11・シロは問う
車には四つの座席があった。
夜男が座っている席、その隣にもう一つ、そしてそれらの後ろに並んで二つ。
僕らは後ろの二つに座り、夜男が手渡したタオルで髪を拭き、服を叩く。「タオルは後ろに放ればいい」夜男はそう言い、僕らは大人しく従った。
座席は硬くも弾力のある材質で包まれていたが、ところどころに穴が開いていた。その奥は、車内の暗さと穴の暗さが相俟って覗けない。
僕らが一息ついた頃。
ふいに夜男が車の内壁に向かって何かをがちゃがちゃと突き刺し、そのまま強引に捻る。
すると車の巨体が二回いななき三回跳ねて、つられてシロの小躯が浮いてしまう。
それで巨体は落ち着いて、今は絶え間ない唸り声を僕らの腹に響かせながら、小刻みに武者震いをしている。
「今のは?」僕は宙に浮かなかった。こっそり座席を掴んでいたからだ。
「エンジンをかけた」僕が疑問を挟む前に、夜男は続ける。
「クルマが目を覚まして、走る準備ができたってことさ」
車内を見回してみる。僕らの座席、夜男の座席、そしてその隣の空席。合わせて四つの座席の外側、さらに夜男の目の前と、僕らの背後。この六ヶ所にはガラス窓が付いていた。
前方にあるひときわ大きなガラス以外は、無数の水滴がぴったりとくっついて、それを通して見る俯き花の白い光は、僕の青空に流れる薄いまだら雲のようだった。
前方のガラスだけは、その向こうに伸びる黒い道をはっきりと透かしていた。
というのも、前ガラスの表面では真っ黒い棒型のブラシが、右へ左へ左へ右へ、せわしない往復を繰り返しながら、水滴を端に追いやっていたからだ。
「もう発進するぞ」夜男はよく見える前ガラスの方を向いたまま、さらりと注意を促す。しかし僕にはどう気を付ければ良いのか分からなかった。
カチン、とシロの座席で音がする。見れば、路面の黒をまとったシロの、骨ばった肩から痩せこけた腰にかけて、灰色のベルトが巻かれている。
僕はシロを参考にして、お手本を何度も見返しながら真似てみる。もたつきながらも僕のベルトがカチンと音を立てた時、シロは嬉しそうに得意そうに、母親か何かのように微笑んだ。
座席を掴んでいた僕の手は、あるいはシロに見破られていたのかもしれない。
「さて、出発といこうかね」朗々とした声が飛んで、夜男は足を落として踏みしめる。
そして僕らは背もたれに叩きつけられた。
車の左右に佇む景色がぐにゃりと長く引き伸ばされて、背後へと置き去られていく。俯き花の燐光は、水に溶いた白い絵の具で軌跡を描いて夜を飛ぶ。
夜男は涼しげな顔をして、さらに何かを踏みしめる。速度が上がる。水平に飛ぶ白い流星が線のように細くなる。それ以外の景色はただの黒になった。
僕らは背も四肢も見えないテープで貼り付けられて、座席から全く剥がれない。
「これがコイツの全速力だ」事も無げに男は言った。「本気で隣街に行きたいんなら、この速度で曲がり角までかっ飛ばすのが一番だが……どうする?」
「もっとゆっくり!」僕らの声が重なった。
「はいよ」ガクンと車体が揺れて、景色が戻ってきた。
外界が前からやってきては後ろへと流れていく。それは川を連想させて、僕の心に一息をくれた。
「これぐらいでいいかい? 俺には遅すぎるぐらいだが」
「私には丁度いいわ」速度を緩めた反動で、シロの黒い長髪は前方に吹っ飛ばされて、その表情を覆い隠している。
「僕にも」
「多数決で2対1、俺の負けか」悔しいフリで舌を打つ。
「よく耐えられるわね、あんなの」
「そりゃあ、大人だからお前らよりかは頑丈だし……何より、慣れてるからな」
「大人だからって言われても……大人なんて、弱々しくてすっトロいイメージしかないわ」シロはたぶん、街の暗い人々や、そして団長を思い出している。
「うん、僕も」そして僕は、門の上の空を見ていたあの大人を思い出す。
「あの街に居たんじゃあ、そう思ってもしゃーないな」
男がドーナッツ型の装置をぐるりと回すと、それに合わせて車も曲がって走る。
「隣街の人は皆こうなの? まともに話せるの?」シロが食い気味に問う。
大人でも、子供でも。僕らは僕ら以外と話してみたかった。
「さぁな。俺は隣街のモンじゃねぇし、行ったことも無い」
「なら……隣街じゃない、別のどこかに、そういう人たちは?」
「片手の指で数えられるぐらいには」
「少ないわね」
「少ねぇなぁ。ま、寝ちまった方が楽だからな、色々と」
「……その寝るって感覚が分からないんだけど」
生ぬるい沈黙がじんわりと染み出て、車の中空を浸した。