第三話 観覧車~安寧への脱出~
ハロハロ―!
好事家、川上史途。ここにまかりこしました。
いやー、前回は参ったよ。
せっかくカメラのシャッターを切ったのに、決定的なシーンをおさえることができなくてね。僕の駄文だけじゃ、満足できぬ、と今一度、裏野ドリームランドの取材を命じられちゃったんだよ。
今じゃ電気が点く時に、警戒心がMAXになってしまってね。胸ポケットにサングラスを入れているんだ。久々につけると、違和感があってしょうがないんだけど、自分の心臓を守るためというわけさ。
寿命が縮んで、楽しい時間も減ってしまう、なんて、もったいないことこの上ないでしょ。
趣味でもあるんだから、楽しくやらなきゃ、意味がないって。
今回のターゲットは「観覧車」。
裏野ドリームランドが開園している時には、その芸術的イルミネーションで見る人を楽しませ、足を運ばせた、裏野ドリームランド立役者の一人だった。
だが、今はきらめくものを奪われ、でかい図体で道行く者に、文字通りの影を落とす存在さ。
さすがに観覧車が光ることはないみたいだ。
メリーゴーラウンドの時だって、パトカーが群がったんだ。観覧車が光った、などと噂されたら、警察以上に面倒な連中が腰を上げるかもしれない。
まあ、てかてか光ろうが光るまいが、私のような変人の前には、些細なことに過ぎないね。やりたいように、やらせてもらうさ。
私は再び、ホテルに泊まってランドの様子をうかがうことにした。
今回は階層の低い部屋しか取れなくてね、観覧車を見上げる形になったんだ。
付近住民の話によると、実はこの観覧車も、メリーゴーラウンドと同じように、回転しているという話。
ただ、そのスピードは非常に緩やか。乗り場にある観覧車のカゴが動き、次のカゴが乗り場に降りてくるまでに、かかる時間は一週間。
観覧車に設置されているカゴは、全部で八つ。数こそ少ないが、それなりの人数が乗れるジャンボサイズだ。
重さも相当のものだろう。カゴが動くたび、キイキイという金属音が、あたかも悲鳴のごとく、近づく者の鼓膜を揺さぶるらしい。そしてカゴは、ほぼ二カ月に渡る、風景堪能の旅に出る。
二カ月ごとに見下ろす町の景色。少しずつ動き、変わっていく世界を、彼らはどんな気持ちで見下ろしているのだろう。動くことも、変わることもできない、我が身と照らし合わせながら。
ホテルから双眼鏡で確認したところ、確かに一週間ごとに、カゴがひとつずつ乗り場に到達している。
誰が動かしているかは、私にとってどうでもいい。何が起こっているかこそ、私の知りたいことだ。
観覧車は、先に調査した二つと比べて、奥まった場所にある。必然的に私も園内にいる時間が長くなった。
物言わぬ、アトラクションたちの間を縫って進んでいくと、何とも不思議な気持ちになる。動きある存在は私一人で、周りの皆は誰も私に構ってはくれない。
寂しさというのは、相手が無反応だからこそ感じるのかもね。だからこそ、気配ひとつ、物音ひとつに敏感になって、必要以上に驚くのだろう。
それらが実際にはなかったとしても、震えるにはイメージだけで十分さ。
そうして、私は観覧車の下に到着。
周辺の柵も低いので、難なくカゴへと近づくことができた。
窓越しに中をのぞいてみるが、八人くらいが座れそうな座席以外は、がらくた一個、猫の子一匹、入ってはいなかった。
限られた人しか入れない空間。家族や大切に思う人と、遠景を眺めながら、閉じ込められた同じ空気を吸って語り合う。こんな時間がずっと続けば素敵なことだな、と昔は思っていた。
ふと、今、この中に入れば、二カ月くらい、俗世から切り離されるのか、と想像する。
口うるさい上や同僚、陰口悪口憎まれ口、ストレスを感じさせるもの全てから。そして、嫌になったら、飢えで往生するか、死のダイブを敢行すればいい。
当然、私にそのような選択肢はなく、この晩における観覧車の動きを観察しようと、乗り場のベンチに腰掛けた時。
「出して……」
か細い、子供の声がした。あまりに小さくて、空耳かと思い、周囲を見回す。
もう一度、「出して……」と声が聞こえた。
カゴの近くからだ。先ほどと変わりなく、カゴの中に人の姿は見えない。
だが、私の腹はすでに決まっている。ここで動かなくては、なぜに好事家を名乗っているのか、分からない。
私はカゴのドアに手をかける。ロックはかかっていない。力をこめて、思いっきり開け放った。
途端、カゴが盛大に揺れた。あたかも中で、大勢の人間が暴れ出したかのように。空っぽのカゴの大きな叫びが、私の耳朶を打つ。
十数秒後。ようやく揺れが収まった。
私がふう、とため息をつくと
「閉めて……」
先ほどと同じ声で、そう告げてきた。
開けたら閉める、大切なことだ。失念していた自分が恥ずかしい。
私はドアを閉める。この体験をどう文章にしようか、思案していた時。
犬の鳴き声が、聞こえてきた。
野良犬だろうか。奴らは鼻が利くし、足も速い。腹を空かせている時に、私を見つけたら本能的な動作で、無理やり「肉」を奪っていきかねない。
私は護身用に持ち歩いている、威力を高めたエアガンを取り出して、身構える。
一向に姿を現さないハンターたち。彼らの襲撃に備え、私は油断なく辺りを見回していた。
はずだった。
ガリリ、とガラスを傷つける音がした。私の背中からだ。
振り返る。先ほど閉めたカゴの表面に、爪でつけたと思われる真新しい三本傷ができていた。だが、つけた主の姿が見当たらない。
私が戸惑っている間、音と共に傷がひとりでに増えていく。まるで、中に入ろうとしているかのように。
その様子を見て、私は思った。
「出して……」の声の意味。
それは、観覧車の狭いカゴからではなく。
自分たちを狙う者が潜む、この広い園内からではないのか、とね。