最終話 ドリームキャッスル~夢はこの地を駆け巡る~
日付が変わる十分前。私は裏野ドリームランドの敷地内を歩いていた。
今回持ち歩いている荷物の中に、カメラはない。その代わりにスコップを背中にしょってきた。
あのお誘いに間違いがないとしたら、目指す場所は決まっている。
「ドリームキャッスル」。
この裏野ドリームランドのシンボルとでも言えるアトラクション。この城内を巡るツアーがアトラクションの内容らしいが、あいにく楽しめそうにない。
格子状の鎧戸は、私一人の力ではびくともせず、中に入ることはできなかった。
しかし、招待状の内容は覚えている。
私は城の敷地内。今は荒れ放題となっている、かつての花畑の中に足を踏み入れた。
むき出しになった砂利が、音を立てる。私がここにいる確かな証。私以外の誰かにも届いているのだろうか。
そして、私は例の大岩の前にやってきた。招待状はここに来るように促していたはずだ。
スコップを持って来たのも、それが理由だ。必要とあらば、この辺りの地面を掘り返す羽目になる。
私は岩に手をかけた。私の身の丈くらいの高さ、ひとかかえほどあるサイズだったが、思ったよりも軽い。私は岩に寄り掛かると、体重を預けるように押していく。
岩の下からは辺りの砂利とは違う、柔らかい土の地面が出てきた。さほど湿っておらず、まかれてから、時間が経っていないように思える。
私はスコップを使い、土を取り除ける。掘り返していくうちに、スコップの先が固い金属の板に当たった。マンホールのフタだ。
岩と土で隠しているマンホール。中に何かがありますよ、と言っているようなものだ。
そして、ドリームランドのウワサ通りならば、この下にあるのは、おそらく――拷問部屋だ。
私はヘッドライト付きのヘルメットを身につけると、シャベルの先を縁にねじ込んで、蓋を開ける。穴を覗きながら明かりをつけたが、かなりの深さがあった。
ここまで来た以上、毒を食らわば何とやら。私は取り付けられたはしごに、足をかけた。
二フロア分ほど降りただろうか。
着地した私の靴底が、硬い床に当たって、音高く響いた。地下は床も壁もコンクリートに覆われ、前方には大人二人が並んで歩けるくらいの、狭いトンネルが伸びている。
ヘッドライトで照らしてみると、トンネルは少しずつカーブをしているようで、奥の様子を確かめるには進むしかない。
私は暗闇に潜んでいる者がいないか、用心深く見回しながら、ゆっくり歩いていく。時々、奥からは生暖かい空気が漂ってきて、私の肌をくすぐる。
警告、のつもりだろうか。しかしディレッタントとして、何の収穫も得られず退くだけなど、骨折り損を通り越して、廃業した方がいいレベル。
だが、不思議だ。この空気、どこか懐かしさを覚える。
更に歩を進める。トンネルの曲がっていく方向を考えると、そろそろドリームキャッスルの地下あたりだと思われた。
引き続き、周囲を警戒する私は、ふと、壁に貼られたメモ用紙を見つけた。
そこには、見覚えのある字で、こう書かれている。
「どうか、みんながずっと笑顔でいられますように」
私は、があんと頭を叩かれたような気がした。
――だって、この願いは!
私は足音も気にせず、駆け出した。
左右の壁には、間隔を置いて、メモ用紙が貼られている。
「ずっと、お馬さんに乗って、みんなに注目されますように」
「観覧車で、誰にも邪魔されず、ずっと一緒にいられますように」
「お魚さんと、水の中でずっと遊べられますように」
「あの鳥さんのように、何にも邪魔されず飛ぶことができますように」
他にも願い事を書いた紙はたくさんあった。
トンネルはいつの間にか直線になっている。数十メートル先に、ライトに照らされて鉄格子が見える。
私は鉄格子に張り付くと、そこから覗く光景に目を凝らした。
私の眼下に、このドリームランドのミニチュア版が広がっていた。恐らく体育館くらいの高さとスペースだろう。
各アトラクションも屋根がなく、小さくなっているが、人が体験できるくらいの大きさはある。そこには何人もの子供たち「らしきもの」がいた。
ミラーハウスで、笑顔の練習をしている子供がいる。
メリーゴーラウンドで、後ろ手に縛られたまま、馬にずっと乗せられている子供がいる。
観覧車のカゴの中で耳をふさいでいる子供と、順番に降りて来るカゴに飛びつき、待ちきれないとばかりに、ガリガリ窓を引っかく子供がいる。
アクアツアーに設置された水路で、まるで人魚のように下半身が魚になって、泳いでいる子供がいる。
ジェットコースターは途中で線路が途切れて、コースターが飛び出すようになっている。床に落ちた衝撃でコースターはバラバラになり、破片が飛び散って他の子供にも被害が及ぶが、傷だらけになっても、またコースターに並ぶ子供がいる。
彼らはいずれも、哀れなほどにやせ細っていた。
思い出した。
私は確かに、このドリームランドに来たのだ。
「私」が「僕」だった時に。
あの日、僕は一人でドリームランドに来ていた。
そして、アトラクションを回る時、先ほどのメモに書かれていたようなことを思っていた。
アトラクションの中でも、とりわけミラーハウスが気に入って、最後にもう一度入った時。
僕は、無数の僕の中から、逃げ出す一人を見つけた。
話を知っていた僕は、追い詰めなくては、とカガミの迷宮をひた走る。夢中で彼を追いかけていた僕は、ふと周りの景色がミラーハウスのものでなくなっていることに気づいた。
石積みの壁。大理石の柱。高い天井。薄暗い明かりを灯すシャンデリア。
ドリームキャッスルの内装だ、とよそ見をしながら走っていた僕は、地面の感覚がなくなっていることに気づくのが遅れた。いつの間にか床は消え失せて、僕は闇の中へと落ち出していたんだ。
ややあって、暗闇の中で床に叩きつけられた僕は、苦悶の悲鳴をあげた。
痛い。手も、足も、肺も、頭も、まるで雑巾のように、身体を無理やりねじられているような痛みが、襲った。
このままじゃ、死んじゃう。僕は切なくなる激痛に泣き叫んだ。すると、小さな声が聞こえてきた。
「助かりたい?」
それは何人もの子供の声が混じったものだった。
僕は迷わず「助かりたい」と叫んだ。この痛みから解放されるのなら、何でも構わなかった。
「だったら、一つを残して、あらゆる夢と、自分を捨てて」
僕は一刻も早く、痛みから解放されたかった。
頭の中に数えきれない夢を思い浮かべて、最後に残ったものは――文章だった。
僕は文筆に生きたい、と強く願ったんだ。
「――分かったよ。君はそれになるといい。そして、君はこれから『川上史途』だ」
声が告げると、ぱあっと目の前が明るくなった。
僕は病院のベッドの上で、寝かされていた。そして僕を見下ろす、知らない男と女がいた。ただ涙ながらに「史途、史途」と、僕の両手を握っていたことを覚えている。
僕は反射的に「史途じゃない」と叫びたかったけど、喉が焼け付くように痛くて、息しか漏らすことはできなかった。
そして、僕の中には「僕」であった時の記憶がなかったんだ。どうしても思い出せない。どのような姿だったかも。
ただ、あの時に手放した、多くの夢の残滓だけは頭にこびりついていた。
後日、僕の手を握ってくれた男と女――のちの僕の父と母になる――によると、僕は数ヶ月前の学校帰りに、神隠しに遭っていたらしい。
ほとんど手がかりもなく、捜査も打ち切られそうになっていた時。父が出勤する直前に、川上家の軒先に倒れていた、僕を見つけてくれたとのことだ。
僕が何も覚えていないことを知ると、両親は「それでも構わない。史途が生きていてくれてよかった。また積み重ねていけばいいんだ」と告げてくれて、僕はどこか、心が安らぐのを感じていた。
両親や親戚の顔と名前を覚えて、通い始めた学校の生活の中、僕はその時々で、夢の残りかすを追うように、色々なことに挑戦したけれど、文章をのぞいては並み以下の実力しか持てなかった。
進路がなかなか決まらない僕は、懸賞などに応募し続け、とある編集者の目に留まり、今の仕事を得ることになる。そして、ディレッタント「川上史途」が誕生したんだ。
きっと、以前の「僕」も、どこかで元気にやっているんじゃないか、と思う。
たった一つの夢だけを抱きしめた、別人の器として。
そして、選ばれなかった夢たちは、同じような願いを持った器に閉じ込められ、ずっとここにいる。
ここにいられなくなった時、今度は地上で永遠に生き続けるのだろう。このドリームランドの中で。
私はしばし、子供たちの永劫に繰り返されるであろう遊びを眺めていたが、やがてゆっくり背を向けた。
もう、ここに私の夢はない。とうにさよならしたのだから。
私に残ったのは、ディレッタント「川上史途」という存在だけだ。
地上に出ると、秋の訪れを告げるような涼しい空気が、肌を刺した。
元のように岩を戻した私は、ドリームランドの敷地を出る。あのメリーゴーラウンドは、今日もまばゆいばかりの光を出して、廻っていた。
裏野ドリームランド。
捨てられた夢が、今夜もこの地に、こだまする。
(了)