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9・小雨降る道にて

 外の雨は、街のそれより冷たい。


 僕は小雨がぱらぱらと降る空っぽの夜を行く。体の芯が静かに熱い。


 背後には遠ざかる街があった。

 頭上には代わり映えのしない黒空(くろぞら)があった。

 目の前には黒い石造りの道がどこまでも伸びていて、道の左右には黒い道――読んだ記憶が正しければ、車道――を挟むようにして、細い灰色の道――同じく、歩道――が追随している。


 車道は門を出てすぐのところで、前方と左右の三叉に分岐していた。

 しかし左右の道はどうやら街をぐるりと囲んでいるようだったので、僕は前方に伸びる道を選び、理由もなく歩道を行くことにしたのだった。


 灰の歩道のそのまた外側は、街から離れるにつれて、鼠色(ねずみいろ)の石畳から、97.3%の緑色と、2.7%の茶色へと描き換えられていた。

 茶は剥き出しの地面。そして緑は、猫背ぎみに立ち、ぴっちり閉じた(つぼみ)を垂らした、花々の絨毯(じゅうたん)。開いた花は一つもない。


 クリスマス・ローズ。暗闇を好んで群れる花。僕はこの花を図鑑で知った。だけどその百二十一頁に載っていた図説では、蕾が光ってなどいなかった。そこではただ、色を落とした白く丸い花瓶じみた花が、過去に思いを馳せるような姿で(うつむ)いているだけだった。

 僕はこの花を俯き花と呼んでいた。ローズという華やかな響きが、彼女には相応しくないと思えたから。


 今、僕の視界に広がっている蕾たちは(ほの)かな光を孕み、この真っ暗な空間を照らし出していた。一つ一つは細やかだけれど、これだけ集まればけっこうな光量になる。

 月と花。これら以外の光源はないけれど、これなら無くても大丈夫そうだ。



 歩を進める。街が大分遠のいた。

 忘れ物をしてしまったような気分が心の表面に張り付いていて、シロを待たなければいけないのに、立ち止まる気にはなれなかった。


「待って」黒い声がした。歩みを止めずに左後ろを振り返る。

 黒いシロが息を切らしていた。走って遅れを埋め合わせたのだろう、彼女の背後に置き去りにされた黒い道には、透明な足跡が飛び飛びに残っていた。

「止まってよ」立ち止まる気にはなれなかった。



 結局シロは強引に、息の弾む体に鞭打って駆けてきた。彼女の体が僕の左隣に並ぶ。

 僕は意識していたよりも更に早く歩いていたようで、小雨では済まない程に、シロの身体は湿り気を帯びていた。その右手から、滴が滴り落ちる。

「上手く、いった、わね」切れ切れの息で途切れ途切れに言う。

「ああ、うまくいったね」

「いい、作戦だったでしょ? 絶対に、アイツは追ってこない、から」曇りなき歓喜の色。

「とてもいい作戦だったよ」薄く平坦な声だったが、嘘偽りはなかった。

 雨が鼻先を濡らす。ふき取るつもりはない。


「でも、あらかじめ相談して欲しかった」

()ねてるの?」流暢なからかい半分。息が整ってきたらしい。

「あれは僕のナイフだ」ナイフは彼女の手にあった。透明な彼女に色を吸われて、透明な刃になって。僕らが小屋を出たときから、ずっと。

「あいつに押し付けられた、自分を見世物にする為の小道具がそんなに大事なの?」

「……話をすり替えないでくれ」


 少しの沈黙があった。湿った足音が二つ、路面に薄く延びていく。


「私は色をもらうだけ。あげることはできない」彼女は寂しそうに見えた。

「だから、怒られたって、もうどうしようもないわ」彼女は透明な刃を折り畳み、そっと持ち手を差し出した。

 その手つきから持ち手の位置を察して、僕はすんなりと左手で受け取る。右手の鞄にしまう気は起きなかった。


「無駄だって事は知ってるよ。それでも僕は、謝って欲しいんだ」色を喪ったナイフをぎゅっと握る。僕の拳は空気を硬く掴んでいるような形になって、ひどく滑稽(こっけい)だ。

「無駄だって分かってるなら、私の労力を無駄遣いさせないでよ」彼女はわざと行儀を悪くして、僕が二歩先に踏む予定の路面へと声を吐き捨てた。

 足を止めてそれをかわす。


「いい加減にしてくれ、シロ」

「ナイフがどうしたって言うのよ、アイツの罪滅ぼしごっこがそんなに嬉しかったの!? 念願の外に出してあげたんだから、素直に称賛しなさいよ!」

「シロ! 君はそうやって! そうやっていつも、何も言わないで!」

 だが僕が叩きつけてやろうとした二の句は、背後からやってきた轟音にかき消された。



 轟音の源は重く巨大な赤い箱だった。

 その四隅には銀色の円盤を黒いゴムが覆ったものが一つずつ着いている。四つの輪はせわしなく回り続け、赤い箱そのものを前進させていた。

 赤い箱は、背後から迫ってきている。まるで暴風で造られた巨大な生き物が疾駆しているような、咆哮にも似た風の唸り。


 黒いシロは驚きと好奇心を交えた黒目で、突貫する箱を眺めている。気持ちは分かるが、それどころじゃない!


 「シロ!」僕は咄嗟(とっさ)に鞄を投げ捨て、そのままシロの腕をひっつかんで車道から歩道へと強引に引っ張りあげる。

 シロは吹き飛ばされるようにして、僕の右後ろに、クリスマス・ローズの絨毯(じゅうたん)へと突っ込む寸前で、つんのめりながらも辛うじて着地する。


 僕がシロの安否を目で確認してすぐに、赤い箱は僕らの前を通りすぎた。

 連れてきた猛風が僕らを叩き流そうとする。シロの腕を掴んだまま、両の足で路面を踏みしめて耐える。幸い、右足が少し浮き上がっただけで済んだ。


 それから数瞬(すうしゅん)の後、僕らが向かおうとしている方角から、何かが摩り切れる際にあげる断末魔のような甲高い音が飛んできた。

 見れば赤い箱が激しく振動しながら速度を急激に落とし、今まさに止まろうとするところだった。



 あんまりにも派手な物事が振りかかったせいだろうか。僕の青い心臓は却って冷静で、その深奥では奇妙な勇気が熱を帯びていた。

 僕はシロの腕を離して、止まった箱を見やる。そう遠くはない。


 もう一度シロを見る。長すぎる髪の毛がいつも以上にボサボサで、普段の1.3倍ほども膨らんでいるのが面白かったが、それ以上の被害はなさそうだ。

 シロは俯き花の沼に沈みかけていた僕の鞄を引き上げて、なにやらがさごそと、しかしテキパキと手作業をこなした。するとどういうわけか、鞄にはしゅるりと長い肩紐が生えた。

 そのまま鞄を投げ渡そうとして、しかし重さを実感したところで止め。歩み寄ってこちらに差し出す。僕は少しだけ愉快な気持ちになりつつ、それを受け取って肩にかけた。


 そして僕は箱へと進軍を開始する。

 シロも僕の腕を掴み直して着いてくる。

 こうすることで、僕がシロを見失う危険はなくなり、それでいて、端から見れば僕は一人。シロの安全は担保される。これもシロのアイデアで、僕は今になってやっと、その効果に気付いた。


 今ごろシロは黒い道から奪った黒を中空に捨てて、いつもの色なしに戻っているはずだ。それを確認することもなく、僕は不用意なほど勇んだ歩調で赤い箱に近づいていった。

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