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35 私の受験

 駅からバスで19分の物静かな地に、教育至上都市が財政を費やし技術の粋を集めた市立高校が建っている。自由と自主性を尊ぶこの高校では外部の人が来る時を除きチャイムが鳴らない。


 教室は中学校と変わらない大きさだが、1クラス30人なのでゆとりがある。教室の後ろには灰色のロッカーがあり、前面は時計の下全てホワイトボードになっている。時計の横には、『自立した自由』、『知への探求』、そして『地域発展』と壁に直接筆で書かれている。市立高校の3つの教育理念だ。純白の机には引き出しがなく、教室に掲示板はない。


 教室には30人の受験生がそれぞれ席についていた。午前9時半から20分までの時間制限がある受付で受験票と受験場所の地図を受け取り、10時までに席についておくことが最初の試験だった。


 受験生は一斉に小論文を書いて面接を待つのではなく、事前のグループ分けによって試験開始時間は午前8時、10時、午後1時、3時のいづれかが指定されていた。校内でもばらばらで、横井が10時のグループだった事から無作為に決まっていると思われた。


 尚、1グループはさらに受付で2分割され、小論文から始める30人と面接から始める30人で別の教室に移動させられた。

 一穂は10時から小論文で、同じ教室には2学期期末成績7位の高山がいる。一穂も英語が学年60代、数学が学年30代になり、総合成績で8位にまで上り詰めていた。


 しんと静まり返った教室の前後に1人ずつ大人が何も喋らず立っている。

 机の上には筆記具の横にテスト用紙が裏向きに伏し、時折生徒の深呼吸で空気が擦れる音が聞えてくる。

 今日の最高気温は8・3度、最低気温は氷点下0・1度と寒いのだが、口から零れる息の白さが体内の熱を感じさせる。


「今日で決まるのか……」

 一穂は空気が抜けるのに合わせて微かな声を出した。

 親公認でホームレスになろうとここまで勉強してきた。それも今日の為。

 手が小刻みに震えている。


「試験の説明をします」

 前方の試験管が声を上げた。

 受験生がぴくっと動き視線が前に集中する。


「試験問題は1問。制限時間は10時55分までの50分間です。途中退席は残り時間が15分になるまでとします。試験が早く終わった場合やトイレに行きたい場合は10時40分までに静かに挙手し試験からが来るのを待ちなさい。質問があれば、手を上げなさい」


 静まり返る教室に外を吹く風の音だけが聞こえてくる。

 受験生に触られ、鉛筆が机上を跳ねる音がする。


「これより試験を開始する!」

 ばさっばさっ、紙が机を擦る音。

 かかっかかか、鉛筆が紙にぶつかる音。

 一穂の推薦入試が始まる音だ。


『問題、貴方の夢はなんですか?600字以内で書きなさい。』

 シンプルで他の人と内容が被りにくいテーマだ。

 一穂は小さく手を握りしめた。


『夢』、『ホームレス』、『自由と自立』……

 問題用紙に連想ゲームの様にアイデアが垂れ流れるままに書いていく。

 こうやって自分の意見や反論の種ができる。


『束縛』、『仕事』、『時間』…… 

『収入』、『倒産』、『裏切り』……

『環境』、『ゴミ』……

 さらに、自分の体験をメモしていく。


「自分の意見、反論、具体例、結論」

 ブレインストーミングする事で頭の中が整理され、書く内容が明確になる。

 一穂は深呼吸し、解答用紙を手前に寄せた。


『私の夢はホームレスです。国や地域によって異なりますが、一定の住居を持たない人とここでは定義します。

 ホームレスと言えば、リストラや会社の倒産で失業した人や仕事に就く気がない人と世間では認知され回避したい状態だと思います。職場体験やボランティアでの交流でそういう人にも会いました。冬の寒さや雨風の中を飢餓感に耐えながら生きる人たちを見るとつらく感じました。住居を持とうと必死で職探しや貯金に勤しんでいる層は確かに存在します。

 しかし、中には生活保護を受ければ屋根のある生活に戻れる人や十分な貯蓄がある人もいます。仕事や家庭での人間関係にうんざりしたり、会社の拘束時間に辟易したりなどのホームレス以上の苦痛が社会にあると証言した人もいます。過労死が問題になる社会なので理解できました。家電やガスを使わない1番環境に優しい生活だと誇らしげに語る自給自足のホームレスに「社会のゴミと言われる事があるが、地球にとってのゴミはどっちだろうな」と言われた時には深く考えさせられました。

 好んでホームレスを続ける人は束縛のない自由を求め、自分の価値観に従い主義を貫く事で人生を謳歌しているのです。私たちは嫌な事を我慢しながら生きていく事を美徳とする事が多い。しかし、1度きりの人生を浪費するのは勿体ない。

 何にも縛られずどこにでも行ける自由を私は望み、それができるだけの知識や人脈を市立高校では身につけれると信じている。』


 一穂は文字数を2回数えて、白い天井を見上げた。

 沢山の事を盛り込みすぎた気がする。

 ホームレス志望と言えばそれだけで落とされるかもしれない。


 それでも中学3年の精一杯の想いが詰まった文章だ。

 10時50分を示す時計を見て、残り5分だと気が付く。

 一穂は名前と文章を黙読した。


「これで筆記試験終わりか」

 空気に解けるような小声を垂れ流した。

 手足を伸ばして緊張して固まった身体を緩める。


「そこまで!」

 筆記試験が終了した。


 ◇


 午前10時40分、それが一穂の面接時間だった。5人1組で20分間の面接である。

「気を抜く余裕もないな……」

「あらあら、弱気ですのね」

 試験室前の待合席で隣の高山が微笑んだ。彼女の合わせた両手が震えていなければ、堂々と座っているように見えただろう。


「たったの20分ですわ。練習を思い出して頑張りなさい」

 高山は自分も鼓舞するように両手の握り拳を太ももの上で振った。

 がらがら。


「失礼しました」

 5人の受験生がぞろぞろ出てくる。

 そして、最後の1人がこけた。


 熊のパンツが見えている……。

 面接官に礼した後だったので仰向けで女子生徒の顔は真っ赤だ。

 膝下丈のスカートだったのにご愁傷様である。


 いや、サービス点を稼ぐために練習していたのかもしれない。

 だからこその熊パンなんじゃないだろうか。


 無言で熊パン女子はドアを閉め、真っ赤な顔で歩き去って行った。

 こんな時でも慌てず走らないのは優等生の鏡なのだろうか。


「S104001からS104005まで入ってください」

「はい」

 大きく元気のいい返事で立ち上がった。


 こんこん。


 ドアの前で先頭の男子が立ち止まり握り拳で軽く2回ドアを叩いた。


「はい、どうぞ」

 アニメの美女キャラと同じ声だ。


「失礼します」

 先頭男子がドアを開けそろりと入室し、腰から上を曲げて1礼した。

 順番にその作法で全員教室に入り、最後の1人がドアを閉め忘れたようで寒い。

 椅子の左でさらに礼した受験生が立っている中、暖房効いてる部屋の温度が急激に下がっていく。


 がらがらがら。


 外にいる生徒が閉めてくれた。


「席に座りんさい」

 美人声の正体はおばあさんだった。

 化学の体験授業をしてくれた石塚だ。

 他にも2人見知らぬ先生が座っている。


「失礼します」


 試験室内の5人はゆっくり深く腰を掛けた――

 がたんっ

 と思ったら、1人が後ろに倒れた。


 今回は男子生徒だったのでパンツの危機はなかった。

 なんであれ試験は続く。


「名前を順番にお願いします」


「羽嶋光輝です」

「高山雫です」

「横井一穂です」

「田辺秀樹……の妹の穂乃果です」

 名前を間違えたらしい。


「西井武蔵……趣味は筋トレです」

 西井の眼は真剣だ。

 おばあちゃん先生の眼も真剣だ。


「高校でやりたい事はなんですか?」


「勉強と将棋を頑張り県で1番を目指します」

「はい。この学校の地域貢献活動を見て感銘を受けたので、私も一緒に地域発展に貢献したいと思っておりますわ」

「はい。ホームレス部を創設し自由と自立を考えていきたいと思っています。具体的には野外活動の術を学んだり、地域で炊き出しをしてホームレスと交流します」

「はい。兄を悩殺してかわいがってもらいたいと思っています。1学年上なので登下校も一緒です」

「暗記と筋トレです。地道にやるとどんどん成果が出るので好きです」

 誰の眼も真剣だ。

 真面目な空気が流れている。


「羽嶋君、好きな人はいますか?」

 おばあちゃんが尋ねた。

 真剣な顔だ。


「いいえ。今は受験に集中したいと考えています」

「そうなの。残念ね。ごほんごほん。以上です!」

 10分も経たずに面接は終了した。

 もしかしたら、完全な脈なしだったのか……。


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