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04 私の弁当

「かずっち~」


 人気者の近衛真紀が元気な声をかけてくる。

 中身も確認せずに買った黒い弁当を机に置いて、無表情な顔をそっと向ける。


「何?」


「……え? かずっち、冷たい!?」


 不意打ちでも食らったかのように驚き顔で、両手を振り上げかなりオーバーな反応を見せる。私が冷たくなかった日がどれほどあるのかと思考しても、至極いつも通りの対応をしているとしか結論付けれない。


「いつも通りだけど?」

 抑揚のない棒読みで応えて、先ほどとは打って変わってキラキラした視線を弁当箱に向ける。今朝は想定外の出来事があって中身も確認せず掻っ攫うように弁当を選んだのだが、メニューを見なかった事でここまで期待やわくわくを体感できるなら、ランダムに決めるのも悪くない。


 抑えきれない探求心を胸に、黒い弁当箱の蓋に手をかけ、勢いよく持ち上げる。

 ふっくらした白米、醤油と肉汁の匂い漂う肉じゃが、着色料無添加を疑いようがない程色彩が弱い漬物、正方形の人参が入ったポテトサラダ、そして場違い感丸出しのチーズケーキ!


 前世は食の化身だったのではないかと自負している私だが、一般人が見て匂っても、食べる前からわかってしまうだろう隠しきれない魅惑をぷんぷん振りまいている。


 これは、危険だ。2重の意味で危険だ。

 まず私の理性が崩壊し、食の事しか考えられなくなるという危険。

 もうひとつは、私以外の誰かがこの魅惑に囚われ、手段を選ばす無理やり奪おうとする危険だ。


「えっと、かずっち?」

 弁当に夢中で忘れていたが、さっきから真紀がずっと居たのだった。それはつまり、彼女もこの弁当を視てしまったという由々しき事態であるという事を意味している。


「あげないよ」

 語弊のないよう明確に、そして聞き間違いのないよう明瞭に私は、高らかに宣言した。これは1歩も譲らない絶対的に交渉の余地なしの案件である事を理解してもらう為だ。


「うん。わかった」

 どうやら辛辣な物言いに、全く隙がない事を理解したであろう真紀が顔を引きつらせていた。この料理を見てしまえば魅了される事も仕方がないが、よほど残念だったのだろう。


 誰かに強奪作戦を決行される前に私は食べ切る事を決意し、全身に闘気を纏わせ四方を威圧しながら、しかし優雅に食べ始めた。気圧されたのか、諦めたのか真紀は静かに自分で持ってきた弁当を食べている。もしかしたら、物々交換でも企んでいるのかもしれないが、それが成立できる希望は私がテストで50点以上取れる可能性よりも低いだろう。


 手芸部顔負けの俊敏さで右手を機敏に動かし、白米を黒いマイ箸で捕獲。脳から筋肉への信号の伝達速度を極限まで高めた常人には目視すら難しい早業で口に入れる。


 日本人の主食として不動の地位である米だが、後出の麺類やパンに押されて、嘆かわしい事に扱いがどんどん稚拙になっている。進歩した技術を活かしきれてない。

 ぬかや汚染物質が吸収されないように綺麗な水を用意して、ざるに入れた米を入れて手早く洗うのが重要項目の1つ。汚れを落とす為に水で洗っても、その汚れた水に浸かる時間が長ければ、スポンジが水を吸うように汚れを吸収してしまう。さらに、精米技術が向上した昨今ではぬか自体がほとんど米に付着していないので、最初のすすぎは手早くていい。


 真心ファミリーではそれらに加え、ご飯を炊く前にしっかりと水に浸して熱が芯までしっかり通るようにしているのがよくわかる。炊き上がった後のほぐし方も空気が均等に入り余分な水分だけが飛んでいく巧みの技を凝らしている。

 その成果が、米の暖かく優しい匂い、ひと粒ひと粒が丸く美しい見た目、ふっくらと芯から柔らかな触感だ。これこそおかずがなくても美味しく食べれる至高のご飯である。


 次に肉じゃがの具材を手首のスナップをきかせてパッパッパっと口に放り込んでいく。

 醤油、みりん、肉、玉ねぎによる濃厚な匂いが口いっぱいに広がる。乱切りされた人参とひと口大のじゃがいも、その全てに染み込み柔軟な触感も、噛む度に濃厚な肉汁がにじみ出る牛肉も、私の幸せ指数をぐいぐい刺激する。脱帽するのは、この味わい豊かな汁に余計なくどさが一切ない事だ。水選びが巧妙なのは米から当然予測できるとして、どれ程丁寧に灰汁を取ったのだろうか。


 ふぅ……。

 やはり『真心ファミリー』の弁当は圧倒的に美味だ。もし他国がこの味を知ってしまったら、大規模な国際問題になり、国家間の総力を挙げた戦争が起こる事も十分に考えられる。

 漬物も瞬時に口に入れる。これに関しては、説明する事もないだろう。さっぱりとした白菜で、ご飯の味を引き立てるわけだが、所詮こんなものは老人の食べる物である。中学生が食べて幸せに浸るような類のものではないと断言しよう。まぁ、当然残すわけはないが。


 ポテトサラダはいかがなものだろうか。真心ファミリー作のものはまだ味わったことがない。

 ひゅん、と風を切るように箸を動かす。


「こ、これは……」

 溶ける……。身体全身を電気が駆け巡るようにびくりと痙攣し、四肢がゆらりと弛緩する。ポテトサラダが舌の上で溶け広がる。隠し味にバターと牛乳を使っていて、その深い味をより一層広げている。広く、そして深く。壮大な世界観のポテトサラダが誕生してしまったらしい。


 テレビやアニメで宇宙規模の災害に例えて味を表現する人をこれまで馬鹿にしてきたが、このポテトサラダを食べてしまうと一笑に付す事ができないと納得せざるを得ない。例えるなら、霧に包まれたある日。視界が真っ白になって、四方八方どこまで広がっているのかがわからず、ただ空間に身を任せるだけのそんな日だ。

 宇宙規模どころか地域レベルやん、話が違うと喚く輩もいるかもしれない。


 しかし、宇宙規模の料理がぽんぽん500円の弁当で出るわけないだろう! それも作り終えて何時間も経ってる料理なのだから、地域の災害レベルでも感嘆に価するさ。

 逆に考えれば、もっと高価で出来たてであれば、宇宙規模もありえるだろうという、そういう話である。


 さて、もうこれで満足度百パーセントなのだが、デザートのチーズケーキが残っている。お腹はいっぱいで、これ以上食べたら太りそうなのだが、その白い扇形の物体を見ると飲み込まれてしまいそうになる。

 見る者を一瞬で虜にしてしまうような危険なオーラが出ている。前世はサキュバスという色欲の悪魔だったんじゃないだろうか。匂いに乗って甘い声が聞こえる気がする。


『食べても大丈夫よ。脂肪は全部胸にいくの。成長期の貴女ならどれだけ食べても胸が膨らむだけなのよ。』

 甘い誘惑。溺れたい気持ちを誘発させる恐ろしい子。


「みずっち、いらんのなら貰っていーい?」

 ぱくっ。

 箸を持つ手を宙に漂わせた真紀が色香に負ける前に、私はチーズケーキをさくっと食べた。恨めしい顔をした真紀がこちらを見ているが、よく考えて欲しい。私はあの色欲の悪魔から貴女を救ったのだ。

 このとろけるチーズが舌を刺激して全身を震わせる程の甘美な魔の手から救ったのだと。

 ほどよい甘さと凝縮された牛乳の旨みが与える常人なら気絶してしまうであろう強烈過ぎる至福から護ったのだと。


 筋肉の細胞1つ1つが脱力し、脳細胞が過度に与えられた幸福に支配され疼く。この幸福に身を任せ、火照った身体が冷めるのを待つ。

 スカートを少し緩め、満足感を全身で噛みしめながら周りを見渡して、食の格差をひしひしと打ちひしがれているであろう同輩の顔を確認する。


 どうやら、必死に強がっているのか、気のない素振りをみせている。優越感で身体が震えるのを感じて、もしかしたら私の性格は悪いのかもしれないと一抹の不安がよぎる。しかし、3大欲求の1つなのだから、人生経験の少ない中学生が誘惑に堕ちてしまうのも無理はないだろう。


「それで、かずっち」

「……ん?」

 甘美な弁当はもう私の腹に収まったのだが、今さら何のようなのだろうか。もしかしたら、食べ残しや残り汁を狙っているのだろうか。人間とは本当に卑しいものだな。


「かずっちは進路どうするの?」

「進路?」

 想定外の質問を受けて、何の事かすぐに理解できなかった。ようやく昨夜、自分の進路の話を真紀がメールしてきた事を思い出す。昨日配られた進路調査のプリントが発端で、この中学の2年生全員が来週提出する事になった中学卒業後の希望をどうするか悩んでいるのだ。


「私は市立高校に行こうと思ってるんだけどさー」

「うん」


「家から近いし、学費安いでしょー」

 公立は税金使ってるから、その分経済的には楽だろうな、と納得する。

 いつも通りの口調で気楽に話しているように見えなくもないが、よく見ると箸を持った右手が微振動して、不安や緊張とは無縁そうな真紀も人間らしいところがあるんだなと嬉しい。私のように先行き見えない進路を嘆く不安ではなく、誰かに自分の決断が間違ってないと後押しされるかわからない故の不安だ。


「そっか。いいんじゃない?近いし」

 背中を押してほしいだけなのだろうから、オウム返しすればいい。


「そう、だよね。かずっちはどうするの?」

「んー。わかんない」

 裏口入学だとか裏技だとか一般的でない方法をとらないと学力が低すぎて高校に行けそうもない。かと言って、就職しようにも筋肉もない。絵は沢山描いているけど漫画家になれるほど画力や発想力があると信じるほど楽天家ではない。


「一緒に市立行こうよ」

 嘆願するような、泣き出しそうな、不思議な顔で私を見ている。嘘や冗談など砂糖1粒分も含まれていない真剣さで真っ直ぐ訊いてくるので、私も笑って誤魔化せる雰囲気ではない。


「いや、私、馬鹿だから」

 自分で発言して、胸の中がぽっかり穴空いたように喪失感がある事に気が付いた。


「かずっちはやればできる子だと思う。設備は悪いかもしれないけど、私は一緒に通いたいな。なんちゃってー」

 最後に冗談みたいに笑って誤魔化していたけど、真っ赤な顔で真剣に話していたのを正面から見ていた私からは照れ隠しにしか見えない。


 確かに、進路は考えないとな……。

 悩ましい……。


 ああ、家に帰ったら、私が生まれ育ったこの街をゆっくり時間をかけて散歩しよう。今朝見た占いを信じるわけではないけれど、それでも私の悩み――進路――が解決する糸口が掴める可能性が少しでもあるのなら、と期待する位はいいさ。


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