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19・彼女の居るところ

 ヤドリギ型の螺旋階段に巻き付かれた塔の胴は丸かった。

 しかし頂上近くで塔の腹へと潜り込んだヤドリギが飛び出した頂きは、精緻な五角形ペンタゴンを成していた。丸い胴は頂点へと登り詰めるにつれてラッパ型に膨らんでいき、そして天辺に正五角形を結実させていた。

 それはまるで塔が咲かせた黒い五角形ペンタゴン型の花弁のようであり、あるいは夜空から追い落とされた一つのはぐれペンタグラムが、諦観を抱きながらも天の黒く懐かしい肌から目を離せずにいるようでもあった。



 五角形の屋上にまずたどり着いたのは僕だった。上へ上へと高さを望むこの身に心を委ねて、まるで吸い寄せられるように滑らかな速度で昇ってしまった。

 屋上には手すりがなく、ふわふわと空に舞いかねない身体を床にくくりつける手がかりもなかった。仕方がないので空瓶の空を二本だけ夜空に放す。二つの空はやはり待つ間もなく夜空に消え、束の間の夢が僕をいっそう虚しくさせた。

 これで鞄には空っぽが四本、残りが二本。空っぽ瓶で重くなった鞄に引き下ろされ、ひんやりとした石床に靴をつけた。


 浮かなくなった身でゆるりと屋上を見回していると、赤いシロの靴音が激しく階段を叩きながら、ようやくここまでやってきた。辿り着いた彼女は赤く熱情的な瞳に怒りを込めて僕をじっとりねめつける。僕はなるべく平静を装いながら視線を返す。

「お疲れ様」大人げなさを自覚しながら、皮肉げな物言いを止められなかった。夜と高度に冷やされた僕の呼気はただただ白い。

「景色は堪能できた?」彼女の深く赤い呼気がリズミカルに吐き出されるにつれて、僕は下りゆく溜飲の下らなさを思い知る。

「これからだよ」彼女を手招きつつ、僕らは五角形の一辺へ。


 塔の足元には黒土がべったりと根を張り、そしてその黒い土を取り囲んで、ぐにゃぐにゃと崩れた円形に俯き花が群生していた。花の放つ燐光は稜線の上を滑るように伸び、夜を流れる気配なきものの身じろぎに合わせて、くゆるように波打つ。

 見える限り白一色の大地を切り開こうとする黒が一本あった。その黒は時に直線に、たまに湾曲し、そして度々蛇行していた。あれがきっと僕らの行く道、夜男の車が踏み締めてきた道。


「隣街、見えないね」シロは五角形の一辺、その縁に腰かけた。視界は道の黒を除けば隈無く白く、青空を捕まえているはずの隣街も、その青の片鱗さえも見当たらない。

「きっとまだまだ、道は続くんだよ。色んなところに寄り道してさ」黒の果てにはまだ遠い。

「そうね」ぷらぷらぱたぱたと振り遊ぶ彼女の両足のしばらく下に、望遠鏡の頭があった。



 僕は鞄から――シロが勝手に詰めた――散髪用の使い古したハサミを三丁取り出す。挟んだ髪をぶつりと切るやつ、半分ぐらい残して切るやつ、他二丁の半分もない微調整専門の小柄なやつ。まずはまとめて切り落とすやつを右手に持つ。

「髪、どれぐらいにする?」座ったシロの座高に合わせて、僕も石床にしゃがみこむ。

「前は鎖骨まで。後ろは肩甲骨まででお願い」大雑把な指定が飛ぶ。譲れないところは厳守、あとはお任せ。

「相変わらず長いね。前から不思議だったんだけどさ、重くないの?」

「重いわ。あなたの足よりはね」

「ごめん」よろしい、と言わんばかりにシロは頷いた。


 僕はシロの長すぎる髪を手櫛で鋤き、後ろ髪を適当な束にまとめて掴む。夕日レンガの髪は脈打つように赤く、僕の肌を肉を焼き通して流れる空さえ燃やしてしまいそうだった。

 僕は髪の束に挟み込む刃を当て、そっと力を入れて切り落とす。しゃきん、と小気味良い音が空気に跳ねる。シロの髪は長さと量のわりに脆く、手応えなんて在って無いようなものだった。

「きゃあいたーい」とシロが言う。僕は二束目を左手で作り、右手で再び切り落とす。

「きらないでー」とやはりシロが言う。僕は三束目を作る左手を止めない。

「それは髪の悲鳴?」三束目を切り落とす。調子が出てきたようで、前の二束より多くの赤い糸を切り裂いた。

「ただのおふざけ」

「そっか。やめて欲しいのかとばかり」止めることもなく束を切り、残骸を掌に乗せる。

「まさか」


 僕は切り落とされた髪の房を望遠塔から外へと逃がした。逆巻く風の漂う夜に、髪は水面に浮かぶ木の葉のよう。髪は赤を中空へと霧散させながら舞い飛んで、十三秒後に見えなくなった。

 それはいつものように色を喪っただけの事だと分かっていても、僕には何だか、夜が赤を飲んで暗さを増しているように思えた。

 飛んでいった彼女たち。そのうち誰かが、隣街に流れ着いたりするのだろうか。


 思考に埋没している間にも指は独りでに働き、髪の房を手際よく切り落としていた。

「きゃー、消えちゃった。ざんこくー」おどけた物言いが僕を思考から引き戻す。

「やる気なくすなぁ」

「変な風にしたら突き落とすから」やる気を奪った張本人がケラケラ。

「髪みたいに? 酷い話もあったもんだね」


「隣街は見えないけど、ここからの眺めは綺麗だね」それは素直な感想だった。淡く輝く白の絨毯は眩しくも暗くもなく、目に心地よかった。

「でも夜の風景よ?」シロがさも当然のように懐疑を差し挟む。

「それはそれ。青空が好きな人は夜を好いちゃいけないって言うのかい」

「ごうつくばり」

 僕は曖昧な笑みと共に断つハサミをしまい、鋤くハサミと交代させる。

「……いま見てたのはね」シロは唐突に切り出した。

「空でも外でもなく、髪」掌に乗せた髪の数本。赤い五本指の上で透けていく。

「私に確かな色があったら、あの髪はどこまでも飛べたのかしら?」

「でも透明なだけで、ちゃんと在るんだろう? それなら……見えなくても変わらないよ」辿り着いたことを知る人が居なくても、辿り着いた事に変わりはない。

 僕はハサミを髪に当てる。髪が厚く重なることで、夕日の赤がより濃く燃える。この赤はいずれ消えるなんて思えない程に痛烈な眩光を僕の眼窩に突き刺しながら、僕の鼻先とシロの細首との間に、鼓動を叩き鳴らし、脈打ち、生きていた。

「ちゃんと在るかどうかなんて、見えなくなってみないと分からないでしょ」

「いやいや。君は一度消えても戻ってくるじゃないか。なら居るし、在るんだよ」

「次透けたら、そのままかも」

「透けたままでも、君は僕を案内してくれたろう? だから居るんだってば、透明でも」透明なシロに導かれて歩いた街の裏道を振り返りながら、鋤きハサミを髪に入れ、夕日を薄く削いで夕空の断片に変えていく。ちゃき、ちゃきん。薄い刃が仄かに擦れる。


 シロは迷路のような表情を浮かべ、切り落とされて短くなりながらも未だ長い髪を指に巻き付ける。髪はボビンに準備された糸のように指へとしっかり巻かれていき。いつしか、少女の細すぎる指の第二間接の少し手前を、ぎちぎちと締める網になった。

 ぷつり、ぷつり。耐えきれなくなった髪が手折られていく音がする。

「……ああ、よくそうやって遊んでいたね」見世物小屋にいた頃、僕はだいたい六十七日ごとにシロの髪を切っていた。てきとうな空き部屋を理髪店に見繕い、髪を切り刻んでは床中にぶちまけた。

 そして、終わった後は必ず、団長がその部屋を静かに掃除するのがお約束だった。見えない髪を箒で掃いて、色の無い塵と一緒に袋に詰める。


 西の夕空を渦に巻き取るシロの指から鋤きハサミを逃がしつつ、ちゃきちゃきと東の赤を薄めていく。

「懐かしいわ」言ってそして付け加え。「あの街が」

「君がそんなことを言うなんて」手を止めずに驚いてみせる。掘り下げてみたくなった。

「外が好きなら街を好きになっちゃいけないの?」指ボビンが髪を巻き取る。

「好きだったのかい?」

「さぁね」

「でも、街を出て……私には色がないんだって、改めて思い知らされた」回りすぎたボビンが、数本の髪をぷつぷつと千切る。

「シロ?」挟むペースを若干落とす。

「色が無いってね、自分の……核、確固たる何かが無いの。自分の足で立っていないような感覚がいつでも抜けないのよ」シロはボビンをやめて、残された髪の切片を風に乗せて散らす。僕もハサミを止める。赤を薄めたくないような気分だった。

 見えない髪が遠いどこかに流されていく。


「見えないけど、君は居る」僕はあの日々の中で繰り返し言い聞かせてやった言葉を、ついさっき与えたばかりの本音を、今再び繰り返す。

「いつも似たり寄ったりな答えね。ありがとう」シロは忍ばない笑いで僕を茶化す。

「分かってて言わせる君も君だよ。どういたしまして」僕もまた彼女を茶化してやる。

 シロがぐりんと振り返って僕を見て、あわてて僕はハサミを引いた。目が合うと、シロは照れ臭そうにはにかんだ。

「あんな毎日だったけど……あそこにはやることが、役目が、あったよね」

「いつか街に戻ったら、少しは優しくしてあげようか」

「それも、いいかもね」

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