み
神が死んだ。
この世界を安寧へと導き、人々が崇拝するべき神がある日突然、上空で砕け散ったのだ。
その日から世界は変異した。大地は渇き、空は濁り、大海は凪ぐことを知らない。
人々は苦しんでいた。枯れた大地では作物は育たず、路傍に飢餓で苦しむ者が溢れかえっている。
人は救いを求めている。世界は神を求めている。
濁った空!カラッカラの地面!うーん…今日も空気がまずい!
数年前、はるか上空にて神がその存在を消した。見た目上では何の変化もなかったが、確かに頭上で何かが爆ぜた感覚があったのだ。
その日からだ。こんなにも気持ち悪い朝を迎えているのは。昔からこうして朝の散歩を日課にしているのだが、世界が荒廃してからは前ほど楽しい時間ではなくなっていた。私の胸が未だに育ってくれないのも世界のせいだ。そうに違いない。
まあ、みんなが切羽詰まっている状況で尚且つ、辺境の辺境であるこんな小さな集落に近づく人がいるわけもなく、盗賊の襲撃等には縁遠いのは不幸中の幸いといったところか。
そうは言っても、昔なんかは極々稀に旅人が訪ねてきていたものだから、人との触れ合いが一辺倒になると言いようもない寂しさがあるのは最早隠しようがない。ちょうど、遠くに見える影のようなものがフラフラと近づいてきて、私たちの集落に迷い込んで来ていたのになぁ。
ん?影?
その影はふらふらと揺れた後にパタリと倒れてしまった。
まさか、本当に旅人が迷い込んできたわけじゃあるまいと、大方大きな動物が餓死して倒れたのだろうと高を括り、興味本位でその横たわる影に近づいてみた。
すらりと伸びた手足。サラサラの髪の毛。引き締まった体躯の人間の男のように見える。
いや、人やんけ!まごうことなく人間じゃないか。
久しく見てない集落以外の人間。ど、どうしよう。色々言いたいことはあるが真っ先に思い浮かんだのはとんでもなく顔がいい。眉目秀麗とは彼のために作られた言葉なのではないかと思うほどに。
いや、そんなことを考えてる場合では無い。目の前に人が倒れているのだ。それを見て、顔がいいだなんてサイコパス的な思考を巡らせるのは一旦後にしなければ。
「あの、大丈夫ですか?」
私は恐る恐る尋ねてみる。彼はその渇ききった唇をパクパクと震わせた。
「…ずを…れ………」
全然聞こえない…。なんとか聞き取ろうと唇に耳を近づける。
「水をくれ…。伝わってないのか?ウォーターだ。ウォーター。Waterをくれ」
もしかして元気じゃね?いやいやいや、口調に騙されてはいけない。こんな言い方だが実際は掠れた声で必死に言葉を紡ぎ出しているのだ。流石に自分1人では手に負えない。誰かに助力を頼もう。
「おじいさーん!!」
私の1つ屋根の下で暮らしている。オジ,イサン通称おじいさんの名前を呼んだ。遠くから「ほーい」と間抜けな声で返事が聞こえる。
「人が死んでるー!!」
「いや、まだ死んでねーし!!!!」
私の倍もあろうかという声量で倒れていた彼は叫んだ。もしかしてこいつ元気なんじゃね?
それからおじいさんと元気そうで元気じゃ無い多分瀕死のなにかをなんとか家まで担ぎ上げて、要求されていた水とついでに食料を分け与えた。水を得た魚のようにみるみる回復していく様がわかる。
ある程度大丈夫そうだと判断したおじいさんはこの場を私に任せ外に出て行ってしまった。
「申し訳ないな。そんなに食料の備蓄があるわけでも無いだろうに」
むしゃむしゃと何かに取り憑かれたように貪り食っていた彼はようやく一息つけたのか私に話しかけてきた。倒れていた時のような掠れた声の面影はなく、はっきりと聞き取れる声量まで回復している。まるで物語の進行を早めるかのような奇跡的な回復力である。
「いいえ、大丈夫。こんな世界だからこそ助けられるときは助け合っていかなきゃね。私はアーシャ。あなたの名前は?」
すると少し間が空いてから、彼は首をひねる。
「名前…?名前か。思い出せない。少し時間をくれないか」
彼はそういうと顎に手を当ててしばらく考えるそぶりを見せた。
数分はたっただろうか急に彼はハッとした表情になったと思いきや、すぐにニカッと笑った。
「思い出した。思い出したぞ!俺の名前は『イエーイ!キリストン』だ」
「なに?祭りでもやってんの?」
え、本当にそれが名前なんだろうか。もし本当だとしたらとんでもなくダサい。本当にダサい。大体「!」ってなによ。「!」って。
「エクスクラメーションマークだ」
「!のマークに対する解説要らん!てか勝手に心の中を読むな」
彼、もといキリストンは満足そうに笑う。
「さらにいいことを教えてやろうか」
私のノリの良さに調子付いたのか人差し指をピンと伸ばし、顔を近づけてきた。私はもうどうにでもなれと先を促す。
「聞いて驚け!なんと俺は!」
ここで若干のタメが作られた。私はどんなしょうもないことが飛び出すのか固唾を飲んで身構える。
「俺は神だ」
「当集落では頭の病院はございません。なので、ショック療法になることをお許しください」
私がなぜか近くにあったハンマーを持ってゆらりと近づくと、キリストンは今まで瀕死だったことを忘れるかのようなありえない速度で部屋の隅まで駆け抜けていった。
「待て待て!やらなくても分かるぞ。そのショック療法とやらは死人が出る。へへっ、こんな世界なんだ。助け合っていきやしょうや」
今まで自信満々であーだこーだ言っていたのに急にゴマを擦り始めたぞ。忙しいやつだ。
「分かった。今の言葉は撤回しよう。流石に調子に乗りすぎたかもしれん。その上で一言だけいいか?」
どうぞと促す。
「俺は神だ」
誰か辞書を持ってきてくれ。出来るだけ最新で正確なやつを。私の思う撤回という言葉の意味を確かなものにするために。
謎のお祭り男、もとい、イエーイ!キリストンを集落に迎えてから数日が経った。私にしたのと同じように鮮烈な自己紹介を集落のみんなに晒したのだが、幸いにも私ほどオーバーリアクションで対応する者はいなかった。むしろ、この荒廃した世界で無駄にハイテンションな彼はムードメーカーにすらなりつつある。
「はっはっはっ、耕せ耕せ!耕した分だけ恵みが地面から溢れ出るぞ」
今もキリストンはちょうどいい木陰に佇む岩の上にあぐらをかいて座っていて、枯れた大地を必死に耕す我々を応援してくれている。
正直鬱陶しい、面倒くさい、煩わしいの3連コンボで非常に不愉快なのだが、私以外のみんなは活気が出ていいなどと言うものだからさらに調子に乗ってしまうのだ。
まあ、活気が出てみんなが元気になるならそれはいいことだ。取り敢えずここは目を瞑るとしよう。
「どうした?アーシャ手が止まってるぞ。ファイトだファイト!!」
「うるさーい!!!!」
目を瞑る?いいえ、開眼の時です。もう、限界だ。私たちが頑張ってその日その日を食い繋ごうとしてる時に木陰に?あぐらかいて?応援?冗談じゃない。
「なにあなただけ楽してんのよ。みんな必死こいて頑張ってるのに」
「ほう、不満があると…。申してみよ」
なんで、こんなに余裕そうな顔ができるんだ。アホだからか?
「もう我慢できないわ。だいたい応援も鬱陶しいし、そんなことするくらいならあなたも手伝ってよ」
私の強い口調に一瞬だけたじろぐキリストン。この隙を逃してはいけない。極め付けの一言を!
「穀潰し」
キリストンはグハァと呻きながら地に両手をついた。かなり効いたらしい。
「確かに…確かに、俺は穀潰しかもしれない。でも、俺は神だから、みんなを見守る存在だから応援しかできないんだ」
超理論の展開である。整合性がなに1つ取れていない。
「大体神ってなによ。神は死んだのよ?それにあなた全然神っぽくないじゃない。神っていうならそれっぽいことしてよ」
無様に地面に手をつけていた彼は私の言葉を聞いた途端に、ノーモーションで立ち上がり、得意げな顔で私を見た。
「神は死んだ。その日から地は渇き、空は濁り、海はうねった」
え、なんか、語り出したけど。
「人々は常に飢えと闘っている。人々は救いを求めている。世界は神を求めている!」
そこから長い、長いタメが作られた。本当にわざとらしく空白の時間を作り出す。
「俺が神だ」
ひゅうーと冷たい風が吹く。キリストンは親指で自分を指したまま微動だにしない。
「え、何これ?もしかして決め台詞のつもり?」
キリストンは若干泣きそうな顔になりながらコクリと頷いた。
もしかしてこのダサい決め台詞を言って自分が神であることを認めてもらおうとしたのだろうか?私が神っぽいことをして欲しいと言ったばかりにこんな醜態を晒させてしまったのか。なんというか、惨めなので彼が神であるとひとまず仮定して話を進めたほうが賢明かもしれない。
「まあ、この際変な台詞のことは置いとくわ。ともかく、応援するだけじゃ良くないと思う。神が働いてはいけないなんて誰が決めたのよ。働く神がいたっていいじゃない」
その瞬間彼の陰鬱な表情は消え去り何かに気がついたようにハッとした表情になった。そのまま、ニカッと笑うと私の持っていたクワをぶんどった。
「アーシャよ。お前のいう通りだ。労働をする神がいたっていいじゃないか。俺は働くぞ。皆の衆俺に続け!」
なぜかクワを取られた私はポツンと置き去りにされる。
ここ数日で彼のことはよく分かった。自称神のトンチンカン。喜怒哀楽が激しくてとんでもなく正直。私が腹を立てて怒ったとしても素直すぎてまるで肩透かしを食らったような気持ちになるのだ。
「なんだ、アーシャよ。働けと言っていたのにもかかわらず早々におさぼりか?」
あと、お調子者だ。怖いもの知らずとも言う。
「いや、あんたにクワを取られたからなんだけど」
ただ生きのびることしか考えてなかった。必死に飢えと闘い、集落のみんなと身を寄せ合っていた。
そんな中あなたが来てからと言うものの、私はいつの間にかツッコミ役になってあなたのフォローをしなくちゃならない。もう疲れはてた。へとへとだ。
でもね、夢も希望もないと思っていたこの世界で、なんとかして必死に生きていこうという中であなたが側にいると、なんでだろうな。ついうっかり楽しいだなんて思ってしまうのだ。
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