17・星を数えて
「さて、私は何を話そうか?」
「何を見ているの?」いつもの調子でシロ。
「夜空」
「何で夜空を?」
「星を数えているんだ……数えながら、星の中にまぎれているかもしれない太陽を探しているんだよ」
太陽。僕の空の中心で、黄色を帯びた白い光を放つ円のこと。
「太陽、ね。今までずっと探してたの?」
「そうなるね」
「それでずっと、見つからなかったの? なら場所を変えた方がいいわ、ここからじゃ見えないのよ。それだったら……」
「それはできない。ちょっとした事情があってね」
「……そう、ごめんなさい。じゃあ、次。数えるのは楽しい?」懲りずにシロは質問を浴びせかける。飽きるか訊くネタがなくなるまで続きそうだ。それまでに一つ目が怒らないといいけど。
「楽しいよ」一つ目がぽん、と言って。
「なんで?」シロがとん、と踏み込む。
「うーむ」女はあまり迫真に迫らない調子で困り顔をしてみせる。「感情を説明するのは難しいなぁ。君は、好きな色を綺麗だと思う理由を説明できるかい?」
「それは、できないけど。……でも、つまんなそう。ずっと同じ姿勢で窮屈そうだし、目がチカチカしそう」それは僕も同意できてしまった。
だけどそれはさすがに失礼だ。と、言いかけたところで。
「なるほど。では、そう言う君の趣味を一つ、教えてくれるかな?」一つ目の、想定外に柔らかい口調が遮った。
「一つだけでいいのね? なら、散歩」シロはさも当然と返す。
「散歩か、きっとあちこち歩き回るのだろうね」
「そうよ。どこへでも行く。どこを歩くのも私の自由。あのつまんない街は、とうの昔に踏破してやったわ」自慢げな薄ら笑い。
「でも、私は嫌だな。転んだら膝を擦りむいてしまいそうだし、何より足が疲れてしまいそうだね」シロが突き刺す語調を真似て、さく、と銀の針で胸を突く。その深奥を、軽やかに、繰り返し。
「そんなの……」その途中でシロははっとしたように、口を閉じる。
女の肩がくつくつと揺れる。「君は賢いね」
「なるほど、こうなのね。ごめんなさい」シロは珍しくしおらしく、しゅんとする。
随分と容易くシロがやり込められてしまった。その手際に感心すると同時に、なんだか、すぐ側に居る一つ目が、まるで別世界の住人であるように思えてしまう。
「いいさ、おあいこだよ。私も散々言わせてもらったし、それに」
「どうせ彼は……逆さまの男は、君たちをロクに叱らなかったろう? それじゃあ仕方がないさ」呆れと望郷と、可笑しさと。
「団長をよくご存知なんですね」
「空が夜に包まれる前からの付き合いだよ。それにしても団長か、無理したなぁ」
「無理、とは? あの街で唯一の起きている大人だったから、自然な流れだと思いますけど」
「向いてない、ってこと。彼は父親とかリーダーとかじゃなくて、優しい叔父さんの方がしっくり来るよ」僕はまるでシロが答えたかのような錯覚を覚えた。「ま、もう終わったこと、過去のことさ」そう一つ目は言葉を継ぐ。
「じゃ、現在のことを話しましょ。色を貰ってもいい物、ある?」
「ああ、すっかり忘れてたよ。その白はまだもちそうだけど、帰りのことを考えるとそろそろかな」見た限り、シロの白に退色はない。だが、僕の感覚が正しければそろそろだ。
「バカ。今から散髪してくれるんでしょ。見えない髪を切るつもり?」
「あ」反論の余地もない。
「ん、んー……役目を終えた物ばかりだけどー、ちょっと、困るかなぁ」
やばり思い入れがあるのだろうか。振り返り見ることさえ無くなろうとも。
「夜男はいいって言ったわよ?」
一つ目の片目が若干見開かれた……ようだ。周りの肌こそ動いたが、レンズにくっついた瞳はやはり見えない。
「あー、あいつがかい? 珍しいけど……それもそうか」
「そう、そのあいつが。で、あなたはどう?」
「シロ、何で貰う君が偉そうなのさ」
「そうかー、それならー、えーと、うーん。負けるのも癪だし、望遠鏡以外なら色を持っていっていいよ」うまく隠蔽してはいたが、その声は灰色にざらついていた。
「ありがとう。でもいいわ、大事な物みたいだし」シロはさらりと切り捨てる。
「あのね、きみね。まったくもー、私の断腸の思いを返しておくれ?」
「ごめんなさいね、やり込められたのが悔しかったから」シロは一つ目がそうしたように、くつくつと肩を揺らす。
「やれやれ。それで、どうするんだい?」
「この塔から少し貰ってもいいかしら」
「構わないよ。でも、びっくりするかもね」かもね、は不必要なようだった。一つ目の確信に対してシロは勿体ぶるな、とばかりに女を軽く睨む。
「今でこそ夜色に塗り潰されてしまっているけど、かつては夕日のように赤かったんだよ、この塔は」
「それはそれは綺麗な、ぞっとするほどに優麗な色の赤レンガで組まれているんだ」言葉に宿るノスタルジーのセピア。
夕方。それは世界が青空の昼から黒空の夜へと変わる為の準備期間。太陽が赤く燃えながら遠い地の底へ沈み、ふと燃え尽きて夜が来る。夕日とはこの眠りゆく赤い太陽のこと。
「絵が何枚かかかっていたはずだよ。色についてはそれをご参照、だね」一つ目が補足する。
「……ああ、あの赤いやつ。たまには良いかもね、それにするわ」
「決まりだね。塔のどこからでも、気に入った所から持っていくといい」一つ目は辺りをぐるりと指差した。
「どこも同じじゃない」とシロはぼやいてから。「ソラ、先に行ってて。色を貰ってから追いつく」意外なことを言いつけた。
「それなら、僕もここで待つよ」正直なところ、僕はこの身体を包む浮遊感が望むまま、どこまでも登ってみたかった。でも、きっとシロは着いてこられない。シロに合わせなければ、置き去りにしてしまいそうな気がした。
「いいから先に行きなさい」しかし有無を言わせようとしない。こうなっては理由を訊くのも徒労だろう。
「分かったよ」適当なところで、待つのがよさそうだ。
少し強く床を蹴ると、ふわふわと軽やかな身体は悠々と二人から離れる。僕らが入ったドアの真向かいに、恐らくは更なる上へと続くドアがあった。
そのままドアを押し開ける。右手には黒い壁、そして左手には登り螺旋階段。
「あなた、私のこと、ちゃんと見えてるのよね?」
「見えてるというよりは、分かるといった方が正確かな。でも、ちゃんと君を君として認識しているよ」
そんなやりとりを背後に聞きながら、僕は螺旋階段を三段飛ばしに登り始めた。