ヒロイン
「タダギ……カナさん?」
マスターはまさに老眼全開といった様子で、彼女が渡した運転免許証を遠くにかざして読みあげた。
「たたき、です」
「あー、そう。めずらしい苗字だね」
「よく言われます。発音もしづらいので、可奈でけっこうです」
「可奈」
「って、呼び捨てかよ!」
おいしいとこ、いただいちゃいました。可奈さんが笑ってくれた。このマスターは本当に気がきくのだ。オレのつたないツッコミで場を和ませる効果ももちろんあったが、オレ自身、自己紹介がしやすい状況になる。
「あ、はじめまして。この店の常連で石原といいます」
「小山です。ここの店長をしてます。……こちら、お返ししますね」
そう言ってマスターは彼女に免許証を手渡した。
可奈さんは会釈しながら受け取ると、それをまたバッグのなかにしまった。
ここまではよかった。ここまでは、よかったのだ……。
とつぜん背後でドアを開けるカランコロン音が鳴った。おいおい冗談じゃないぜ、これ以上関係者を増やしたくない。
そう思いつつ来店者の顔をたしかめようとした矢先だった。
そいつはオレらに銃を向けてきた。咄嗟のことで相手が男か女か判別できなかった。いやちがう、そいつはゴーグルをしていたのだ。
すべてが一瞬のできごとで、わけがわからなかった。
可奈さんの動きだけが断片的に見えた。とても人間業とは思えなかった。彼女はイナバウアーのように上体を思いっきり反らせ、また元の位置にもどす動きをした。
いつのまに彼女は席を立ったのか。いつのまに彼女は、カウンターの上にあった銃をかすめ取ったのか……。
音に気づいたのは、どのタイミングだったか。びしっ、という音。そのあとで十円玉がカウンターの近くを転がった。
襲撃者の様子がおかしかった。銃を可奈さんに向けたまま、ぶるぶると震えている。
可奈さんは銃を握っていた。彼女自身の忘れ物だ。その威力をオレらはよくしっている。
「ひっ……ヒット!」
いきなり襲撃者が言って、彼は手をあげた。かなり上ずっていたが男の声だった。そして彼は降参したらしい。
襲撃者はそのまま肩をおとして店を出て行った。ドアが閉まり彼がすがたを消すまで、可奈さんは銃をかまえたままだった。
「……ちょっと、なんだったの、いまの」
震える声でマスターが可奈さんに聞いた。
「マスター……アタシにもコーヒーをいただけますか。のど、渇いちゃって」
マスターの判断により、店のドアは内側からカギがかけられた。どうも今日は「クローズド」の表札が見えない人たちが多いらしい。オレもそのひとりなんだけど。
可奈さんはコーヒーを、オレとマスターは説明を欲しがった。
そこはレディ・ファーストっていうことで、とりあえず、彼女がこの店の特製スペシャル・ブレンドで喉を潤すのを待つことにした。
特製とスペシャルって意味がかぶっていませんか、とオレが指摘したら、特製オリジナルだよ、と逆にマスターにダメだしされた。ごめんなさい。
「なんか……サバゲーの一種みたいです」
可奈さんは唐突に話しはじめた。
「サバゲー?」
「サバイバル・ゲーム。ミリオタの人たちなんかがやる、あれですよ」
ちんぷんかんぷんといった様子のマスターにオレが補足した。
「ミリオタ?」
うわ、めんどくせ。このおっさん、めんどくせ。