34 私と母の得た物
ホームレス志望を親に認知される事になった4者面談から1年経った。
あれから、社会の暗記、通信講座、塾、家庭教師、ホームレスとの出会い、掲示板記載、学級委員選出、修学旅行……。多種多様な経験をしたな。
通信講座3月号では『僕たちと勉強してくれてありがとう!』という5教科の先生と生徒が集まってるであろう頁があった。
明るい色調の絵で笑顔ばかりだ。
でも、生徒が食べていた進級祝い料理がタコ飯だった。
7月だけやった国語の熊先生は身体の節々に縫目ができ、隻眼だったはずが両目になっていた。同じく隻眼だった生徒の骸骨君は立てかけられており、目はなく生気を感じられなかった。
数学の生徒と思われるロボットは画面が顔になっているノートパソコンを持っており、ゴミ箱には箱型の古いデスクトップパソコンがある。
そして、英語の先生と生徒、毎月1本ずつ消えていた足をついに2月で全部失くしたタコ先生と入院していたはずの猿先生はどこにも見当たらなかった……。
因みに、この3月号で通信講座をやめた。
中山も変わった。
ホームレス体験以降、炊き出し等のボランティアに積極的に参加するようになり、仲間もできたらしかった。溶け込みすぎて見分けがつきにくい。
「今年度は内申点に注目して欲しいんです。横井さんがどこまでいけるか見たいんです!」
合わせた4つの机の片側に綾坂と中山、向かい側に真理と一穂が座っている。
4者面談はやはり授業参観の後で、出席番号40番の一穂は最後だった。
茹蛸の様に赤い中山を置いてけぼりにして、綾坂がこれまで散々面談して疲れているはずなのに延々と話している。
「横井さんは今学期よくやっています。このまま行けば学校も推薦できる人材になる事は間違いありません!」
「要するに、学校の宿題をやる以外はこれまで通りという事ですよね?」
真理は極めて冷静に口を挟んだ。
無言の一穂は帰宅したい気満々だった。
ぴろりん勇者を観たい。
2期になって、さらに爆発したぴろりんが気になるのだ。
幼児化したぴろりんが成長し、高校生にまで成長している今期なのだが、ぴろりん以外は全く容姿に変化がない。小学生は小学生体型のまま高校生になっている。中学時代にぴろりんに出会った小さい胸に悩む女の子もそのまま高校生になっている。
著者がキャラの成長後を考えるのを諦めたのだと思っている。
「そうですね。推薦が確定になれば小論文を書いてもらう事になります。正直に言っちゃうと……」
「綾坂先生、言ったら駄目」
「いいえ!もう我慢できないわ!言っちゃいます!もうよっぽどの事がなければ確定なんですよ。あ、言っちゃったのは秘密にしてくださいね」
綾坂は満足げな顔で目を潤せていた。
中山が両手を顔につけて天井を見ている。
◇
面談の後、ファミリーレストラン『らんらん』にやってきた。
窓ガラス越しに星が輝く透き通った夜空に囲われて、まるで遠い先に思い馳せるようにメニュー表を無言で見つめる。
「よかったわね」
机の上に乗せた手の指を軽く組み、真理は一穂に語り掛けた。
一穂は無表情をこれっぽっちも崩さず、下のメニューに向けていた顔を上げた。
「うん」
思考も気持ちも読み取れない作り物のような顔だが、頭の中では喜びと未来の空想が充満している。
「私は抹茶パフェを食べるわ。一穂は決まったの?」
1年前と同じでデザートを頼む真理。
一穂は俯いて少しばかり逡巡した後、また顔を上げた。
「うん」
半円状の白いボタンに覆い被せるように手を置き、真理は指に力を籠めた。
まだ客数が1日のピークになるには早いはずだが、座席の8割は埋まっている。
家族連れ、制服を着た人、スーツ姿でパソコンを広げている人が屯っている。
「いらっしゃいませ。注文はお決まりでしょうか?」
よく言えば芸術家風の、悪く言えばワカメのような曲がりくねった黒髪を肩にぎりぎり届かないくらいまで伸ばし浮世離れした風貌の男が接客に来た。
茶色と桜色のウェイター制服の胸元には星が4つ付き橋本水樹と書かれたネームプレートがついている。
「抹茶おあ、あ、橋本さん、こんばんは」
「横井さんいらっしゃいませ」
腰を抜かして変な声を出してしまった真理だが、流石に年の功かすぐさま外向きの顔を取り繕った。
一穂に英語を教える家庭教師、通称ミズは慣れているのか最初から平常心だ。
「ここで会うとは思いませんでしたわ」
「1年ほど前からお世話になっていますので、当店に立ち寄っていただければたまに遭遇するかと思いますよ。今日の注文は何になさいますか?」
もしかしたら、何度か会っているのかもしれないな。
ミズは輝いているかと錯覚するような笑顔で真理を見つめている。
「えーと、抹茶パフェとドリンクバーを……2つお願いしますわ」
「私はイカ墨パスタ」
以前と違い、一穂の声には相手に聞こえるくらいの音量がある。
学力向上で自信がついたのも影響しているが、ミズとの発音練習や英文朗読で発声を鍛えられたのが直接的な変化の原点だろう。それから日本語を介さず思考する練習で、拙いながらも英語だけで授業するようになった為、相当声帯を使い慣れたのも大きい。
「かしこまりました。抹茶パフェ、イカ墨パスタ、ドリンクバー2つですね」
重量を感じさせない軽快さで通路を歩き、ドリンクバー用のグラスを机に静かに座らせた。どこぞのアニメに出てくる完璧な使用人のようだ……。
真理は緑茶を淹れ、一穂はソフトドリンクの混ぜ合わせを作り席についた。
一穂特製ジュースは茶色と白が混ざった食欲を減衰させる色合いに仕上がっていた。
「推薦入試まではあと7か月程あるわ。小論文の練習は思考を鍛えるのにも役立つから、少しずつやっていきましょう」
「はい」
真理がゆっくり手をカップに手を侍らせ、口へ運んだ。
コーヒーカップに口紅の淡い赤が付いている。
「小論文って何かわかる?」
一穂が目を左にそらすのを眺める。
「わかんない」
その答えを予想していたようにやんわり頷く真理。
「小論文って言うのはあるテーマに対して、自分の考えをわかりやすく相手に伝える事」
一穂はストローで泡のあるコーヒー牛乳みたいな液体をすーっと飲む。
「自分の意見を示して、それがどうして正しいか説明するの。例えば、『環境問題についてどう思う?』って問題だったら、『環境問題万歳』でもなんでもいいから主張を書く。それから、なんでその主張が正しいか説明する。反対意見も挙げた上で、それを潰してやっぱり私の主張が正しいでしょう、と締めくくる感じよ」
ゆっくり噛み砕くように真理は語った。
いつの間にかコーヒーカップは空になっている。
「あと重要なのは想像力よ」
「うん」
数学の愛ちゃん先生を思い出す。
習った事は別の教科でも役に立つんだな……。
「抹茶パフェとイカ墨パスタお待たせしました」
言葉の切れ目にミズがすっと入ってきて、流れるような手の動きでパフェとパスタを机に移した。
「でも、まずは食べるわよ」
「いただきます」




