
そうしなければ、私の気持ちは晴れない。
「……とはいっても、私なんかが勇者に復讐できるわけ……」
勇者はとっても強い。そのうえ、いろんな神の加護によって守られているのだ。
同じパーティーにいたとは言っても、私なんかが勇者に適うはずはない。
復讐をするためには、それを実行するための力が必要なのだ。
「ねぇ。ノロくん。どうしたらいいのかな?」
ベッドに寝ころんだまま、ノロに話しかける。
人形は両腕を大きく振り回している。
何か考えがあるようだ。
「ノロ! ノロ!」
「ん? なになに……あのスキルを使えばいいんじゃないか?」
「ノロ!」
うん。たしかに、そのとおりだ。
復讐とは悪いこと。
悪いことをしたいなら、その専門家に話を聞いてみればいい。
「よし。あれを使おう」
私はベッドから出ると、身だしなみを整えた。
そして、道具を準備。
これから行うのはダウジングと呼ばれるものに似ている。
必要なものは振り子。今回は小石にヒモを括り付けたものを用意した。
ダウジングでは鉱脈が発見できるが、これで発見できるものは悪。
その名も『アクジング』。
これを使うと、悪い者を探知できる。
それは悪魔でも、悪党でも、悪霊でも、悪を冠するものなら何でも含まれる。
デメリットもないし、気軽に何度でも使える。
けっこう便利なスキルで、イリスからも気に入られていた。
役立たずな私がパーティーに入れたのも、このスキルのおかげと言ってもいい。
さっそく使ってみると、振り子に反応が。
揺れ動いていた小石がドアの方向を指し、そこでピタリと止まる。
「悪は外にいるんだね」
リタには眠るように言われたが、私はその言いつけをあっさり破って、ドアから外に出る。
振り子に導かれるままに、町の中央へ。
昼間なので、人の往来は激しい。
ぶつからないように注意して歩いていると、
「……ん? 反応が変わった」
石が大きく揺れ動いたのを見て、方向を変える。
そこから、さらに裏手へまわる。
「いたっ! あれだっ!」
男女の二人組が歩いているのを発見した。
近くまで寄ると、男の方が先に気付いた。
色眼鏡をかけて、頭にはバンダナをしており、とても怖そうに見える。
「なんだ嬢ちゃん。オレに何か用か?」
顔を近づけて凄んでくる。
「あなた、悪者ですね」
「うおっ!」
自信満々に指摘すると、男はわかりやすい動揺を見せた。
「マジか。わりと上手に変装したつもりだったんだが。どこで気付いた?」
「隠しているつもりでしょうが、肌が少し黒いです」
「そうか。じゃあ、次からはもっと白くして……」
「ラッシュ。あなたの変装は完璧よ。それ以上、肌を白くしたら、逆に怪物に見えるわ」
女の方が話に入ってきた。
高いヒールにタイトスカートの綺麗なお姉さんである。
「しかしな、ビバリー。実際に正体がバレているわけだし」
「スキルね。それを使って、私たちが魔族だとわかったんだわ」
そう、この二人は魔族なのだ。
魔族といえば、悪くて恐ろしいものであり、本来はこんな町にいることはない。
と思われがちだが、それは大きな誤解。
実際には、このように姿を変えて、町に潜伏しているものが多い。
なんで、そんなことをしているかは知らないが。
人間の私生活に憧れでもあるのだろうか。
「おまえ冒険者か? 俺たち、別に悪いことしてないぜ」
ラッシュは身の潔白を証明するように、軽くジャンプして武器がないことを示した。
「違いますよ。この間までは冒険者でしたが、今は無職です」
「それなら、要件はなんだ」
「私、復讐したい相手がいるんです。だから、悪の専門家である魔族さんに意見を聞いてみたくて」
「へぇ。復讐したい相手ね。どんな奴だ」
「勇者です」
「…………」
それを聞くと、ラッシュは言葉を失った。
うん。まあ、当然の反応だ。
勇者に復讐する。酒場での笑い話にはなっても、素面の人間が言うセリフではない。
「無理だ。他を当たってくれ」
「え? そんな、魔族なのに?」
「魔族だって命は大事だ。勇者なんて相手できるか」
焦ったように反対するラッシュ。
たしかに勇者は強いけど、イリスは顔なじみだ。
私にとっては、そこまで怖くない。
「だいいち、おまえ弱そうだぞ。魔導士って感じにも見えないしな」
「呪術師です」
「呪術師だあ?」
ラッシュは呆れたように声を出す。
呪術師は弱い。使えない。
これが世間一般の認識なので、仕方がないが。
「相棒はノロくんです」
「ノロ! ノロ!」
呪いの人形を見せると、二人の顔色が変わった。
「あなた、もしかして、呪術師クルナ」
「はい。よくわかりましたね」
呪いの人形を作れるのは呪術師だけなので、それで分かったのだろう。
「おお。すごいじゃねぇか。そんな奴がなんで復讐するんだ」
「イリスが裏切ったからです。そして、ボロ雑巾のように、この私を捨てたからです」
「つまり、あなたは追放されたのね」
「そうなんです。ひどいと思いませんか?」
ビバリーは、何かを閃いたようだ。
「あなたの復讐のお手伝いしてあげるわ」
そう言うと、私を待たせて、どこかへ歩いて行った。
戻ってくると、手には分厚い本を持っていた。
どうやら、彼女はこの本を私にプレゼントしてくれるらしい。
表紙には『復讐の書』と大きく書かれている。
年代は分からないが、古めかしい書物である。
「これは何ですか?」
「……さあ?」
「え?」
「仲間の魔族が偶然に見つけたものなのよ。でも、特に使い道がなくて、周りに押し付け合ってるうちに、私たちのところまで来たの」
「使い道がないって?」
「本が読めないのよ。人間の文字は読めるはずなのに、私たちが読もうと思っても、何が書いてあるのか、さっぱり」
そういった話は、たまに聞く。
例えば、魔導士が作った魔術を悪用されないように、自分の魔術書にプロテクトをかけたりする。
この本にも、同じようなプロテクトがかかっているのだろう。
「……ということは、この本はかなりレアリティが高い」
わざわざプロテクトがかかっているということは、よほど知られたくない情報が詰まっているということだ。
「そうよね。やっぱり、そういうことよね」
なぜか知らないが、ビバリーのテンションがちょっと高い。
「私、その本の内容がずっと気になってるのよ」
ちなみに、魔族たちは表紙に『復讐の書』と書かれていることと、この本が呪術の専門書だということまでは理解しているそうだ。
「あなたなら読めるわよね。呪術師クルナ」
「はい。たぶん……」
「謙遜しなくてもいいわ。あの勇者イリスに認められた呪術師だもの。こんな書物を読むなんてわけないわよね」
私は優秀な呪術師なのだろうか。
呪術師として褒められたことは一度もないので、あんまり実感がわかない。
「あなたに、あげるわ」
「いいんですか?」
「どうせ私たちが持っていても意味ないし。その代わりと言ってはなんだけど、読み終わったら、何が書いてあったのか教えて欲しいの」
「そのぐらいなら、お安い御用です」
その場の思い付きで魔族に話しかけてみたら、思わぬ拾いものをしてしまった。
さっそく家に帰って読んでみることにする。