中編
翌日。オレと源次は喫茶「スモール・マウンテン」で、マスターが夜なべしてつくった(?)力作に挑んでいた。
べつにご褒美のミートパイが目当てだったわけではない。習慣とは恐ろしいもので、自分の意思とは無関係に足がこっちへ向かってしまう。
じっさい源次などは、マスターが【問題編】を用意していたことすら忘れていて、ふつうにコーヒーを飲みにやってきたくらいだ。
【問題編】
「ボール・ホテル」はその名のとおり、球状の客室である。
どの部屋も地上20メートル以上の高さにあり、落下すれば、まず死は免れない。
部屋の出入り口は窓を兼ねたものがひとつあるだけで、出入りするためには天使の力を借りなければならない。天使が地上と上空を往き来し客人の送迎を行う。
直径5メートルもの巨大な球体を地上から支えるのは、なんと直径5センチの棒である。
長さ20メートル以上の棒が、しなることなくまっすぐ天に向かって屹立し、あまつさえ巨大な客室を支えている。むろん並みの金属ではない。その棒はオリハルコン製だった。
ここで賢明な読者は気づいたのではないだろうか。このオリハルコン製の棒につかまることができれば、あるいは、地上まで降りられるのではないかと。
だが、唯一の出入り口である窓から棒までは、けっこうな距離がある。優秀な鉄棒選手が窓枠を鉄棒替わりに、さらに遠心力を利用して跳べば案外、行けんじゃね? などという考えは甘い。
そういった試みが、これまで成功したためしはない。それは送迎をしてくれる天使への、いや天使ちゃんへの冒涜である。
さてここで、ちょっと困った問題が起きた。3つの客室に予約が入ったのだが、出勤可能な天使ちゃんがふたりしかいない。
天使ちゃんは最大ふたりのお客さんを同時に運ぶことができるが、今回の客は3人とも別々の部屋なのだ。
地上と上空を1往復すると、天使ちゃんは丸1日すがたを消す。さらに、天使ちゃんには縦方向にしか飛べないという制約がある。
「ボール・ホテル」を予約した3人のお客さん……トン氏、チン氏、カン氏はもうカンカン! 誰もが自分を優先的に運べと怒鳴る始末。
この局面をどう打開するよ、ふたりの天使ちゃん?
「これってつまり、それぞれの客室へ上がるためのリフト的なものが、3台中2台しか使えない、ってゆう認識でいいんですよね?」
問題文を読み終えた源次が速攻で質問した。
「質問はいっさい受け付けません。本文以外のヒントを与えたら、フェアじゃないからね」
言ってマスターは両の人さし指でバツをつくった。
「ですよね? 石原さん」
源次は質問の矛先をオレに向けた。なんちゅう変わり身の速さだ。
「あ、ああ」
とはいえ彼の指摘は正しかった。そのとおりだったし、それで終わりのような気がした。
「はいマスター!」
「おおっ、石原くん、わかったの?」
手を挙げたオレは高らかに宣言した。
「降参ですっ」
「「早っ!!」」
マスターと源次が同時に叫んだ。だって、わかんないんだもん……。
「あっ……ああああああ」
源次が声を上げたのは、その直後だった。
「今度はなに?」
おなじ手を食うまいとマスターは慎重に対応した。
「オレ、わかったかも」
すばらしい、とマスターは手を叩いた。
「それじゃあ源ちゃんの、華麗なる推理を拝聴しましょうか」
源次はおほん、と咳ばらいをするとイスから立ち上がった。
「いや、立たなくていいから」
彼は座ってもういちど咳をした。そして言った。
「完ぺきっすわ。答えが完ぺきすぎて、怖いっすわ」
「勿体つけないで、はやく」
「いいですか、ポイントは天使ちゃんがお客さんをふたり同時に運べるってところ」
オレは無言でうなずいた。まあ、そこはかならず絡んでくると予想はしていた。どう絡むかが、わからないけれど。
「結論を言っちゃいますよ? 客室がA、B、Cとあって、Cはこの際どうでもいいです。AとBがね、こう、向かい合っているんすよ。窓と窓が幼馴染みの隣家よりももっと近くに、そう1メートルも離れないくらいに寄り添っているんです」
「あっ……なるほど」
思わずオレはうなった。
源次はドヤ顔でつづけた。
「もうイメージできますよね。ひとりの天使ちゃんが、トン氏とチン氏でいいや、ふたりのお客を引っ張って客室AとBの隙間に向かって飛ぶ。トン氏が客室Aの窓辺で、チン氏が客室Bの窓辺でそれぞれ降りる。……客室Aを予約したのがもしカン氏だったら、トン氏とカン氏を替えればいい。どうです、完ぺきでしょう?」
「正解、でも残念!」
マスターが目をぎゅっと瞑って言った。




