第五章 過去
第一節
草木も眠る丑三つ時である。
「あ~、疲れた」
ヘトヘトになって、自室へと向かうニャン吉である。
男の持ち帰った土産は、重量にして一トン近くにも及んでいた。
小分けにして運べたことは、ニャン吉にとって幸いであった。
だがしかし、重労働には変わりない。華奢なニャン吉にとっては、尚のことである。
「もうこれ、筋肉痛確実じゃん。明日動けるのかな……」
自室に戻りながら、ニャン吉が愚痴を垂れた時である。
ニャン吉の耳がピクリと動いた。
「え?」
ニャン吉が立ち止まる。
果たして、ニャン吉の耳は、不気味な音を捉えていた。
この建物、電気は通っているものの、全て自家発電である。決して贅沢には使えるものではない。
そういう理由で、廊下はほんのりと薄暗い。
ネコ型に生まれたおかげで、夜目も効くニャン吉である。あちこちを流離い、暗闇には十分慣れていた。繁華街の喧騒も、また然りである。
それでも、この廃墟群では勝手が違った。
ここら一帯では、ニャン吉たち以外に人はいない。静寂に包まれる中、一棟だけほんのりと灯りを点す建物である。
外の暗闇に対して薄暗い廊下はひどく対照的で、不気味な演出力が抜群であった。
「何これ? まさか心霊現象?」
恐る恐る、ニャン吉は音源を探し出す。
謎の音は、男の部屋からであった。
正体を見極めようと、ニャン吉がドアノブに手を伸ばす。
「お、お邪魔します……」
一瞬躊躇するも、ニャン吉がドアを開けた。
「お、おっちゃん? いる?」
開いた隙間から、ニャン吉が室内に呼びかけた。
「うっ!」
漂ってきた臭気に、ニャン吉が仰け反った。
酒の臭いである。
男の部屋は、灯りが点けっぱなしであった。
空になったボトルが、床一面に撒き散らされている。
肝心の男本人は、ベッドで寝こけていた。
「お邪魔しますよ……っと」
アルコール臭に閉口しながら、ニャン吉が部屋へと分け入った。
「だ、大丈夫かな?」
男の様子が気になったニャン吉である。
そんな男の額には、脂汗が浮かんでいた。
「う~ん……」
唸り声の正体は、男の寝言であった。
「ゆ、許してくれ!」
叫ぶように発せられたそれは、寝像の悪さも伴って異様である。
「ま、生きてるからいいか……」
音の正体を確認したニャン吉が、その場を離れようとした時である。
ニャン吉の視界に、ベッド横のサイドテーブルが映った。果たして、そこには額縁に入った写真が一枚置かれている。
ニャン吉が写真に手を伸ばす。
「これって」
写真を見て、ニャン吉は少し驚いた。
それは古い集合写真であった。今より若い男と、同僚らしい仲間たちが並んでいる。
男の隣には獣人の女がいた。
ただ、写真は色褪せており、女の顔だけよく見えない。
ニャン吉が男の過去を勘ぐり始めた時である。
「うわぁ!」
夢見の悪さで、飛び起きた男である。
「うわぁ!」
ニャン吉が驚いて、写真を落としかけた。
「あ、あぶなっ……!」
ワタワタと写真を持ち直したニャン吉。
男とニャン吉の視線が合った。
二人の間に、何とも言えない沈黙が流れる。
「……ニャン吉か? どうしてここに?」
男が切り出した。
「ご、ごめんね」
ニャン吉の謝罪である。
「別に、忍び込むつもりじゃなかったんだ。おっちゃん、物凄く魘されてたから……」
「……そうか。心配かけたな」
ニャン吉が言うと、男はあっさり納得した。
「少し、話そうか。いてて……。その前に、水を一杯持ってきてくれ」
頭痛に閉口する男であった。
第四節
「ありがとう」
男が水を受け取った。
「さてと、どこから話したものか」
チビチビと水を飲みながら、男が言葉を選ぶ。
「俺が昔、都にいたことは話したな?」
確認するように聞く男。
「うん。エンジンの開発してたんだっけ?」
ニャン吉が答える。
「そのとき、俺の女房だったのが隣のそれだ」
写真を指さして、男が苦々しく言った。
「そっか」
予想していた答えに、ニャン吉が素っ気なく返した。人間と獣人の恋は、それほど珍しくはない。タブー視され始めたのは、ごく最近のことであった。
「そして……、俺が初めて殺した獣人でもある」
「え?」
男の告白に、ニャン吉は意表を突かれた。
「俺の住んでた処はな、人間と獣人が仲良く暮らしてた、それは珍しい場所だった――」
男は自分の過去を語り始めた。
…――…――…――…
この時代、ほとんどの国が、都市国家単位で成り立っている。男の住んでいた都も、そういった中の一つであった。
男の故郷では、獣人はマイノリティではあっても、人間と仲良く共存していた。
しかし、ある時である。
男の都で、大規模な食糧難が起きてしまった。
食糧難の原因は、ある一人の商人にあった。作物の値上がりを見越して、買いだめを目論んでいたのだ。
「商人どもをぶち殺せ!」
誰かが言った。
そうして、事件に関係のない商人すら、都から消えていった。
男はおかしいと思った。しかし、自分に関係がなかったので、黙ってその成り行きを見るだけであった。
しばらく後、今度は伝染病が都を襲った。よりにもよって、一人の医者の誤診がきっかけである。
「藪医者どもをぶち殺せ!」
また誰かが言った。
そうして、事件に関係のない医者すら、都市から消えていった。
関係のない男は、やはりおかしいとは思いつつ、黙ってその成り行きを見ていた。
またしばらくして、すっかり荒んだ都で、今度は反乱が起きた。
反乱は速やかに鎮圧され、首謀者は捕えられた。
首謀者は獣人であった。
「獣人どもをぶち殺せ!」
やはり誰かが言った。
そうして、事件に関係のない獣人すら、都から消えていった。
今度こそは、男は細君のために抵抗した。
もっとも、誰も男の言うことに耳を貸さなかった。
男の細君は、そのままどこかへ連れて行かれた。
この時を境に、今まで存在しなかった獣人への偏見が町を覆った。
悲しみに打ちひしがれつつ、肩身が狭くなった男が仕事を続ける中、都はどんどんと荒れていった。
荒れた都を復興しようと、皆が暗中模索している時である。
「声を聞きました」
突然、変な奴が言い出した。
「天空におわす白い鳥が導となって、我々を救って下さるのです」
変な奴の主張である。
始めは誰も相手にしなかった。
とは言え、白い鳥は昔から信仰の対象で、それなりに説得力があった。
いつまでも改善しない現状がそれに拍車をかけ、一人また一人と変な奴の仲間は増えていった。
不穏な動きに、男は仕事を止めて都を後にした。
「神聖なる白い鳥に近寄るべからず! 罰あたりどもを排除せよ!」
変な奴が煽って、男の仕事仲間が粛清された。
…――…――…――…
「これが、俺がここにいる理由だな」
あらかた語った男である。
「でも、それだとおっちゃんが殺したわけじゃ――」
「いや、違うな」
ニャン吉が言いかけ、男が遮った。
「俺には勇気が足りなかった。人の立場に立つ勇気がな。俺だけじゃない。誰もが他人に無関心だった。でも、それじゃあ駄目なんだ。最初に、商人が責められた時もそうだ。内心おかしいと思ってる奴は、俺も含めて実は沢山いたんだ。誰かが一言でも、意見すればよかったんだ。こういうのはな、自分にお鉢が回って来たときは、もう手遅れなんだよ。そういう意味で、やっぱり俺が殺したんだ……」
男が捲し立てた。
「……」
ニャン吉は黙っているだけであった。
「俺はな」
再び、口を開いた男である。
「連れて行かれる時見せた女房の寂しそうな目が、未だに忘れられない。追放されたとも聞くが……。きっと、殺されたんだろう……」
男はそのまま項垂れた。
「一ついい?」
ニャン吉が聞くと、男が顔を上げた。
「今日の仕事って――」
「獣人殺しだ。都にいるお偉いさんからの依頼でな」
ニャン吉が言い終わる前に、男がきっぱりと答えた。
「隠しても仕方がないしな。獣人の身内を殺された挙句、仕事も仲間も放り出した裏切り者の、滑稽な末路だ。笑ってくれていいぞ。愛想を尽かしたなら、出て行ってもいい。欲しいものはくれてやる」
男の提案に、ニャン吉が首を振って否定した。
「じゃあ、最後にもう一つだけ」
ニャン吉が続ける。
「良くしてくれるのは、僕が奥さんと同じ獣人だから?」
ニャン吉の質問に、男は少し思案した。
「……ガキを見殺しにするほど、俺は落ちぶれちゃあいない」
間を置いて、男が答えた。
「そっか」
ニャン吉の顔が少しほころんだ。
「つまらん話を聞かせて悪かった。もう寝ろ」
男が詫びて、ベッドに横たわった。
「うん、お休み」
男に声をかけ、ニャン吉も自室へと戻った。
第五章 出立
第一節
翌日である。
「うん……、朝?」
窓から入って来る陽の光に、ニャン吉が目を覚ました。
ベッドから起き上がったニャン吉は、寝不足の頭で昨晩を思い出す。
「人間も、ままならない物だね」
寝ぼけ眼で、ニャン吉が言った。
ニャン吉にとって、男の告白は衝撃であった。
もっとも、男の仕事についてではない。
そもそも出会ってすぐ、後ろ暗い稼業だと男は言った。その時点で同族殺しくらい、ニャン吉も察していたのである。
人間寄りの容姿のおかげで、社会の隙間を縫うように生きてきたニャン吉である。傍から見て、表面的にはコミュニケーションに長けていた。
しかし、それは生きるため必要に迫られたからであって、実のところ心の壁は誰よりも厚い。
旅の道中、人間からの暴力はもちろん、逆に薄らめいた同情を得ることもあったニャン吉である。
ただ、それらの経験は、ニャン吉自身が自分を客観的に見ていることもあって、どこか他人事に感じるのが常であった。
男の告白は、独りよがりな産物である。
それでも、言葉を濁さない男の態度は、ニャン吉の心を大きく揺さぶった。
「どうやら、僕はここにいてもいいらしい」
ニャン吉の出した結論である。
獣人であるか否かに関わらず、男はニャン吉を助けたと言った。
もちろん、男の本心はニャン吉の知るところではない。そこに贖罪の気持ちがない方が、むしろ不自然である。
しかしである。男が一瞬見せた沈黙は、冷静な自己分析と見る方が正しいと、ニャン吉は強く確信した。
男は本心から、ニャン吉――獣人と人間を平等に扱っていた。
ニャン吉がベッドから降りて、窓を開け放った。
薄暗い部屋を、強い光が一気に照らした。
ニャン吉の瞳孔が、縦長のそれへと変わる。
「あれ?」
ニャン吉は違和感を覚えた。
ニャン吉にあてがわれたこの部屋は、どちらかといえば西を向いている。そのせいで、午前中は陽のあたりがすこぶる悪い。
備え付けの時計に、ニャン吉がはっと目をやった。時刻はとうに、午後に入っている。
――完全な寝坊であった。
昨日の夜更かしが原因である。
「やばっ!」
ニャン吉が言って、部屋を飛び出した。
毎朝の訓練時間は、とっくに過ぎている。
果たして、いつもの場所に男はいなかった。
もっとも、双胴機が置かれており、男の不在を否定していた。
ニャン吉は方々をかけずり回って、男を捜した。
「……ここに居たんだ」
少し息を切らせて、ニャン吉が男に言った。
男は格納庫で、件のジェット機をいじっていた。
「なんだ。結局逃げなかったのか」
ニャン吉を見て、男が少し意地悪く言った。
「逃げないよ」
不義理を期待され、ニャン吉が少し怒った。
「すまんな」
ニャン吉の覚悟を汲み取って、男が謝罪する。
「こっちこそ、寝過ごしてごめん」
自分の不手際を思い出し、ニャン吉も謝った。
「別に構わん。昨日の今日だしな。今日はオフにしよう」
男はあっさりと許した。
「それに……」
「それに?」
男が続けようとしたので、ニャン吉が復唱した。
「俺も、飲み過ぎで頭が痛い」
恥ずかしそうに男が言って、ニャン吉がくすりと笑った。
「ところでさ」
ニャン吉が話題を変えた。
「これって、動くの?」
ジェット機を指した質問である。
「ああ、少し問題はあるが、何度か飛んでみた」
男が答える。
「問題って?」
ニャン吉が聞く。
「……俺にもよく分からないことが多いんだ」
少し考えて、男が言った。
「こいつはな、何十年……いや、ひょっとしたらそれ以上、ほぼ完全な状態でここに保管されてたんだ。まったく、大昔の保存技術は大したもんだな。実際、俺がやった整備なんて、マニュアルに従っただけだ。昔の進んだ航空理論を、理解しているわけじゃあない。そういう意味で、実のところ不安がかなり残っている」
「なるほどね。唯一のジェット機だし、壊したら大変だ」
男の説明を受けて、ニャン吉が納得した。
「あれ? 言ってなかったか?」
ニャン吉の台詞に、男が反応した。
「え? 何を?」
ニャン吉が返す。
「外に置いてあるヤツも、広い意味ではジェット機だぞ。ジェットエンジンで、わざわざプロペラを回してるんだ。昔はターボプロップとか言ったらしいが……」
「あ、そうなんだ。でも、何でわざわざプロペラを回すのさ?」
男の説明を受けて、ニャン吉が聞く。
「普通のプロペラ機よりは効率よく、早く飛べるからだな。ただでさえ退化していたのに、駄目押しで劣化した今時の飛行機なんぞ、比較にならんわ」
「えっと、そんなに貴重なら……」
男の自慢に、ニャン吉は不安を隠せない。
「何を考えてるか、当てて見せようか?」
ニャン吉を見て、男が続けた。
「不用心だと言いたいんだろ?」
図星をつかれて、ニャン吉はコクコクと頷いた。
「この計画はな、俺の緩慢な自殺なんだ。世間の奴らに俺の力を見せつけた後、白い鳥まで行けたらいい――そんな刹那的なチキンレースだ。まあ、お前も覚悟を決めたようだし、せいぜい最後まで付き合ってくれや」
「そ、そうなんだ……」
男の言葉に、ニャン吉は薄ら寒いものを感じた。