6・夜だけの街
街は黒い。
ひんやりとした闇が、街をくまなく覆うようにべったりと貼りついている。そこかしこに点在する、ガス灯を模した電灯の周囲だけが、わずかに夕日の色をたたえていた。
街の大部分は、窓ガラスから灯りの漏れることさえない、黒一色に染められた家々が埋め尽くしている。よくよく見ればわずかに別の色があるようだが、粘つく宵闇の中では全て等しく真っ黒だった。
家のない空間はくまなく道。彼らは街という生き物のはらわたのように、うねり、ぐねり、すれ違い、昇り、下り、立体的に交差し、静かな街で散歩者を待ちわびていた。
そして街の頭上には、明けることのない夜空が天井のように広がっていた。黒い天板から点々と、今にも夜色に飲み込まれてしまいそうな星の照明が瞬く。
***
僕は勝手口から見世物小屋の外に出て、黒い街並みに足を踏み入れた。
右手に持った鞄が重い。この鞄はシロがどこかから持って来て、荷造りもシロがしてくれた。その代わり、持つのは僕の役目。
だけどもう少し軽くはできなかったのかな。いつの間にか忍び込んでいた、このシロの絵の具コレクションとか要らないと思うのだけど。十三色も入れちゃってまぁ。珍しく青色まで入っている。
街は酷く静かで、乾いた木立の気配がした。
ちらほらと、そこかしこで、真っ黒い人たちが緩慢にうごめいているのが見える。彼らはいつでも止まることなく動き続けている。這うような速度で、いつまでも。
その動きからは音が喪われていて、蠢くものが居るのに音の無いその光景が、街の寂しさを掬いとって、いっそう色濃いものに仕立て上げていた。
僕は電灯がかすかに照らす大通りを真っ直ぐに進む。幸いにして、こっちを見ている者は誰も居ない。
夜の空気を滑らかに切り裂いて、靴音を響かせて。聞こえるのは僕と僕の側から響くもう一人の足音と、僕の心臓が空を送る音だけ。
いつまでも大通りを進んでないで、どこかで脇道に逸れないといけない。空瓶があるとはいえ、見つかるリスクは抑えたい。
そんなことを考えていると、不意に左腕が軽く引っ張られた。
通りの左手には無音の家が並んでいて、僕の左腕が引かれた方には家と家の間を抜ける、か細い路地があった。僕は引かれるがまま、路地へと入る。
僕の腕を引いているのは透明なシロだ。彼女はこの街にある全ての道を知っている。繰り返し繰り返し街中を歩くうちに覚えてしまったのだという。何でそのまま街を出なかったのだろう?
この街の出口は南門と北門の二つだけで、僕たちは北門へと向かっている。歩いて二十二分。シロが知っている、裏路地から裏路地へと跳び移るルートで行けば十三分。
彼女は僕の案内係を引き受けて、裏路地ルートへと僕を引っ張ってくれている。どういうわけか、彼女が掴んでいるのは僕の左手ではなく左手首。正直なところ、ちょっと不便だ。
細い細い裏路地に入る。当然、電灯など無かった。夜空をそのまま近くに引きずり落としたように、行く先には混じりけのない暗闇が続いている。
十歩先は夜に飲まれてもう見えない。五歩先は夜に滲んでぼやけて見える。嫌というほど馴染みある街なのに、この先に何があるのか分からない。
僕の心は不安でかき乱され、同時に冒険心がふつふつと沸いていた。
僕がそんな不安と興奮を味わっていると、左手首が強く引かれた。
行こう。シロが痺れを切らしている。
僕たちは裏路地を行く。
前後左右、そして天地を夜に囲まれて。細い道は百足のように段々に区切られながらうねっていて、石造りの壁が時おり鋭く突き出ていた。
三歩先も危うい闇のなか、シロは壁を器用に避けていく。造作もないわ、と胸を張っているような自信にあふれる足取り。それに引かれて、僕もおっかなびっくり避けていく。
時折、裏路地が途切れて灯ある普通の通りにぶつかった。
そういった通りには漏れなく暗い人たちがふらふらと歩きさ迷っていて、僕は彼らを見かける度に鞄を、鞄の中の空瓶を意識した。次の裏路地へと入るには、通りを横切らなければならないのだ。
しかし結局、空瓶を取り出す必要は無かった。暗い彼らはやはりぼんくらで、一度こちらに背を向けてしまえば、僕らが足音高く駆け抜けたところで振り返りすらしなかった。
それは確かに楽だったけれど、何だか空瓶の入った鞄が重く感じた。