第三章 教育
見て下さる方が多いようなので、もう一つ投下します。
第一節
「あれが飛行機?」
ニャン吉が聞く。
男の力説に、得心いかないニャン吉であった
ニャン吉の記憶にある飛行機と言えば、プロペラのついた物である。
何かを噴き出して進む飛行機は、さしもの旅人ニャン吉も、多聞にして聞いたことはない。
「でも飛行機ってさ、プロペラがついてるものなんじゃないの?」
ニャン吉が思ったままを言った。
「よっしゃ!」
疑問を受けて、男が立ち上がる。
「面白い物を見せてやる。着いて来い、ニャン吉!」
「え? あ、うん」
男が急き立てて、ニャン吉が後に続いた。
「う~、寒い」
ニャン吉が身震いする。
外はもう日が沈んで、日中までの暑さが嘘のような冷え込みであった。
草木のない荒野特有の気候である。
「着いたぞ」
「ここは?」
男が言って、ニャン吉が聞く。
二人が着いたのは、男の住居のすぐ側の建物であった。周囲の廃墟と比べて簡素であるものの、格段に大きく、特大のシャッターが頑なに外界を隔てている。
途中、停めてある双胴機の前でニャン吉が興味を示すと、男はニヤリとほくそ笑んだ。
「ちょっと待ってろ」
男がニャン吉を置いて、建物横のドアに入っていった。
ニャン吉が待っていると、軋み音がしてシャッターがせり上がる。
「すまんすまん」
言いながら、男がニャン吉の元へ帰って来た。
シャッターはそのまま自動で上がり続けた。
「入るぞ」
「う、うん」
シャッターが上がりきって、二人は中へと歩みを進めた。
果たして、大きな物が置いてあるも、中は真っ暗である。
男が壁のレバーを倒すと、人工の光が中を照らした。
「わあ……」
現れた物の威容に、ニャン吉が言葉を漏らした。
「何これ、すごく大きい」
ニャン吉の第一印象である。
それは巨大な鉄の鳥であった。
灰色の鳥は、尖った頭に二枚の翼を従えて、大きな車輪を履いた足が三つも生えている。
ニャン吉も未開ではない。この鉄の巨鳥が、飛行機と見るのは容易い。
しかしながら、それは頭や翼にプロペラを持っていない。
さらに言えば、大きな開口部である。
頭を挟んで、左右に一つずつある四角い穴は、非常に印象的であった。
だがしかし、最大の特徴は操縦席の位置である。
縦に二つ並んでいることは、外の双発機と変わりない。ただし、前後に段々とひな壇上に重なっていたのである。
「ひょっとして、これも飛行機?」
「おうよ!」
ニャン吉が聞くと、男が胸を張った。
「ジェット機ってやつだ。こっちへ来て、よく見てみろ」
言うと、男はニャン吉を飛行機の後ろに引っ張った。
飛行機の後ろにも、大きな穴が二つあった。
「簡単に言うとだな――」
男が続ける。
「こいつは前の穴から空気を吸って、後ろの穴から火を吐いて進むんだ。大昔は、こういう飛行機が一杯あったんだ。お前も知ってるレシプロ……プロペラ機なんか比較にならないほど、早く高く飛べるんだぞ」
「へ~」
男の力説を話半分に聞いて、ニャン吉は飛行機を興味深々に観察する。
しばらく飛行機を眺めて、好奇心を充足させていたニャン吉であったが、そこでふと考えた。
――男の意図についてである。
飛行機を間近で見たこと自体、ニャン吉にとって初体験であった。目の前にあるジェット機については勿論のこと、何が自分に手伝えるかが分からない。
「それでだな」
ニャン吉の心を汲んで、男が切り出した。
「お前には、こいつの操縦を任せたい」
「ふーん、なんだ、そいうことか……って、あれ?」
一瞬、男の要求を聞き流しそうになったニャン吉である。
「操縦? 僕が?」
「そうだ」
聞き返すニャン吉に、男が強く返した。
「何だって?」
ニャン吉の声が裏返った。
第二節
数日後である。
すでにニャン吉は、機上の人となっていた。
「どうしてこうなった……」
ニャン吉は愚痴を零す。
「コラァ! ぼうっとするな! 機体が流れてるぞ!」
男の強い叱咤である。
「は、はい!」
ニャン吉が我に返った。
今、二人が乗り組んでいるのは、例の双胴機である。
男の宣言通り、ニャン吉は訓練を受ける羽目となっていた。
「おい、進入速度が速すぎる」
「はい!」
男の指示に、ニャン吉がスロットルを絞る。
「絞り過ぎだ馬鹿! 失速するぞ!」
男が叱咤する。
「はい!」
ニャン吉が答える。
「代われ! 俺がやる!」
「はい!」
男が操縦を代わって、双胴機が軟着陸に成功する。
…――…――…――…
時は少し遡る。
ジェット機を前にして、男はニャン吉に野望を語った。
「だからな、お前がこいつを操縦するんだ」
男の無茶な要求に、しばらく呆けていたニャン吉であったが――。
「無理無理無理!」
ニャン吉が拒絶する。
「僕、今までこんな飛行機どころか、自動車すら運転したことないよ。絶対に無理だって!」
首をぶんぶんと振るニャン吉である。
「んなもん、大した問題じゃねえよ」
男は諦めない。
「女一人で世渡りする、そのクソ度胸と要領があれば、どうにでもなるわ」
男の断言である。
「でもでも、こんなの……」
ジェット機と男を交互に見ながら、ニャン吉は逡巡した。
「心配するな」
男が言った。
「何も、こいつを完璧を扱いこなせって言ってるんじゃない」
男が続ける。
「お前は知らないだろうが、飛行機の操縦ってのはな、上空でただまっすぐ飛ばすだけなら、そこまで難しいもんじゃない」
「そうなの?」
「難しいのは離陸と、何と言っても着陸だな。まあ、そこらへんに関しては安心しろ。全部俺がやってやる。お前には上空に行った後、こいつの姿勢を維持してもらいたいんだ」
「じゃあ、おっちゃんは何をするのさ?」
男の説得に、ニャン吉が疑問で返した。
「こいつはな」
言って、男が飛行機の翼をバンと叩く。
「エンジンの制御が、とても難しいんだ。俺がそれをやる」
遠い目をして、男が続けた。
「今の時代はな、あの白い鳥に配慮してだかなんだかで、こういうジェット機の開発は禁止されてるんだ。こいつにしても、外に置いてあるアレにしてもだ。大昔にあった物を、俺がここまで復元した――言ってみれば発掘飛行機ってとこだな。当然元の完璧な状態ではないし、俺の技術で修理したエンジンは、とてもシビアになっちまった」
男は自らの過去を饒舌に語った。自分が元は、人間の都市でエンジニアであったことを。エンジンの開発をかけて上とソリが合わず、出奔したことを。
そうして、男はニャン吉と同じく荒野を流離うに至った。その末に、この荒野のサルガッソと、直せばまだ使える飛行機を発見したのであった。
それ以来、男はここを拠点として、胡乱な仕事を請け負うようになっていた。
「でもさ」
いつまでも続きそうな男を、ニャン吉が途中で遮った。
「現在進行形で、こんなことしてるわけじゃん。これって、かなりヤバいんじゃないの?」
このニャン吉の質問は、至極もっともであった。男の行為は、完全にご法度である。
「見つからなければ、犯罪じゃねえんだよ」
男はしれっと言ってのけた。
「……えっと」
犯行声明じみた台詞に、ニャン吉は不安を覚えた。
「安心しろ」
ニャン吉の動揺を察して、男が言った。
「ここら辺は、基本的に無法地帯だ。こんな辺鄙なとこに隠してあるんだぞ。そうそう見つからねえよ。たまに怪しい奴が来るには来たが、そういう奴はみんな始末した」
「さ、さいですか……」
男の物騒な告白に、ニャン吉は戦慄した。
その日以降である。
男はニャン吉を、ビシバシと鍛え始めたのであった。
幸か不幸か、ニャン吉は迫害されている身にしては珍しく学があった。読み書き計算などは、一通り出来たのである。
「よっしゃ、これで手間が省けたな」
思いがけない教え子の素養に、男は大いに喜んだ。
「やっぱり、まだ着陸に難があるな……」
地上に降りた後、男がニャン吉に言った。
「ご、ごめん。でも、これって必要なの?」
謝りながら、ニャン吉が聞いた。
ニャン吉の役目は、着陸ではない。
「当たり前だ、馬鹿」
男が答える。
「いいか? 難しいことが出来たら、簡単なことは出来るんだよ。それにだな、万が一、俺に何かあったらどうする? 保険だよ、保険」
そう言って、男はニャン吉を諭すのであった。
第三節
「ハァ……」
あてがわれた部屋で、ニャン吉が人心地ついていた。
そんなニャン吉は今、Tシャツにデニムのホットパンツである。
余談であるが、狙った服装ではない。単にジーパンが破れて、そうなったのである。
「よいしょっと」
ベッドに横たわり、ニャン吉は携帯食糧を口に運んだ。
今はちょうど昼時である。
ただでさえ忌々しい日差しは益々強く、外をうろつくには危険な時間であった。
ニャン吉に与えられた束の間の休息である。
開けっ放しの窓から、ニャン吉は外を見やった。
ニャン吉の部屋からの見晴らしは良く、他の廃墟に邪魔されず、地平まで見渡せた。
開けた荒野が広がっており、陽炎が立ち上って、蜃気楼までがその姿を見せていた。
「あれが、おっちゃんの言ってた都市なのかな?」
ほどよい疲労感も相俟って、ニャン吉がぼんやりと考える。
実のところ、蜃気楼に映っている物も廃墟であるが、ニャン吉は知る由もない。
ニャン吉にとって、ここは実に心地よかった。
設備はよく整備されており、発動機と風力発電機の組み合わせにで、電力まで賄われていた。
さすがに全室エアコン完備とはいかないまでも、扇風機の恩恵には与れる。
扇風機のやさしい風が、ニャン吉の頬を撫でた。
「あー……、気持ちいい」
すっかりと、満喫しているニャン吉である。
ハードな人生を送って来た身にとって、こ文明的な暮らしはこの上ない贅沢でる。
ニャン吉がまどろみ始めた時である。
突然、建物中にベルの音が鳴った。
「うわっ! な、何?」
声を上げて飛び起きたニャン吉は、そのまま部屋を飛び出した。
時を同じくして、男の部屋である。
タンクトップ一丁の男は、団扇を仰ぎながら椅子に座していた。
「……ああ、分かった。報酬はいつもの通りで」
男は誰かと会話していた。
しかしながら、部屋にいるのは男一人だけである。
果たして、男は頭にインカムが付けていた。
インカムは長いコードを介して、大きな無線機に繋がっている。
部屋の扇風機は、専ら無線機を冷やすために使われていた。電子機器にとって、高温は天敵である。
「ふう……」
通信を終えると、男はインカムを外した。
男はそのまま、こめかみに手を当てて項垂れる。
「久しぶりの、嫌な仕事だ」
男が天井を仰ぎ見た。
男の眉間には、皺が寄っていた。
「い、今の何?」
ニャン吉が男の部屋へ飛び込んできた。
「ああ、驚かせたな。通信があっただけだ。呼び出し音を、火災報知器と連動させてるんだ」
無線機を指さしながら、男が答えた。
「――うっ!」
振り向いた男を見て、ニャン吉は怯えた。
男の曇った目は、無機質な殺気を孕んでいる。どこまでも冷たい双眸は、そのくせに憂いを帯びていることをニャン吉は不思議に思った。
「ど、どうかしたの?」
ニャン吉が、絞り出すように聞いた。
「……ただの仕事の依頼だ」
男が立ち上がる。
「そう……」
敢えて聞かないニャン吉である。
「さてと」
男がニャン吉に向き直った。
「ニャン吉、発進の準備をしろ。やり方はもう分かるな?」
「う、うん!」
男に促され、ニャン吉は双胴機へと走った。
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