表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/35

18・夜の中に青は消える

 五回と半分、塔の周りを回った地点で、僕はしっかりと地に両足をくっつける。


 ひんやりとした夜風が頬を切るように撫で、浮わついた心まで静かに冷やす。丁度いい機会だ。少し考えてみよう。


 なぜこの身体は軽くなったのか?


 うろうろと歩きつつ、考えを巡らせてみる。そんな最中も油断すれば僕の体は浮こうとしてやまない。

 こうなったのは、搭を登り始めてから。搭が関係しているのは間違いない。でも、何故?


 この塔に居る、僕以外の二人について考える。シロの身体は変わりなく、一つ目も浮いては居なかった。

「しまった」言葉が頭蓋を抜けて外に漏れる。一つ目に何か、訊いておけばよかった。

「まぁいいさ、帰りに訊けばいい」これは敢えて声に出す。一つ口から出した分、それを打ち消す言葉も一つ出しておきたかった。


 僕は行きつ戻りつ、無意識に鞄を手指で弄び始める。

「とりあえず、この搭を登ったことが影響しているのは間違いない」一つ口に出せば後はもう、ただポロポロと溢れ漏れていった。

「そして多分、こうなるのは僕だけ」持ち手に差し入れた人差し指を軸にして、鞄をぐるんぐるんと回してみる。

「彼女たちと僕。違っているのは」勢いのついた鞄の持ち手から指を抜き、空中で回り続ける彼を眺めて記憶を洗い出す。僕と彼女たちとで、異なる点。僕を、僕足らしめるもの。


 中空で回転する鞄は少しずつ上昇していってしまうので、たまに指で引き下ろしてやる必要があった。少し面倒だけど、弄り甲斐はあるかもしれない。普段は重たい鞄だけど、軽くなっている今ならさほど負担ではない……。


「……鞄? なんで鞄がこんなに軽いんだ? そもそも何で浮いてるのさ!」

 僕は三回目の上昇に入った鞄を慌ててひっ掴んだ。鞄は抵抗なく僕の手元にやって来た。

 狐につままれたような気分で鞄を開けると、ごちゃごちゃした――主にシロのせいで――中身からは少しの絵の具、絵筆がなくなっている。だがそれより何より、空瓶が、僕の青空を詰めた空瓶が、ぷかぷかと浮かんで、開いた口から飛び出しそうになっていた。

「空瓶が浮いていたから、鞄が軽かったんだ」鞄については一応の解を得た。


 そして僕は僕自身についての解がため、ふよふよと軽やかな空瓶を一本掴む。

 螺旋階段の外周に寄り、外の世界へと空瓶を掴んだままの腕を伸ばす。そしてもう片方の腕を空瓶へと近づけて、からからと金属製の蓋を外した。


 これまでに見世物小屋で流してきた青は全て、地面へ床へ吸い落されていた。だけど今、瓶に閉じ込められていた青空は、中空へとふんわり飛び出した。最初は瓶の形で真上に昇り、それから空のくせに雲みたいに広がって、僕の頭より少しだけ上に留まった。

 夜の中に、小さな青空があった。液状じゃない、空間に浮かぶ空。夜に負けじと青く、名前も知らない鳥が飛び抜ける中空。


 しかし青は黒になる。夜の色が青く開いた穴を満たし、浮かんだ空は沈められていく。昇っていたはずの太陽は薄暗がりへと辿り着き、夕日を見せることもなく月にとって代わられる。


 僕の空は、あっという間に夜へと飲み込まれてしまった。


 青空が消えた黒空に、もっと更に腕を伸ばす。身体が浮き上がり、手すりが僕の腰まで降りてくる。欠片が残滓が、この黒い空間にあってほしかった。


 だがそれはもう、変わり果てた夜だった。



「綺麗ね」と背後から声がした。振り返るまでもなく、それはシロだった。

「ありがとう」僕は手すりを手繰って地に降りる。振り返るまでもないから、振り返らなかった。

 足音が足元から立ち上り、シロが僕の隣に並ぶ。


 シロは赤かった。空の青すべてを塗りつぶし、それでもなお飽きたらず。そして終には地上世界を塗りつぶす。夕日という存在が放つそんな赤を、そっくりそのままその全身に纏っていた。

「もう一度、見せてよ」熱情と寂寥が交錯する赤い光に、僕の耳が焼かれそうだ。

「空瓶だって、いくらでもあるわけじゃないよ」反射的な反発。

「入れ直せばいいだけじゃない」不思議そうな調子。

 彼女の言う事はもっともだった。反論を造り出せない僕は空の瓶を鞄にしまい、代わりに中身の入った空瓶を取り出す。


 もう一度、瓶から青空がふんわりと逃げ出した。夜空の一角が青空に塗り替えられ、青は膨大な黒の上で版図を広げながら、あっという間に消えていく。

 五秒、いや十秒? 彼女の自由はそれだけ続き、彼女もろともはらりと消えた。


「綺麗ね」赤いシロはもう一度感想を述べた。

「でも、あっという間だ」そう、あっという間だ。

「ソラ?」シロが赤い声で僕の心を覗こうとする。彼女がレンガの色を奪ったのはいつだろう? もうきっと数分は経っている。そしてきっとまだまだ保つ。

「いや……もっと長く、空が見られたらいいなって」胸を突く緑の微熱と戦いながらおざなりに言っておく。

「その為に来てるんでしょ」馬鹿ね、と彼女は馬鹿にしないで笑う。

「ああ、そうだね」

 笑い返せなかった僕は、こんな時でも軽すぎる足を踏み出して、滑るように階段を登ることにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ