後編(図解あり)
マスターはカウンターの下からメモ用紙とサインペンを取り出すと、なにやら図のようなものを描きはじめた(下図参照)。
「なんすか、これ……グラフ?」
「なに言ってんの、これのどこがグラフか。地図だよ」
「すみません、地図に見えませーん。てか、地図ならこっちのほうが詳細で正確です」
言ってオレはスマホを突き出した。
「ちがうんだよ石原くん、これはエッセンスなんだ。ぜい肉を削いであるんだよ」
「いや削ぎすぎでしょう。……この矢印は何なんです?」
「ボクの話、ちゃんと聞いてた? ヒントはバスが右折することだって言ったでしょーよ」
「あー……はいはい。なんかこれ、わざとわかり難くしてませんか。この微妙に3角形なかんじと英記号の配置が、幾何学的で混乱すると言いますか……」
「幾何学的とか、いいから。はい、どうこれ。これが真相だよ」
マスターは本格的にドヤ顔だ。そしてオレは思った。彼は本格的に教師には向かない、と。
「マスター、オレ頭わるいんで、ひとつずつ教えてもらっても、いいですか。まずこのAは何ですか?」
「なーに、いつもの石原くんらしくないじゃない。話の流れからすれば『A病院入口』にきまってるじゃない」
なるほどね、だいたいそんな気はしていたけど……。
「ま、オレもそうじゃないかなーって思ってましたけど。でもねマスター、さっきの話にBとかXなんて出てきませんでしたよね?」
「ついでに言うと、このAからXにつながる汚ったない点々が、個人的には非常に気になるんすけど!」
「はい、それ汚ったないとか言うの止める」
図を眺めつつオレは頭をひねった。が、今回ばかりは、さっぱりだった。黒ジャンパーくんがみずから降車ブザーを押さない理由が、この図のなかにあるとは、どうしても思えない。
「マスター……ギヴ(アップ)です。このBやXがぜんぜん、わかりません」
「むつかしく考えること、ないよ。図のAは『A病院入口』だって、さっき言ったよね。そこを通過するとバスは右折する。じゃあBは何だと思う?」
「……つぎの停留所、ですか」
「正解」
マスターはうれしそうに歯を見せた。
「つぎの停留所が、どうしたってんです?」
「はい、どうぞ」
彼はそう言ってオレにサインペンを渡した。
「このペンでBとXを繋いじゃいなよ。きみの言う『汚ったない』点々で」
その瞬間、オレの背に雷のような衝撃が走った。
「ああああああーーー……そういうことかあ」
言われたとおりBとXを点線で繋いでみる。オレはペンをおいて言った。
「このXは、AとBの中間地点なんすねー」
「そういうこと。これで黒ジャンパーくんの目的地がわかったろ? 彼にしてみれば『A病院入口』で降りようと、ひとつさきのB停留所で降りようと、歩く距離に大差ないんだ。料金的にも変わらないって、さっききみが言ったよね」
「マスター、天才」
ただただ感嘆するしかなかった。
「じゃあ、そうか……ヤツにしてみたら、最悪B停留所で降りればいい。『A病院入口』で誰かが降車ブザーを押してくれたらラッキー、くらいの感覚かー」
「だね。きみが彼にチキンレースを挑んでも、けっして勝てないわけだ」
「ありがとうございますマスター、おかげでスッキリしました。……これ、お礼です」
オレはカウンターの上に小銭をおいて言った。
「お礼じゃないでしょ、それコーヒー代でしょ」
マスターが笑った。
「じゃあそろそろ帰ります、今日も夜勤なんで」
席を立ってマスターにあいさつした。
「あ、石原くん」
「はい?」
ドア付近でマスターに呼び留められた。
「忘れ物。きみの大事な帽子」