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3・色まみれの部屋で


***



 見世物が終わってから、次の見世物が始まるまでの空き時間。

 少年と少女は見世物小屋に用意された自分の部屋を拠点にし、気分の向くまま自由に過ごす。少年は拠点で百科図鑑を読み(ふけ)り、少女は街中へとあてもない進軍を繰り返す。


 図鑑は少年に多くの言葉をもたらしたが、それは実感の伴わない、何か、本体にも等しい大事な中核が抜け落ちた知識であった。

 放浪は少女に幾通りもの景色をもたらしたが、それは夜に眠る街の中で、その停滞を再確認させていくばかりのものであった。


 そんな風に彼らが生きていると、そのうちに木枯らし色のベルで奏でられた、終わりを告げるために刻まれたようなメロディが、街の街路という街路を水流のごとく隙間なく満たす。それが次の見世物の合図だ。

 少年は図鑑を閉じ、少女は小屋に戻る。


 団長がトロイメライと呼んだ終わりのメロディを、百回記念公演を迎えるまでの少年は、折に触れて口ずさんでいた。



***



 さぁ、最後の空き時間が始まった。


 僕は団長の部屋の手前にあるシロの部屋へと急ぐ。見世物小屋の奥の奥から少し手前、最奥にある団長の部屋の一つ手前。

 名札のかかっていないドアを引き開ける。この部屋と団長の部屋にだけはボロボロの鍵が備え付けてあるけれど、二人とも、いつも鍵をかけていなかった。


 ドアは完全に開かれて、部屋の中が見渡せるようになった。生活の臭いのしない空間には、そこかしこに薄い安紙がとっ散らかされていて、その一枚一枚には、絵とも文字ともつかない、あるいは両者の折衷案(せっちゅうあん)であるような、意図ある色彩のまだらな塊が描き殴られていた。


 その色の塊たちは、部屋の隅に放られた絵の具たちでシロが描かれたシロモノ。彼女が街中から勝手に集めてきた絵の具はゆうに百色を越えているけれど、その中に青と、青に近しい色だけはなかった。


 乱れた色彩で飾られた紙々に飾られる形で、部屋の中央に立方体が置かれている。

 その天井は部屋のそれと共用されていて、その横幅は中でシロが両腕を広げたとしても余りあり、もはや立方体ではなく小部屋と呼んだほうがよさそうだった。


 小部屋を囲む四枚の壁はそれぞれ異なる色のガラスで出来ている。

 赤、黄、緑、紫。半透明のガラス壁は、まるで万華鏡のようにきらびやかで、薄暗い照明の下でさえ明瞭な色を湛えている。

 そして照明のスイッチをパチリと落とした瞬間に広がる、黒い空から覆い被さってくるような夜の闇の中でさえ、ほんのりと――だけど確実に――その四つの色をゆらゆらと放射するのだった。



 四色の立方体こそ部屋に立っていたが、部屋の主の姿はない。


 僕はシロに部屋で待つよう約束しなかった事を後悔した。

 こうなってしまうともう、実はすぐそこに居るけれど見えていないだけなのか、それともまたいつもの放浪癖が発揮されて、気分のまにまに街の路地をくぐり抜けているのか。そのどちらとも僕には判断がつかず、シロの行方はようとして知れなくなってしまう。


 途方に暮れてしまいそうだったけれど、僕は今、胸にとても大切な話を抱えていて、高く波打つ鼓動に揺さぶられて息が詰まってしまいそうだった。

 急かす鼓動に追い立てられて、僕は部屋の奥へと足を踏み入れる。撒き散らされた紙を三枚踏みつけてしまったが、そんなことは気にしていられない。


 立方体に近づく。あまり背の高くない僕が、身を屈めてようやく通り抜けられる小さな戸口が、紫のガラスの端に開いている。シロはきっと、この中には居ないだろう。

 シロはこれを好いていない。むしろ嫌ってさえいる。それでも念を入れて、僕は窮屈な戸口から立方体に入り込み、盲目の赤ん坊のように内部をまさぐった。伸ばした量の手の指先は何物にも触れない。


 四色の毒にやられて目が痛み始めた。僕は戸口を求めて紫ガラスに向き直る。

 と、冷たくて固いものに、少し柔らかいものに包まれた固いものがぶつかるような、かん、と鋭い音がした。

 振り返る。赤ガラスを赤いシロがノックしていた。シロの全身をよくよく見ると、濃淡がばらついている。ガラスの均一な赤をまとっているのではなさそうだ。


 ノックがさらに二回続く。最初のと合わせて三回。三回のノックは入室許可が欲しい音。それなりに前、珍しく上機嫌だったシロが教えてくれた、どこかで読んだマナー。シロはこのマナーを気に入っていた。


「君のなんだから、好きにすればいいじゃないか」僕が声を出すと、四方でガラスが震えた。

「もらった覚えはないわ」シロは不明瞭な声色ながらも、凜とした調子で答える。

 この立方体は団長がシロに贈ったものだが、確かに、彼女は受け取ってなどいなかった。


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