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16・一つ目の女

 彼女は裾が床に垂れ落ちた白衣をだらしなく羽織り、薄い金を帯びた白い髪は、頭の後ろで荒っぽく結ばれている。

 血が巡っていないような青白い両手は望遠鏡に添えられ、そして彼女は望遠鏡の覗き窓に片目をぴったりとくっ付け、一切目を離すことなく、ただひたすらに夜空を覗き上げているのだった。


 シロは足の踏み場と望遠筒に頭をぶつけない道を探し探し歩み寄り、女性より三歩の地点で立ち止まる。

 そして僕は、軽く低く跳躍すると、ふわふわと浮いた身体は足元の雑事を置き去りに、そして蛇腹の隙間を潜り抜け、女性より三歩マイナス一歩離れた地点に難なく着地する。

 シロの不満気な呟きが背後で聞こえた。


「初めまして」僕の声。女は望遠鏡を覗いたまま喉を動かす。

「……初めまして」それは、かつては透明だった色が、多くの色を少しずつ自分の色へ取り込んで作り上げたような色の声だった。白に近いのに白じゃない色の、輝きと濁りの気配が奥底からたゆたう。

「向き合わずに失礼。でも安心してほしい、こうしていても周りのことは分かる」白いようで白くない声は続ける。

「空色の少年と色のない少女で間違いないね?」

 声で答えようとする僕の肩をシロが叩いて止め、彼女は僕の横に並んでから女に向けて頷いた。僕も真似て頷く。

 シロの前髪はその瞳をヴェールの向こうに覆い隠していた。


「そうか、間違ってなくてよかった」

 さも当然のごとく、女はこちらを見もせずに僕らの首肯を受け取った。

「そもそもここに来ることができるのは、黒いアイツと君たち二人のみ。そのうち来る気がありそうなのは君らだけ。……探偵ごっこの範疇だけどね」


「あなたも、少しはまともに物を考えられるみたいね。質問させてもらってもいい?」

「構わないよ。ただ、知らないことも知らせたくないことも多いからね」

「それはいいわ。で、まず一つ目。あなたは誰?」シロの問いが一歩踏み込む。

「一つ目、と自称しているよ。第一のなになに、じゃあなくて……目が一つしかない、という意味で」踏み込まれてもよい、とでも言いたげな調子だった。


「私の顔、見てみるかい? 私はコレから」女は片手で望遠鏡を優しく叩く。

「目を離せないから、君らに近づいてもらうことになるけど」

「……なら、お言葉に甘えて。ほら、行ってよ」

 シロは僕をどんと押し、僕はふよふよと女へと近づく。シロも追随し、僕らは「一つ目」と名乗る女の斜め前、望遠鏡の横へと回り込んだ。

 女の白い顔が露になる。


 望遠鏡を覗いている片目はレンズにぴったりとくっつけられていて見えない。そしてその反対――もう一つの片目があるべき場所――には、焼け過ぎた灰のように終わりかけた白色をした、肌がただ、あった。

 最初から目などなかったかのように、肌は汚れ一つなくそこにあった。


「……綺麗ですね」世辞ではなく、僕は本当にそう感じていた。

「ありがとう、君はいい目をしているね」言ってから、一つ目は表情を変える。

 片手でぐしゃぐしゃと髪の毛をかきながら、付け加える。「ごめんよ、つい感情的になると皮肉が出てしまうんだ。捻くれててね……感謝の気持ちは本当だからね?」

「お構いなく、そういうのは慣れてますから」と僕は笑ってみせる。

 そうこうしているうちに、僕を皮肉に慣れさせた少女は少しずつ一つ目への距離を詰めていた。

 片目の無い顔に、両目を髪で隠した顔が眼前に迫る。座っている女の顔と、立っている少女の顔は、同じ高さにあった。


「触ってもいい?」とシロは訊いた。

「君が顔をちゃんと見せてくれたなら」女はさらりと答えてしまった。

 少女は不思議と躊躇なく、前髪の仮面を後ろに流す。


「おやまぁ、隠さなくてもいいのに。私はもう少し短い方が好きだな」

「もうじき切る予定よ……でも今は、この方が落ち着くの」

「でも私には見せた。見せても大丈夫だと踏んだんだね? 実に光栄だよ」

「勝手に納得しないでよ。でも、そう。なんででしょうね」

「なに、分かり切ったことさ……で、触るかい?」


 シロはおずおずと、彼女にしては珍しくおずおずと、その手を目のない肌へと伸ばす。ゆっくりと、じわじわと。引き寄せられて、吸い寄せられて。

 手が肌に触れる。音はしない。手が肌を撫でる。やはり音はない。でも僕の耳にはさらさらと心地よい感触が聞こえた。

 女の在る目は覗き窓から離れなかったが、その意識は夜空に向かず、過去を覗いているようだった。


 曖昧な時間が流れて、少女と女は、どちらともなく終わりを告げた。少女の指がするすると、女の肌から離れて戻る。その緩やかな勢いを殺すことなく、少女の身体は数歩離れる。


 ふぅ、と女は息をつく。彼女の在る目は再び、夜空を見据えた。

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