第四章 仕事
第一節
双胴機を前にして、男が梯子に足をかけた。
「本当に、僕は行かなくていいの?」
ニャン吉が聞いた。
「いらん」
あっさりと一蹴する男である。
「そう……」
ニャン吉が声のトーンを落とす。
男が座席へ腰を下ろし、ベルトで身体を締めた。
「あのな、ニャン吉よ」
ヘルメットの具合を確かめながら、男がニャン吉に言い聞かせる。
「一朝一夕に身に着く物なんて、世の中ないもんだぜ。それにお前、まだ俺の訓練を受けて、たかが数日じゃないか。そんな中で、お前はこうして出立の準備を手伝ってくれた。俺としては、十分合格だと思うんだがな」
「……そっか。そうだね。うん、ありがとう」
男の言葉に、ニャン吉は礼を言った。
だがしかし、連日しごかれまくっているニャン吉である。
ニャン吉の笑みに、男の良心がチクリと痛んだ。
「あ! そうだ」
「な、何だ?」
思いついたニャン吉に、男が我に返った。
「もし留守の間、誰か来たらどうすればいい?」
ニャン吉が聞く。
「あー……」
男が言い淀む。
男は失念していた。
滅多に人が来ない廃墟であるが、万が一がある。
現にニャン吉を始めとして、既に何人かがここを訪れていた。
もっとも、ニャン吉を除いた全員が、男が在宅中の訪問者であった。
ニャン吉は、男が留守の間にやって来た唯一の客人である。
ついでに言えば、この色々と荒廃したご時世である。大抵の手合いは碌でなしである。
しかしながらこの場合、心配するべきはニャン吉のメンタルであった。
荒野のど真ん中で、ずっと孤独でいた男である。守る者がいる以上、捨て鉢ではいられない。
「……相手にせんでいい」
しばらくして、男が口を開いた。
「隠れるか、相手がヤバそうなら、いっそのこと逃げちまえ」
「え?」
思い切りのいい発言に、ニャン吉が目を丸くした。
「いいの? ここって大事な物、沢山あるんでしょ?」
ニャン吉が聞く。
「何だったら、ガメてもいいぞ」
茶化す男であった。
「え、マジで? ……って、そうじゃない。そんなことしないって。ほら、あそこに置いてあるジェット機とかさ」
一瞬だけ真に受けたニャン吉である。
「構わん。というか、ほとんど要らん心配だ。まず人は来ない。後はまあ、アレだ。お前さんを、それだけ信頼してるってことだな」
「お人好しすぎるよ……」
言葉とは裏腹に、まんざらでもないニャン吉であった。
そのまま、ニャン吉が男から離れようとした時である。
「ちょっと待て」
男が呼びとめた。
「ほれ」
言って、男はニャン吉に何かを投げ渡す。
「持っておけ」
「ちょ、ちょっといきなり……。え、これって……」
突然飛んできた物を、なんとか受け取ったニャン吉。
だがしかし、問題はその正体である。
――回転式の拳銃であった。
他ならない、ニャン吉を撃った物である。38口径のそれは、銀色の地肌が覗いて、とても使い込まれていた。
「使い方は分かるな?」
男が念を押す。
「いやいやいや。知るわけないじゃん!」
首を横に振るニャン吉。
「そうか……。取りあえず、そいつは引き金を引けば弾は出る。別にここを死守しろとか、恩着せがましく言ってるんじゃないぞ。お守り替わりに持っておけ」
「あ、ありがと。じゃあさ、他に何か出来ることないかな?」
男の気遣いに、ニャン吉が申し出る。
「……いや。ちゃんと出迎えてくれたらそれでいい」
男が言って、座席に腰を下ろした。
第二節
「ちゃんと、マニュアルでも読んで復習しておけよ」
ニャン吉に言い渡し、男はエンジンに火を入れた。
タービンが唸って、プロペラが回り出す。
「おっと、いけない」
双胴機から距離を取るニャン吉。
二人の視線が交錯した。
ニャン吉が手を振って、男が親指を上げて答える。
果たして、機体はスムーズに離陸態勢に入った。
プロペラの回転が上がったかと思いきや、双胴機はあっさりと地上を離れた。
「……さすがだね」
男の腕前に、舌を巻くニャン吉。
「僕も、いつかあれくらい出来るのかな……」
消えていく機影を、ニャン吉はぼんやりと眺めていた。
一方で男である。
「さてと」
空高く飛んで、男はエンジンを切った。
コンパスと水平儀を見比べて、舵を切った男である。
滑空すること数十分、いよいよ高度を失い始めた時である。
荒野が途切れて、男の視界に集落が映った。
辺境に見られる、オアシス村である。
豊かな緑の土地は、この時代貴重な存在であった。
こういった穴場を発見し、人知れず隠れ住む者たちがいる。
男の仕事はずばり、村人の排除であった。
距離を見計らって、男がエンジンを点けた。
双胴機が地表を煽る。
轟音に泡を食った村人が、家から飛び出した。
村人は全員、動物のような耳や尻尾を持っていた。
中には、限りなく獣に近い者もいる。
――獣人である。
「くそっ!」
男の脳裏にニャン吉の姿が浮かぶ。
だがしかし、すぐに思考を切り替えた男である。
照準器を覗く男の目には、一縷の感情もなかった
村人にめがけて、引き金が絞られた。
四連装の7ミリ機銃が一斉に吠えた。
もちろん、村人に成す術はない。
赤い花がポンポン咲いていく。
狼狽する村人の前に、躍り出る獣人たちがいた。
手に軽機関銃を持った面々である。
村人が沸き立ったのを、男は見逃さない。
「あれが、この村の用心棒か」
男の分析である。
村人の期待を背負って、用心棒も引き金を引いた。
もっとも、弾のことごとくが機体には届かない。
男は機体を旋回させて、用心棒も花に変えた。
村人はてんでバラバラに逃げ出した。
逃げていく村人を確認すると、男は止めとばかりに手近な家に爆弾を落とした。
粗末な木造の家は、正しく木端となった。
男は村から引き上げることにした。
男が無線機のチャンネルを合わせた。
「仕事は……無事完遂した。報酬の件、忘れるなよ?」
マイクの向こうに向かって、念を押す男である。。
男が無線機を切った。
「まったく」
男がぼそりと呟いた。
「胸糞悪い……」
淡々と殺しておきながら、忌々しく言った男である。
第三節
場所は変わって、ニャン吉の自室である。
「えーっと……」
男の言いつけを守るニャン吉であった。
果たして、傍らに積まれているのは、操縦マニュアルと、男手製のレポートの山である。
しかし残念なことに、今のニャン吉では、ほとんど理解できない。
「〝このように旧式プロペラ機が片肺飛行に陥った場合には、回転トルクから生じるスピンを某啜るべく方向舵を操作する必要があるも……〟って、何だこりゃ?」
ニャン吉の頭が火を噴いていた。
「はあ……」
ため息をつき、ニャン吉がマニュアルを放り出す。
そのまま仰向けにベッドへと横たわって、物思いにふけり始めたニャン吉。
「やっぱり、僕って色々足りないよね」
ニャン吉は、自身のインプットの無さを嘆いた。
もっとも、自覚できること自体が、ニャン吉のポテンシャルの高である。
「おや?」
突如、ニャン吉がガバッと起き上がった。
大きいネコ耳が、ぴくぴくと動いている。
「もうすぐだね」
言って、ニャン吉は部屋を後にした。
遥か地平の山が、赤く染まっていた。
「えーっと……」
赤茶けたコンクリートの上で、ニャン吉が彼方を眺めている。
「来た来た!」
ニャン吉の目が、双胴機を捉えた。
ニャン吉の直上に来た双胴機は、用心深く何度か周回する。
「おーいっ!」
手を振って、ニャン吉が出迎えた。
ニャン吉の姿を見止めると、双胴機は地面にふわりと降り立った。
ニャン吉が梯子を脇に抱え、双胴機へと駆け寄った。
キャノピーが開くタイミングで、ニャン吉が梯子をかける。
「手際がいいな」
男が褒める。
「ありがと」
ニャン吉が答えた。
「はい、これ」
言って、拳銃を返すニャン吉。
「おう」
男は拳銃を受け取ると、弾装を開けて残弾を確認する。
渡した時のまま、一発も使われていない。
「なんだ」
男が言った。
「試し撃ちくらいしとけよ」
「いや、怖いよ」
男の言葉に、ニャン吉が首を横に振った。
「そういえば、聞きたいんだけど……」
ニャン吉が話を変えた。
「どうした?」
男が聞く。
「さっき飛んで行った時、何でエンジンを切ったの? だいぶ離れてから、また入れたみたいだけどさ」
ニャン吉の指摘は、男を驚かせた。
「何故そこまで分かった? ……ああ、そうか。お前、さては耳が物凄くいいんだな」
聞き返しておきながら、自分で納得する男である。
「えっとだな……」
男が言い淀んだ。
「あ、話したくないならいいよ」
ニャン吉が話を切った。
汚れ仕事であろうことは、ニャン吉も察していたのである。
「……疲れたから、俺はもう休む。すまんが、荷物を片づけておいてくれ。欲しい物があったら、好きにしろ」
言い残すと、男はさっさと屋内へ向かった。
「……わかった」
男の後ろに呼びかけたニャン吉である。
「さてと、仕事仕事」
男を見送って、ニャン吉は機体の後部へと回った。
果たして、そこは貨物室になっている。
「わあっ! こいつは凄いや!」
貨物室を開いたニャン吉である。
中には食糧を始めとして、燃料や水といった生活物資が、わんさかと詰め込まれていた。
人間であると獣人であるとを問わず、これらは全て貴重品である。
「いやはや、ここに来て正解だったね」
必要な物を失敬して、ホクホク気分のニャン吉。
「……って、待てよ」
しばらくして、ニャン吉は面倒ごとに気が付いた。
「これ、片づけるのにどれだけかかるんだよ……」
目の前の重労働に、ニャン吉は唖然とした。