32 私の修学旅行①
学級委員になって、一穂の人生が大きく変わったかと言うとそんな事もない。基本的には雑用や学校行事に関わるくらいらしい。正直、お飾り委員だ。
修学旅行の準備は最初の活動だ。
「お前に黒板は任せる」
教壇に立つ南が小声で指示した。
一穂はチョークを手に持ち、『修学旅行』、『目的地』と書いた。
「行きたいところはありますか?」
文字にすると丁寧だが、冷淡で挑戦的な口調だ。
いつも無口で周囲と距離を取っている南の、他人をゴミと思っているかのような期待のない言葉だ。
「いいかしら?」
高山が涼しい顔で手を挙げた。
鋭い香川の眼が南を威圧する。
「どうぞ」
「無難に京都近郊はいかが? 歴史で学んだ建築物を直に見るいい機会ですし」
南がまるで『雑草の中にも聡い者がいるようだな。』とでも言うようにゆっくり頷いた。
一穂が京都と黒板に書く。
「はい」
次に手を挙げたのは阿草だ。
「どうぞ」
「オーストラリアがいいと思います。時差もないし。温暖だし」
南の呆れ顔が『愚民め。』と語っている。
一穂がチョークを黒板につけた瞬間、南が口を開ける。
「書かなくていい。貧富の差がある公立中学で往復10万もするオーストラリア。パスポートや保険、スーツケースの準備まで必要な目的地は現実味がない。却下」
南の顔には『もう京都でいいだろう。』と書いてある。
阿草は俯いて沈黙した。
「他に意見がなければ次は班を決めたいと思いますがいいですか?」
丁寧な言葉のはずなのに、頭には『次、さっさと班決めるぞ……。』と響いてくる。念話能力でもあるのだろうか。
誰も異論をしない。
「早く決まってよかったです。次は班決めですね。生徒で自由に決めると丁度いい人数になるのに時間もかかりそうですね。どうしましょうか?」
南の念話によると『くじびきと提案する』よう指示が出ている。
もはや教室は南の支配下らしい。
くじ引きで5人グループが8班できる事になった。
「名前を書いていってください。不正が無いよう僕ら学級委員は最後に名前を書きます」
40本の線を南が引き、下に書きこまれた番号が見えないように紙が織り込まれた。
さらに線をいくつか追加し、即席のあみだくじが用意された。
「線を追加しても構いません」
教室内に回された。
38人分の名前が付いて返ってきた紙に一穂が『横井』、最後の1つに南が『南』と書き込んだ。
白チョークが黒板の上を軽快に踊り『1班』から『8班』まで表示される。
それぞれの班に5つの数字が入るよう南が1から順に割り振っていく。
最後にあみだくじの写真がクラス全員に携帯を通じて配布される。
「自分の番号を確認してください。今から1班から順に番号を読み上げるので、自分の番号が読まれたら名乗ってください」
一穂はチョークを持って、黒板の1班の横に手を置く。クラス全員の準備ができた事を南が目で確認した。
「7番」
「志摩」
「18番」
「大江」
……
……
「すごい運ですわね」
驚いて顔を引きつらせていた。
高山のいる8班のグループは南、一穂、香川に阿草。
クラスの学力上位4名と腕っぷしクラス1位の班である。
因みに、一穂は始業式後のテストで学年29位、クラス順位は阿草に次いで4位だ。
もしかして、自分の名前を書く間にクラス全員がどの番号になるか確認して、班分けしていたんじゃ、と疑問が思い浮かぶほどにどのグループもそこそこ仲が良く活動に支障がないようにできていた。
「9時から5時まで班別研修がある。食べ物、歴史探索、買い物など、どういう事をしたいか考えておくように。以上」
◇
クラスからの修学旅行目的地案は学級委員13名(1人欠席)と教師3名の話し合いで京都に決まった。正確には、南の演説で他の案は押しつぶされた。
2泊3日の修学旅行の1日目は京都バスツアーで大徳寺、金閣寺、竜安寺で見学時間と自由時間がある。
3日目は奈良バスツアー。薬師寺と東大寺で降車して案内してもらう。
生徒が決めるのは間の2日目の研修だ。
班別で何かを『学ぶ』予定を立て、先生に承認してもらう。
「班別行動だが、いくつか案を用意した。まず778年に開創された世界遺産の清水寺。昨年度国語で勉強した枕草子を覚えていますか?著者の清少納言が騒がしかったと残してます。平安時代から人気の場所だったのでしょう」
南が8班を集めた部屋の隅で資料片手にプレゼンしている。
全員分の資料を用意していたようだ。
「京都の観光パンフレットによく出てくる有名なお寺ですわね」
高山が指を組んで座っている。
気品がある。
「次の候補も世界遺産。江戸時代の主役、徳川家康が1601年に建城を命じたもの。15代将軍徳川慶喜が1867年に大政奉還し日本を統治する座から退きましたね。この歴史的な決定を重臣と共にした場所も二条城だったとされています。蛇足ですが、新撰組が来訪した事もありますよ」
新撰組に阿草はぴくりと反応した。
一穂や香川は黙って聞いている。
「最後に三十三間堂。これ……」
「それは私も調べましたわ。1155年に即位し3年で退位した後白河天皇が建てた仏堂ですわね。一度、焼失しちゃいましたけど……。今は千体の千手観音像が綺麗に列をなして立ち並び、国宝の座った千手観音像を囲っていますの」
高山はどことなく誇らしげな顔で胸を張っている。
南の顔には『雑兵とは違うようだな』と書いてある。
「君らは何か案はあるのか?」
南が推し量るような視線を向ける。
香川が黙って力強い手を挙げた。
「私は伏見稲荷大社を考えていた。しかし!三十三間堂の話に感激し、賛同したので却下させてもらいたい!」
伏見稲荷大社、アニメや漫画でもよく出てくる千本鳥居が有名な神社だ。朱色の鳥居が立ち並ぶ姿は実物でもすごそうだ。
一穂は少しがっかりした。
「私は京都のホームレス事情を調べたい」
阿草と高山が呆れ顔。
南はぴくりと口角を上げた。
「あんたやっぱり馬鹿ね!相当の馬鹿ね!」
阿草が机を右手の握り拳で叩いた。
香川は腕を組んでじっとしている。
「理由を訊いていいかな?」
南が僅かに顔を赤らめている。
数秒の沈黙が流れる。
「ネットでわかる情報より、自発的な調査の方が勉強になる」
一穂は目をそらし、スカートの裾を握っていた。
阿草が真っ赤な顔で口を開く。
「面白い!」
南が手を叩いて笑った。
あの鉄仮面の男が笑顔をみせたのは中学校で初めてである。
発言を先手で潰された阿草は口を開けたまま、ぽかんとしていた。
「採用!あと三十三間堂も採用。こっちで調整しとくから、解散」
多数決もなく、阿草の立案機会もなく、決定された。
興奮する南にクラス中が驚いていた。




