13・小さなシロの色
小雨。緑色の傘をさす。
深緑じみたドームの内側で、雨音が反響して大きく響いた。僕が傘を持ち、その下にすっぽりとシロが収まる。
「どの色がいいと思う?」唐突に、口を小さく動かしてシロが尋ねた。
「えっ?」
シロは髪をかき上げて、消えそうな瞳でこちらを見る。そのまま、傘が響かせてくれていなかったら聞き逃しそうな声量で続ける。
「あなた、よく、ラムネ色の私を笑ったでしょ」怒りの色は見えない。
「身体に泡が浮かぶのがおかしくて堪らない、とか、頭のてっぺんで泡が弾けるたびに笑ってたじゃない」
「そういう、おかしいのとか、面白いのとか、見てみたいのとか……そんな色はないの?」
「う、うーん」いくらでも答えられるはずだった。あの街で試した色々の記憶を呼び起こせるはずだった。
しかし何故か淀んでしまう。
「青は?」彼女が、うんざりしてしまっているはずの色。
「青は好きだけど……」
「だけど?」
「君の声まで空色になったら、夜男が困りそうだよ」
僕は自分でも理由のわからない反発に、むりやり理由をつけた。
「そうかしら?」きょとん。
「うん。そう、かもしれない」しどろもどろ、にならないよう心を砕く。
ぱらぱらと軽い雨音が砂のように降り注ぐ。雨脚は弱まっている。
「結局のところ、何色になればいいのよ」少しずつ口調が険しくなっていた。
「じゃあ、あれ」僕が指さすその先には、光を孕んで俯く蕾の群れ。
「シロ、ね」
「うん。それが一番落ち着くんだ」その場しのぎで選んだ色だけど、選んでしまえばしっくりと馴染む。
シロが歩み始める。合わせて僕も傘を持っていく。
蕾畑の手前にたどり着くと、シロはしゃがみこんだ。
花に手を伸ばして、その体勢のまま。
シロがふわと動きを止める。その体を透かして、細首を掴まれた俯き花が見える。
「ごめん」花を掴んだままシロが言う。補色が始まっている。「ナイフのこと」
「もういいよ。君は、僕らの為にやってくれたんだから」
あの作戦がなかったら、僕はたぶん街から出られなかった。
「だから、もういいよ……ありがとう」
ナイフの色はもう戻らない。でも、それで良い。
シロの背はしゃがみこんだまま透けている。彼女の向こうで俯き花が色を奪われていく。
手折られるような姿勢のまま、湿った世界に沈んでいく。
「あとで、ナイフを預かってもいいかしら」白みつつある明瞭な声だった。
「いいよ」
「やれるだけやるから」俯き花はもうほとんど見えない。少女がその色を孕んだから。
「ありがとう」
彼女が何をするかはわからない。でも、悪いようにはならないだろう。
花が雨夜の底へと沈み、完全に色が消えた後。すうと立ち上がったシロは、鱗粉のようにふわついた白を身にまとっていた。
「戻ろうか。あの人が待ってる」
「それなのだけど。信用していいのかしら」
「いいと思うよ」
シロが白い瞳で理由を促す。
「残念だけど根拠はないんだ。なんとなく、なんだ」
彼女の眉が怪訝そうにつり上がる。
「君だって乗ったじゃないか。その理由は言えるかい?」
「……言えない」色を得ているのに、不明瞭な声。
「それでいいんじゃないかな」
シロの割り込みが遅れたのをいいことに、僕は続ける。
「僕らは長い夜を過ごしてきたけど、見てきたのはあの街の中だけ」
「子供なんだよ僕たちは。分からないことだらけだ。だからさ、シロ……たまには、理屈の通らないことをしたっていいじゃないか」
「子供だから……」シロはその単語を嫌そうに口にした。「理屈の通らないことをしてもいい、って理屈?」
「そう、そういう理屈」理屈を否定する理屈。自分でもみょうちくりんだと思う。「……理屈理屈って、こんがらがりそうだけどね」
「あなた、誤魔化そうとしてない?」
「でも乗るんだろう?」僕は言うだけ言って歩き出す。
緑ドームの傘が僕と一緒に歩き出し、シロも慌てて歩き出す。
「私たち、ずっと子供なのかな」不意にシロが口にする。
「……どうだろうね」僕が知りたいぐらいだった。
十七秒後、僕らは車の側にたどり着く。
雨粒が絶えず滑り落ちていく窓ガラスに僕らが滲んでいる。シロは僕より、頭一つ分だけ背が低い。
「車には乗るけれど、でも、私はもう少し考えるわ」
「それは止められないし、止めないよ」
本当に彼を疑っているのなら、二度も乗らないだろう。
シロは探しているんだ。どうして、僕らが、自分自身が、あの夜男を信じてしまったのか。どうして、彼を警戒するのがバカらしく、億劫になってしまっているのか。
その理由を、かっちりと形を持った理屈を。
とうに探し疲れた僕からすると、その世界の機微すべてを自分の言葉にはめ込もうとする姿勢こそが、彼女がまだ幼い証に思える。
同時に、シロをこうやって一回り小さく見てしまうことこそが、僕もまた子供である証左なのだ、とも思う。
シロが両手で、ドアに手をかけた。