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08 私の校外授業

 映画館のようにステージが見やすい段差のついた大ホールの観客席は300人ほど入ってもゆとりがあり、ひとつひとつの座席の肘掛部分に小さい机として扱えるプラスチック製の黒い板が収納されている。座り心地もよい滑々した高級感溢れる椅子を市民が見れば税金の使い方に一言感謝でも言うだろう。


 市外から押された馬鹿の烙印を取り消させる為、教育への出費は無条件で褒められるのがこの市の特徴だ。残念ながら使い道の方向性がずれている事も多々あって、普段使われる事の少ない高校大ホールに少なからぬ予算をつぎ込んでいるのもそのひとつ。

 天井のプロジェクターから光が飛ばされ、正面のスクリーンに『ようこそ』の文字が映し出されている。


「皆さん、こんにちは。私は石塚と言って、化学、バケガクを教えています。高校進学を希望している皆さんに中学と高校の違いをまず説明し、休憩を挟んで高校生活を体験してもらうので楽しみにしていてください」

 白いセーターと青のデニムを身に着けた、ぼさぼさ白髪のお婆さんだ。明瞭で透き通った声がマイクを通じて聞こえやすい音量に調節されている。


 説明の途中で『中学と高校』の文字が書かれたスクリーンの中央に『校内』という字がぱっと出現する。


「学校内と学校外に注目して、できるだけ簡単に説明します。まず学校内。義務教育で誰でも入れる中学と違って、高校生には入試で合格しないとなれません。試験がある理由の1つは同じくらいの成績を持った人材を集める事で、生徒により合った授業を展開するためです」


 公立中学では授業のペースが生徒に合っていない事が多く、人によっては進度が遅すぎたり、速すぎてわからなかったりする。一穂のように物わかりがわるい生徒は速すぎる授業についていけない。ペースが合わないというのはそれだけで時間と労力の損失になる。


「次に教科も細分化されます。国語は古文、漢文、現代文の3つに。理科は化学、物理、生物に。社会は日本史、世界史、地理、公民に。英語は英文法、英会話、長文に。教科が増えて大変ね。今は丁度中間考査、テストやっててね。中学と違って留年もあるから先輩たちはひーひー言いながら勉強してるわよ。留年って言うのは同じ学年を繰り返す事ね。あとは悪い子は退学よ」


 進学希望の中学生をまとめて体験授業をさせる教室と先生の空きがあったのも中間考査で生徒が学校にいないからだと謎が解けた。確かに、平日なのに校舎に人の気配が全くしなかった。


 途中で素が出たのか、口調が一気に砕けている。世間話をするみたいに身振り手振りが増えてかわいらしい。このまま世間話が始まりそうな雰囲気が漂う。スクリーンが切り替わり『郊外』と表示される。


「えー、ごほんごほん。何の話だったか。そうそう、次は校外の事ね。市外から通学してくる人もいて、行動範囲も広がります。だからって寄り道ばかりして留年にならないようにね。お年寄りも大事にね。ごほんごほん」


 最後の関係ないような……。

 進学希望者にホームレス希望者1名を含めた中学2年生たちは市立高校に来訪していた。

 

 この説明会の後、1人1教科を体験授業する事になっている。事前に受けたい教科の調査があったが、一穂は特に希望がなかったので人数調整で化学になった。余談だが、人気者で友達(?)の真紀は得意科目の英語を選んでいる。


 ◇


「さっきは拙いプレゼン聞いてくれてありがとね」

 大ホールで中高の違いを説明してくれたお婆さんだ。白衣を着て、ぼさぼさだった白髪がポニーテールになっている。和ませる笑顔なのに魔女を連想させられる。


 休憩の後、化学室の場所がわからなくて、少なくない時間歩き回っていたのだが、間に合って安心している。

 化学教室は理科室と同じ匂いで、窓側の長机に濡れた試験管やビーカーが干されている。黒板に大きく達筆に書かれた『電池』を背景に立つお婆さんの前には茶色い棒、銀色の棒、クリップ付導線、紙やすり、豆電球、電圧計、それからプロペラ付きのモーター、レモン、みかん、大根が丁寧に並べられている。


 なんで化学室に野菜や果物が置かれているのかは不明だ。もしかしたらお婆さんのおやつなのかもしれない。オーストラリアでは昼食として生の人参を食べるとアニメでやっていたから、お婆さんの歯がしっかりしているなら可能性はある。大根をそのまま食べる文化は知らないけれど、スティック大根なら日本にも存在するのだから、ありえなくはない、のかな?


「今日は、電池についての授業をするからね。難しい事は抜きで」

 お婆さんは両手を口にあて、くすくす笑っている。薬品を扱う人の癖としては危険なんじゃないだろうか。手に着いた薬品を吸ってしまって……。いや、長く生きてるようだから、安全性は保障されているのだろうけど、不安で背中がぞくっと冷える。


「電池の仕組みも化学で説明できるんだけど、化学式だってただの記号にしか見えないだろうし、薬品だってただの透明な液体でしかないよね。だから、見た目でわかりやすく、面白い授業にしました」

 まさか人参が電池に……?


「本当は教科書忘れちゃったんだけど。ごほんごほん」

 えー、化学の先生なのに!? そもそも学校に置きっぱなしでいいと思うけど、なんで家に持って帰ったの?


「それでは、まず実践して見せるからね。まず、この金属の棒を磨きます」

 茶色い棒を紙やすりで手慣れた手つきですりすり磨き、それから銀色の棒をこね回す。光を反射し胴色と銀色の輝きを放つ棒をレモンに1本ずつ、ぶすり、ぶすりと豪快に突き刺す。


「レモンなどに突き刺したら、クリップで金属棒を咥えさせ、クリップでつないで見ます」

 小さい豆電球に導線でつながれたクリップを持ち、両手を流れるように広げ、滑らかに金属棒を咥えさせる。無駄に大げさな動きなのは、観客を意識したサービスなのだろうか。


 ぴかっ。

 豆電球がぼんやり光る。明るい部屋のせいか正直に言うと分かりづらい。生徒の反応もあまりない。


「こんな感じで、レモンも電池になるんですね。それでは皆さんもやってみましょう」

 いつの間にか生徒ひとりひとりの机の前に野菜や金属棒などが揃っている。もしかして、このお婆さんは魔女なのではないか、と疑問に思う。何故か人参は置かれていない。


 生徒はそれぞれ大根やレモンに金属棒を突き刺し、豆電球を点灯させたりプロペラを回したりして騒いでいる。不思議な現象は見るだけでも手品みたいで楽しいけれど、自分が魔法を起こせた方が何倍も心躍る。

 一穂は軽く気持ち程度に磨いた金属棒を、少し傷んだ皮を捲ったみかんに押し込み、プロペラ付きモーターが作動するように導線でつないで回路を作った。


 ぶーん。

 ちゃんとプロペラがくるくる回るのを見て綻んだ顔に向けると、柔らかい風が頬を撫でる。気持ちいい。


「わーれーわーれーはー」

 隣に聞こえない小声でつぶやいてみる。一穂の声が震えて宇宙人のようになる事はなく、少し顔が火照った。

 教壇ではお婆さんが両手を口に当てて微笑み、生徒を見ている。微笑まれたのは私ではなく、生徒全体だ。

 おばあさんの手を見ると先っぽがない人参が所持されている。人参は実験道具ではなく、顎が強健であろうおばあさんのおやつだったようだ。


 ぴくり、と身体を痙攣させ目を丸くし、気まずそうな顔でゆっくりと口を開いた。


「あ、そういえば、よく化学室の場所がわかったね。いい忘れちゃったのに。お年寄りだから物忘れしちゃってね。ごほんごほん」

 実験の手をとめた中学生の視線を独り占めにした先生は頬を桜色に染めて照れ笑いを浮かべている。


 遅刻を回避しなければと焦って必死に歩き回った数十分を思い返した生徒一同は、動きを止め放心状態になっていた。一致団結して携帯での連絡を密にとっていた生徒をこっそり追いかけた友達いない一穂は遠い目をしていた。


 中学生でストーカーする羽目になった苦労の原因はこいつだったのか。やけに説明会が短かったと思ったよ。

 おばあさんの無邪気な笑い声とプロペラの節操なく回転する音だけが静かな化学室に響く。


 市内の優等生が第一志望として狙う市立高校に対するもやもやとした不安が一穂以外の生徒の頭をよぎった。

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