4・飛び散る色彩と交わした約束
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ある日。七百七十一回目の見世物を終えた僕たち二人は、団長の部屋へ忍び込んだ。
蜘蛛の巣が十三と三分の一匹分も張り巡らされた埃っぽい部屋で、机の引き出しやら箪笥やら小物入れやら、開けられる物を片っ端から開けて回っていた。
指の届く物は全て開け散らかしてしまったけれど、僕達二人がめいっぱい背伸びしても届かない高さでふんぞりかえる戸棚にだけは手を出せなかった。
部屋を制覇したかったシロは腹立ちまぎれに、綿埃から奪った灰色と茶色と黒がデタラメ混ざった体で、床に散らばる何がしを蹴り転がしていた。その右足に巻き込まれ、色のない埃が丸まって舞う。
僕はシロの気を引くお宝を、開け放した連中の中に探す。すると机の二段目の引き出しの奥から、年季が入っているくせに小綺麗な万華鏡がころりと出てきたので、待ってましたとばかりにそいつをひっ掴み、シロへと献上することにした。
シロは万華鏡を手に取ると、好奇心の笑みを噛み殺したうんざり顔で、筒の中を覗き込み、くるくるとゆっくり回し始めた。
その視界にはどんな色が広がっているのだろう、シロが飽きたら見せてもらおう、でも色の無い彼女に色彩に溢れた万華鏡を見せても良かったのだろうか、僕はそんな事をぐるぐると考えながら、小綺麗な筒のダイヤルを回すシロを見ていた。
ダイヤルが七回転ぐらいした頃だろうか。シロの瞳に、ひどくぎらついた、危なっかしい光がきらめいた。
僕はシロが飽きたんだと、万華鏡を覗ける番が来たんだと勘違いをして、シロに声をかけようとした。「僕にも見せてくれる?」と。
その一文字目も声にしないうちに、シロの手からするりと万華鏡が落っこちた。床に叩きつけられた先端部から、色とりどりのガラス片が撒き散らされる。
呆然としている僕を尻目に、シロはふらりと屈んで、床に広がった水たまりのような色彩のしぶきに手のひらを押し当てる。破片がシロの肌を貫き、茶色く濁る体液がひたひたと流れ出た。
シロの茶色い血液は次第に色を変えていく。赤、黄、紫、緑。それらが混ざった毒々しいマーブル。砕けた万華鏡、その残骸の色。四色のガラクタがシロの全身をも染め上げていく。
――わざとだ。わざと落としたんだ。
シロは手のひらを見つめてくすくすと笑い、それから内緒話をするように僕にも見せた。
大きく開かれた手のひらの上では、四つの色を孕む液体が生き物のように蠢き、食らい合い、生まれ、ぐねぐねと不規則な絵画を描いていた。
傷こそ既に消えているが、シロは巧みにその血を手のひらの上で玩び、ふき取ろうとも床に流そうともしなかった。
その日、僕たちは団長に何も言わなかった。破片もさえもそのままに、そっと部屋から逃げ出した。
そして、そのさらに次の日だ。シロの部屋に四色の立方体が贈りつけられたのは。シロ曰く、その日の見世物を終わらせて、部屋に戻ったらもう鎮座していたらしい。
邪魔だからどけろとシロがごねても、団長は何も言い返さず、立方体がどかされることもなかった。
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「結局、ネジ穴は見つからなかったね」思い出を振り切って僕は言う。
立方体はこの部屋のドアより大きい……だから、どこかに分解するためのネジ穴があるはずだった。僕らは二週間と三日ほど穴を探したけれど、ついには諦めた。
「もういいじゃない、どうせ置いていくんだから」
「そうだね。もう、ここにある全ては無関係だ」
シロが立方体の入り口に向かおうとしたのを見て、手で軽く制する。
「いいよ、僕が出る。あの話を切りだしたのは、僕だし」
僕は立方体の外へ抜け出て、敷き詰められた雑多な紙々を踏みしめる。
シロを視界の中央に捉えた。それでやっと、彼女の色が分かる。彼女が好んで纏う、ぐちゃぐちゃで不明瞭なまだら色だ。きっと彼女の足元に、新しい、色を食われた透明紙が食い捨てられているに違いない。
この部屋の床はまだら色に塗りたくられた紙で包まれているけど、実は、その三倍以上の、色の無い透明な紙が、食べかすのように捨てられているんだ。
「寂しい?」なんとなしに、僕は尋ねた。
「全然」シロはつっけんどんに答えて。
「寂しいのはあなたでしょう」そう切り込みながらシロは、まだら色の髪を後ろに流す。三日月の先端のように鋭い瞳が僕を真っ直ぐにねめつける。
「何で決めつけるのさ」
「旅に出るのは三千百十九回目の見世物が終わった後の約束だったはずよ」
シロの言葉は間違っちゃいない。僕たちは三千百十回目の自由時間に、そう約束を交わした。だけど。それが、なんで僕の寂しさに繋がるのだろう?
「少なく数えてるわ。七回前から、部屋で待っててあげたのに」
「嘘だ」シロは時折、僕をからかう。きっと今回もそうだろう。
「それこそ嘘よ。先延ばしにして、先延ばしにし続けて。本当に果たしてあげるつもりはなかったんでしょう?」口角を吊り上げて笑う。
「街から逃げて……隣街に青空を見に行く、なんて」